鋼の心臓に訊く
年末、私は実家に帰るつもりはなかった。
電話をかけると長くなってしまいそうだったので、メッセージを送っただけ。年明けに一度顔を出せば良いかな。ずいぶん長く家に帰っていない気もして、母が一人で可哀想と思い始めた自分がいた。私も大概甘い考えをしている。
「こんばんは、永尾さん」
うちと鷹山さんの最寄り駅のちょうど真ん中の駅で待ち合わせた。年末、周りには初詣に行く人々が結構いた。
「寒いですね、待ちました?」
「いいえ、全然」
ふと手の甲を掴まれる。構えてピクリと揺れた。鷹山さんが少し笑う。
「冷たい」
早々に嘘が見抜かれた。それが何故か少しだけ嬉しくて、好きになるって不思議だなと思う。
「楽しみで、初詣を家族以外と行くなんて初めてなので」
「学生のときとか、友達と行ったりしなかったんですか?」
「はい。鷹山さんは行きました?」
「行きましたね、男何人かで帰りに日の出見に行こうとか言って、見える場所を探してる途中で日が昇ったり」
「良いなあ……楽しそうです」
日の出が見られない悲しさよりも、友達と迎える新しい年が羨ましかった。
実家にいて、冬休みに遊びに行く予定なんて、殆ど記憶にない。うちは年末年始と家にいることが多かった。
「年越しそば、食べました?」
「食べました……あー……」
「うん?」
「一緒に食べて、それで来れば良かったですね」
額に手を当てる鷹山さん。そんなに後悔することはないと思う。蕎麦なんていつでも食べられるし。
「鷹山さんは帰省するんですか?」
「年明けに帰ります、甥っ子に会いに。永尾さんは?」
「私も……顔を少し出すくらいですかね」
家族の話を振っておいて、少し焦る自分がいる。馬鹿らしいな、と思う。
神社までの道は結構混んでいた。家族連れもいるし、肩を寄せ合うカップルもいる。私たちもその一組なのだと気付いて、鷹山さんの方を見た。こちらを見ていた視線とぶつかる。
「え、何か言いました?」
「いいえ、見てただけです」
「私が海獺みたいだから?」
「海獺みたいに浮いてどこかへ行ってしまいそうだから」
楽しそうに笑って答えた鷹山さんが、私のバッグのショルダーストラップを掴んだ。何があるのか、とその手の先を見る。
「手を繋ぐ代わりに」
「……ごめんなさい」
「永尾さん、抱きしめて良いですか?」
「え、ここで?」
「いえ、後で」
後で。
するりとストラップから手が離れる。神社の前は長い列が出来ていた。その最後尾あたりに並ぶと、鷹山さんの背が飛びぬけて高いのに気付く。
鷹山さんは前の方を見通していて、そこからは何が見えるのか気になる。
「鷹山さんて、本当に身長が高いんですね」
「確かに、日本人の男性の平均身長よりは高いです」
「みんながしきりに鷹山さんの美点に身長が高いところって言うから」
「みんなって石井ですか?」
「真由とか、木戸とか」
「石井は想像できるんですけど、永尾さんが他人と俺の話をしている想像ができないです」
「え、私に友達が少ないからですか?」
少し列が進んで、私たちも少し動く。鷹山さんが私のストラップを掴んで引き寄せる。私の方が鷹山さんより前に出る。
「そういうことではなくて、永尾さんてあまり物事に執着がないというか。いや、正直俺に対する執着がなかったというか」
「そう……かも、です、よね」
今思い返してみれば、なんという脈ナシな会話の各々。鷹山さんが激怒しなかったのが本当に不思議なくらいだ。
「永尾さんて素直だから、そういうのがすごくよく分かります。というか、分かるようになりました」
「私は未だに鷹山さんが私を好きになる理由も分からないです」
「あれ、言わなかったっけ?」
きょとんとした顔で、鷹山さんが首を少しだけ傾げる。黒のMA-1のポケットへ手を入れた。これはなにか、フィルターがかかっているのだろうか。眩しくて、とても直視できない。
すっと正面を向くふりをして、目を逸らす。
「聞いてないと思います」
「毛布に包まって眠る永尾さんがとても健やかだったから」
「……う……ん?」
「ずっと見ていたいなと思って」
「見てたんですか」
「最初に家に上がらせてもらった時も、この前も、がっつり見ました」
「そ、そこは正直に言わなくて良いです! 私の為に!」
「今だから言えることなので」
朗らかに笑っている様子が、見えないのに伝わってくる。少しずつ列が進む。腕時計を見ると、零時の数分前。
もうすぐ来年がやってくる。
「もうすぐですね」
「あ、今年はお世話になりました。来年もどうぞよろしくお願いします」
「こちらこそ、どうぞよろしくお願いします。手、触って良いですか?」
吐く息が白い。私は振り向いて手を差し出すと、鷹山さんはポケットから出した両の手で指を掴む。何だか握手をしているような図になってしまったので、私もその手の甲に反対の手を添える。
更に握手の図、だ。
「鷹山さんの手、あったかいですね」
「ああ、ポケットに入れてたんで」
「前の時は冷たかったから。秋に、真由と三人で飲んだ帰りに」
「ああ、あの時は本当、セクハラで訴えられるかと後々びくびくしてました」
「鷹山さんはセクハラに対して恐怖を感じてますね」
「昨今それで職を失うなんてざらにあるじゃないですか」
確かに、それは否めない。納得していると、視線を感じて横を見る。前でお父さんに抱っこされている女の子が眠そうな目でこちらを見ていた。
私たちのこの行列の中で、握手を交わす様子を不思議そうな目で見ている。
鷹山さんもそれに気付いたようで、どちらともなく静かに手を離した。
どこかで鐘が鳴るのが聞こえた。前の女の子が、ふあ、と欠伸をする。腕時計を見ると、零時を過ぎていた。
「鷹山さん、明けまして……」
振り向いて見上げると、不意に鷹山さんが屈んで顔が近づいた。音もなく唇が重なって、すぐに離れた。傍から見たら、恋人同士が一瞬抱きしめ合ったくらいにしか映らないだろう。
数回瞬きをすると、鷹山さんは涼し気な笑顔を見せた。
「おめでとうございます、永尾さん」
「目が、目が……!」
「誰の真似ですか?」
「違います、今日……いえ昨日の鷹山さん、なんか直視できない」
狼狽する私をよそに列が大きく動いていく。そうだ、みんな初詣に来ているのだった。私も歩みを進めると、肩を掴まれて振り向かされた。
その強さに驚いて目を見開くと、鷹山さんも何かに驚いたみたいに呆けた顔をしていた。
「俺は昨日の永尾さんのこと、すごい見てましたよ」
「い、言わなくて良いですから、そういうの」
「ずっとキスしたいな、と思ってました」
この人、本当にもしかして、鋼の心臓を持っているんじゃないかと。
鷹山さんの胸を切り開いて確かめたくなった。
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