ひつまぶしの罪
社食が好きなのは、空いている場所が好きだから。
ああこれ、前に鷹山さんにも言ったっけ。
「こんにちは」
斜向かいに置かれたトレイにはラーメンが乗っていた。顔を見上げれば、鷹山さん。
「こ、こんにちは」
「お久しぶりですね、休憩室ぶり?」
「あー……た、確かにそうですネ」
「今日の永尾さんはぜんまい巻いてきてるんですか」
「エ」
「言動がカタコトなので」
まさか、私はぜんまい仕掛けではない。
「せめて電池にして頂けると……」
「いや生身になってくださいよ」
笑われた。いや、笑ってくれたの方が正しいかもしれない。
「いつもと座るところ違うんですね」
「はい、気分転換に」
いつも座る場所とは真反対に座っていたのに、鷹山さんは普通に私を見つけて斜向かいに座った。極めて普通に。
私は食べかけのきつねうどんを放置してこの席を移動してしまいたくなる。なんて失礼な、とも思うし、反対に私がそんなことを鷹山さんにされたらショックを受けると思う。しかし、こんな所を武藤さんに見られたり噂されたりしたら、と考えると。
箸を持ちながら暫し思案していると、鷹山さんの声がかかる。
「米沢と仲良いんですか?」
「え」
「この前、隣に座ってましたよね。営業の米沢と」
顔を上げると、鷹山さんはラーメンを見ていた。少しの違和感に、思い当たる。私が顔を向ければ、大体鷹山さんはこちらを向いているから。
「同期なのと真由と同じ大学だったみたいで、自動的に話す仲になりました。鷹山さんとも仲良いんですね」
「内定式の日に最初に話したのが米沢だったんです。……あの時、何話してたんですか?」
さすが米沢くん。真由と同じかそれよりも交友関係が広い気がする。同期で数人しかフルネームを知らない私に比べたら申し訳ないくらいだ。
あの時、と言われて考える。休憩室での話。
米沢くんの来年度の話か。でもきっと、あそこではぐらかしたということは、本当に内々の話なんだろうと思う。人事部にも降りてきてない話なのだろうか。
そう考えると、私も簡単に口にして良い話なのかと考え始めてしまう。いや、鷹山さんなら良いだろうと主張する悪魔と、鷹山さんだからこそいけないわと主張する天使が頭の中で掴み合いの喧嘩をしている。
「ノーコメントで」
「はい?」
「米沢くんに聞いてください。私の口からはとても言えません」
「すごく気になってくるんですけど。あの後どれだけ問い詰めても吐かなかったんですよ」
米沢くん……。あの時は居てくれて感謝したけれど、巻き込まれたのは私の方だったのかもしれない。と気付いたのは今更のことだった。
沈黙が重たい。こんなことは初めてだった。本当にきつねそばを放置して逃げ出したくなる。
「永尾さん」
「……ごめんなさい、やっぱり」
「ボールペン、どうしたんですか?」
「え」
テーブルの上を彷徨ってした私の視線が鷹山さんの方へ再度向いた。今度は鷹山さんも私の方を見ている。というか、私の胸ポケットを見ていた。
「机の上に、います」
「いるんですか」
「はい、います。元気にしてます」
「もしかして足が生えて机の上まで帰ってしまったんですか」
「……よくわかりましたね」
何も分かっていない。
言外に責められている、気がする。
私は冷や汗が酷かった。箸を持ち直してきつねそばを啜る。早く食べてここを出てしまいたい。
「永尾さん」
「……はい」
「ひつまぶしの美味しい店を見つけたので行きませんか?」
ひつまぶし。鰻の蒲焼を切り分けてお櫃にいれて、自分でよそって自分の好きな食べ方で食べる。薬味をいれたりお出汁をいれてお茶漬けにしてみたり。そういえば今年の土用の丑の日に鰻を食べそびれていたこと思い出す。
駄目だ千佳、自分を強く持たなければ。
「塩ひつまぶしというのもあるんですね」
「鷹山さんは、ひつまぶしが好きなんですか?」
急に鷹山さんの口から特定の食べ物の名前が出るとは。なんだか興味深いので尋ねてみた。
きょとんとした顔をして、鷹山さんは箸を置く。
「食べに行きましょうって話していたから」
ひつまぶし、と頭の中でワード検索をする。鷹山さんとひつまぶしの話をしたことなんてあったっけ。……私がおでんを食べた日に、鷹山さんがひつまぶしを食べたと聞いた気がする。
頬に熱が集まる。あの電話を思い出した。
「私、先に失礼します」
がた、と思ったよりも椅子が大きな音を立てた。そんなことに構っていられない。
「え、ちょ、永尾さん」
後ろから鷹山さんの声が聞こえるけれど、私は立ち止まることはなかった。
それから、やはり私は社食に近づくことはなかった。
今考えればそうだ。私たちに食堂以外の接点はなかったのだから。
真由からの視線が痛い。帰りのエレベーターで一緒になって、すごい見られていた。
「どうしたの?」
「鷹山が永尾さんに嫌われた、生きていけないって言ってたから」
「……嘘でしょう?」
それはこっちの台詞だ。鷹山さんの話を最後まで聞かずに私は逃げ回っているのに。
エレベーターに乗り込み、私は閉ボタンを押す。
「言ったの?」
「何を?」
「鷹山の告白、断ったの?」
「いや、ううん、そんな話は全然してないよ」
眉間に指の腹を当ててぐりぐりと押している真由。
「真由に教えて欲しいことがあるんだけど」
「うん?」
「鷹山さんと武藤さんて付き合ってるの?」
「……武藤って、あの受付の?」
知っていることがすごいと思う。……というか、木戸も知っていたし、もしかして知っている方が普通なのではと思い始める。
私は壁に肩をつけてその返答を待つ。
「直接聞いてみないと分かんないけど。私は違うと思う」
「……この前昼休み一緒にいるの見たよ?」
「あんたたちだって昼休み一緒にいるけど付き合ってないんでしょう?」
「それは、」
そうですけど。
うーん、と真由が考えている。何をそんなに考えているのか、私には想像がつかない。武藤さんのことか、鷹山さんのことか。
「私に聞いてくるってことは、その話は鷹山にはしてないんだよね? 断ったわけでもないし……鷹山に何かされた?」
「何か……何も、あ」
「あ?」
「米沢くんの話、しなかったからかな……」
「そういえば米沢から今度飲み行こうってメッセ来た。千佳もって」
「うん、この前会ってね。ちょうど鷹山さんも来て」
「え、米沢と何か関係があんの?」
「来年異動になるかもしれないって……うああ!」
エレベーターで良かった。すごく響いた。真由も目を丸くしてこちらを見ている。
「驚いた、何?」
「言っちゃった……」
「え? ああ、今の米沢が異動するかもってこと?」
頷く。エレベーターが開いた。真由が先におりて、私はその後に続いた。
受付には武藤さんはいなかった。会社を出て、真由がこちらを見る。
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