開いた向こうに
「まー、私なら行くね」
きっぱりさっぱりと真由は言った。コークハイを左手に持って、中の氷をカラカラと鳴らす。私はその動作を見ていた。
帰りが一緒になって、金曜日だしということで一緒に飲みに来ていた。
「だよね。鷹山さんも同じこと言ってた」
「鷹山もお?」
「私も、行こうと思ってる」
私は空になりそうな自分のグラスへと視線を移す。ドリンクメニューを見て、次飲むものを決めようとした。
「鷹山呼ぼう」
「え?」
「つか呼びつけよう。ここのお勘定を持ってもらおうじゃない」
真由はそう言うと私が注文のベルを押すより先に自分の携帯を出して鷹山さんに電話をかけた。何コールかした後に鷹山さんは出たらしく、強引にここへ来る運びとなった。
鷹山さんの話題、出さない方が良かったかもしれない。既に真由は半分ほど酔っぱらっている。このまま酔っぱらいと化したら、強引にでも鷹山さんに奢らせようとするだろう。
先にお金を用意しておこうと思って鞄から財布を出しやすいところへ置いておく。
「そういえば鷹山が、米沢の結婚式の招待状、千佳の分持ってるって聞いたけど」
「ああ、うん。食堂に忘れてきて、ちょうど鷹山さんが持っててくれたみたい。失くしたと思ってすごい探してたんだよね」
「なら良かったけど。米沢も本当に中部行くらしいし、今回結構本社離れる人多いのかも」
「人事部ってそういう権力ないの?」
「そういうの決めるのってもっと上の人だからね」
呆れた顔をして真由が笑う。私はベルを押す。
「中部行く前に、母のことどうにかしないと……」
「中部行くのをきっかけにして、そのまま縁切ってみれば?」
「そんな簡単に言うけど……」
「冗談だって。そんなことになったら捜索願い出されて大事になるだろうね、それより先に本社に電話かかってくるかも」
「胃が痛くなるようなこと言わないで」
個室の扉がノックされて開く。店員さんが注文を取りに来てくれた。私はピーチウーロンを頼んで、後から一人増えることを告げた。
扉が閉められて、真由は手を組んで伸びをした。
「今までってどうだったの、千佳に彼氏が出来たときって」
「いや……知らないと思う。短い付き合いだったし」
「でも想像するに、きっと良い顔はしないだろうね。千佳ママから千佳を取る会社の人間だし、何よりその主要人物だし」
がら、と個室の扉が開いてスーツの上にコートを羽織った鷹山さんが現れた。ネクタイが外れているところを見ると家にいたのかもしれない。後ろ手で扉を閉めて、私の隣に座る。
「鷹山! あんたねえ、千佳が中部に行っても良いわけ?」
「寒い中呼びつけられて喧嘩を吹っ掛けられる謂われはない」
「喧嘩じゃなくて叱りつけてんの」
「み……」
テーブルを彷徨っていた視線に、その言葉が終わる前に私は水を差し出す。少し驚いた顔をした鷹山さんが「ありがとう」とそれを受け取った。それからコートを脱いだ。
私は私で、先ほどとは違う真由の意見に驚いているけれど。
その半分ほど飲んだ後で、店員さんが私のピーチウーロンと鷹山さんの分の水とおしぼりを持ってきてくれた。一緒に鷹山さんがビールを注文する。
「じゃあ石井だったら行かないのか?」
「行くに決まってんでしょ。こんなチャンスないんだから」
「俺はどうそれを受け止めれば良いのか」
「そうじゃなくて。あんたは千佳の恋人なんだから、離れるのが嫌だくらい言えないわけ? 仮にも恋人なんだから!」
びしびしと音が鳴りそうなくらい人差し指で鷹山さんを指す真由を抑える。
「真由、飲み過ぎだよ」
「確かに千佳は行くべきよ、行かないとだめ。私達まだ若いし、仕事楽しいし、楽しめるときに何だってやるべきでしょ。勉強だってダイエットだって」
「行って欲しいのか、欲しくないのか」
「鷹山、戦う気あんの?」
「は? 石井と?」
「千佳ママでしょ!? 今の流れから言ったら!」
個室である意味がなされない程に、真由の声が大きい。しかもあまり良くない話の流れだ。強引に呼び出され、こんな風に言われるなんて、鷹山さんが怒るのでは……?
そろりと隣を見る。鷹山さんがこちらを見ていた。表情の見えない瞳だった。思わず尋ねる。
「……怒ってる?」
「まさか」
急な笑顔に、どきりとする。
それから腕を肩に回される。
「戦う気は更々ない」
「は?」
「寧ろ仲良くなるつもり」
真由はぽかんと口を開いて放心した後、テーブルをばしばしと叩いた。「千佳から離れろ!」と隣の隣の個室にまで大きい声が聞こえるまで、あと数秒。
真由と駅で別れて、鷹山さんとホームで電車を待つ。こうしていると、思い出すのは最初に真由と三人で飲んだ夜のことを思い出す。
「呼びつけて、ごめんなさい」
「あれは石井が勝手にやったんだって分かる。それにまあ、痛いところに噛みつかれた」
「そう?」
「俺も言った後からずっと考えてたんだけど、半年って長いな」
電車がきた。私は鷹山さんのコートの袖を掴む。一緒にそれに乗ると、鷹山さんが私の手を掬った。
「……行かない方が良いって思う?」
「それは思わない。半年は長いけど、それは俺の感想」
「私は一番に、長いと思った」
その話をされたとき、私はどれくらいここを離れるのかを考えた。離れたら会えない。当たり前のことだけれど、それが一番に心配で怖くて寂しいと思った。
「……離れたら、気持ちも離れちゃうかもしれない」
口から溢れるように言葉が落ちる。手の甲が撫でられた。
鷹山さんの家に入った途端、唇が重なった。私たちの身長差の場合、鷹山さんは屈まないとキスが出来ない。というより鷹山さんの身長では大体屈まないといけないらしく、腰を痛くするのも時間の問題だと言っていたことを思い出す。
「た、かやまさん、なか、入ってから」
「ん」
聞いてるのか聞いてないのか、頬に唇が当たる。それから急に足が地面から離れ、抱き上げられた。安定しない浮遊感に無意識に脚がばたつく。
「こ、おおおろしてください……!」
「んー」
「慶一さん! 聞いてます?」
「聞いてる」
器用に寝室の扉を開けてベッドに降ろされる。隣に座ってブラウスのボタンを外してくれる。外した先から見えた肌に唇が触れた。
「目の前の問題も解決してないのに、ずっと千佳さんと離れた時のことを考えてる」
鷹山さんの明瞭な声。私はそちらに目を向ける。
厚いカーテンの隙間から近くの街灯の光が漏れて、鷹山さんの横顔を照らす。
「泣きそう?」
「うん、泣きそう」
「泣かないで」
首の後ろに手を回す。抱きしめたのか、抱きしめられたのか。このまま溶けてひとつになれたら、と思った。そういえばどこかの魚に番いになると一匹がもう一匹にくっついてひとつになるものがいたなあ、とテレビで昔見たのを思い出した。
鷹山さんは温かくて、熱くて、やっぱり少しだけ泣きそうだった。
私は泣いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます