あさがくること


 同期会は日付を少し越えたところでお開きになった。


「すげー飲まされた。石井、家泊めて」

「自分の星へ帰れ、米沢」

「永尾ー、石井が冷たいー」

「千佳に近寄るな酔っぱらい」


 どちらもなかなかな酔い具合だ。明日は土曜日だけれど、大丈夫かなと真由の腕を掴みながら歩く。鷹山さんの方を見ると、他の人へ絡みに行く米沢くんを抑えている。

 二次会へ行くメンバーもいるらしく、店の前で別れた。米沢くんは行くらしい。大丈夫なのだろうか。

 鷹山さんは帰る方へ居て、もしやと問いかける。


「明日、休日出勤ですか?」

「いや、流石に無いです」


 苦笑いされた。真由がゆらゆらと左右に揺れている。肩がぶつかってくる。

 駅前はそれ程騒がしくはなかった。終電はまだだし、金曜の夜なので居酒屋内で賑わっているのだろう。

 知らないことばかりだったな、と思う。一人暮らしをして家事の大変さ、ごみの分別の仕方、洋服の選び方を知った。無い習慣を取り入れるのは本当に大変で、それは苦痛に等しかった。


「星、見えるねえ。というか、空気が冷たい」

「本当だ。オリオン座?」

「オリオン座の真ん中の三つの星にもちゃんと名前ついてるらしいよ」


 真由が空を仰いで話す。私も同じように空を見上げると、首元に冷たい風が入ってきた。


「なんて名前?」

「さあ? 鷹山なら知ってるんじゃない?」

「アルニタク、アルニラム、ミンタカ」


 すらすらと出てきた言葉に振り向く。

 涼しい顔をしている鷹山さんがいた。それは、答えた人が居なかったら怖いけれど。


「鷹山は博識だねー千佳チャン」

「うん、本当」

「軽く引いてない?」


 ケラケラと笑う真由と共に改札を通る。路線が違うのでここで別れた。鷹山さんとホームを歩く。

 冷たい風が通るたび首を竦めていると、鷹山さんがこちらを見た。


「寒くなりましたね」

「もうすぐ12月ですもんね。すぐに年末ですよ」

「年末か……ひつまぶし、いつ行きますか?」


 そうだ、ひつまぶし。


「鷹山さんが良ければいつでも」

「天皇誕生日はどうですか?」


 今の天皇誕生日は12月23日だ。クリスマスイヴの前の日。祝日だし、会社も休みだし、私の予定もない。

 大丈夫です、と答えれば、その日に決まった。ふと、クリスマスの日付が頭を過る。


「鷹山さんは、クリスマスは誰かと過ごすんですか?」

「……は?」


 強く返された言葉に、顔を見上げる。きょとんとした表情の向こうに、何言ってるのか分からないという思いが見えた。


「そうですよね、仕事普通にありますし。……ごめんなさい」


 何がその琴線に触れたのか分からず、謝る。私は今なにか、その穏やかだった水面を揺るがすようなことを言ってしまったらしい。

 クリスマスがいけなかった? 前の彼女との思い出でもあったのだろうか。無い頭をフル回転させて考える。しかし、無い頭は所詮無い頭なだけだ。


「そこまで言われると、脈ナシを突きつけられてるみたいで胸が痛くなりますね」


 その言葉に、私は考える。いや、考えなくても分かる。

 ホームに電車が参ります、とアナウンスが入る。私は鞄の取っ手を握った。


「あの、私」

「そういえばこの前、海獺の可愛い動画を見つけたんですよ」

「鷹山さん、聞いて」


 ください、という言葉が電車が来た音でかき消された。鷹山さんがこちらを見る。携帯を片手にして、来た電車の方を向いた。

 私が動かないと、鷹山さんも動かなかった。停まった電車の扉が開いて、光だけが漏れた。時間がくると再び扉は閉まって、電車は動いて行ってしまう。


「聞きたくありません」

「え」

「俺は長期戦だって言いましたよね。今、拒絶の言葉は聞き入れません」

「長期でやっても、意見が変わらないこともあります」

「じゃあ変えてみせます」


 日常のどの場面で、そんな言葉を使うところがあるだろう。

 私は思わず口を開いてしまった。鷹山さんが言うと、本当にできてしまいそうな、いや、やってしまいそうな気がする。私のことなのに、そんな風に思った。

 鞄の取っ手から手を離した。


「鷹山さんって、不思議です」

「俺から言わせれば永尾さんの方が不思議さは上ですけどね」

「急に怖い空気出すし、人の言いたいことに先回りするし」


 そう言えば、鷹山さんがきまり悪そうに肩を竦めた。

 自覚はあるらしい。


「なので、初めて永尾さんにボールペンを渡されたとき、とても驚きました。自分の行動を先回りされたのは初めてだったので」


 またホームに電車がくる。私は意識の外でそれを感じていた。鷹山さんが携帯を操作して、こちらに画面を見せる。視線をそれに注ぐ。

 海獺が顔を毛繕いしている動画だった。もしゅもしゅとふわふわした顔を手で揉んでいる。なにこれ可愛い……。


「永尾さんの顔がとても緩んでます」

「海獺かわいいですね……、あ、自分が似てるから可愛いって言ってるわけじゃないんですよ」

「それは言い訳ですか? 弁明ですか? 独り言ですか?」

「全部です」


 動画が終わり、鷹山さんが携帯をしまった。扉に私たちの姿が写る。


「ちゃんと、答えないといけないと思っていて」


 外の景色は変わる。真っ暗な夜は、どこまでも続いている。

 本当に朝は来るのか、と問うてみたくなる。


「石井に言われました?」

「どうして分かったんですか」

「なんとなく。ただ、迷惑だったら言ってください」


 神様か、それとも天使か。誰が答えてくれるだろう。


「鷹山さんと居ると、楽しいです」


 でも、私は知っている。長い夜はあるけれど、それは朝に必ず続いている。止まない雨がないと、誰かが言ったように。

 明るい朝が、必ずくる。


「俺は、永尾さんと居ると、たまに泣きたくなります」

「……泣きたく?」

「そう。前に、選択の上でここに立ってるって話をしたの、覚えてますか?」


 頷く。覚えている。教育する立場としてのアドバイスが欲しいと言ったときの話だ。

 私たちは様々な選択の上に立っている。私がここに立って、鷹山さんと話しているのも、私の選択の上。


「それがとても奇跡みたいなことだなと思って、泣きたくなるんです」


 電車の速度が落ちる。次停まるのは、私の最寄り駅だ。


「鷹山さん、泣かなくても大丈夫ですよ」

「いや、泣いてませんけどね」

「私がここにいるのは、そんな奇跡みたいなことじゃないんです。鷹山さんと居たいからいるんです」


 朝がくるのは、奇跡じゃないのだ、と私は主張していたい。



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