じゃあね、

あまいだけじゃ


 甘いものが食べたい。身体を巡る血が、糖分を欲している。


『ねえ、そんなに忙しいなんて、千佳ちゃんの会社ってブラック企業なんじゃないの?』


 口が半開きになった。

 確かに、私が忙しいことを理由にして実家に帰っていない。それが全て会社のことではない。

 電話の向こうの母は、自分で言うとそう決めつける。


「そんなことないよ、ちゃんとしてる」

『そんな所で友達なんて作っちゃ駄目よ。早く辞めて、こっちに帰ってくれば良いの』

「辞めないよ、私」

『千佳ちゃんは私が心配じゃないの? 私はこんなに千佳ちゃんを心配してるのに?』

「それは、心配だけど」


 歯切れの悪い返事。どうにかこうにか電話を切る。かかってきた電話に出たら、年末年始に帰って来なかったことを言われ、会社のことまで言われた。

 お昼の時間はずれるけれど、うちの会社はかなりホワイトだ。大体が定時に帰れるし、意地悪な先輩はいない。



 気付いたら、甘いものを買い込んで口に運んでいた。我に返ったのは酷い胸焼けを感じたからだった。コンビニの小さいプラスチックスプーンを置いて、口に運んでいたものを見る。チョコレートプリン。確かに滑らかな舌触りがする。

 う、と胃の内容物が喉の奥からせり上がってくる。立ち上がってトイレに駆け込んだ。何やってるんだろう、私。

 こんな風に吐くのは初めて。お酒で吐いたこともないし、最後に戻したのはいつだっけ。

 生理的に出る涙が頬を伝う。何してるんだろう、こんなの、勿体無い。漸く落ち着いて、流そうと手を前に伸ばす。あれ、レバーがない。あ。

 ここは私の家ではない。


「永尾さん、大丈夫?」


 後ろから名前が呼ばれる。同時に、横のボタンを押す。消化されなかったスイーツたちが流れていく。

 嫌な汗がぶわっと出た。振り向けない。


 会社終わりに二人でいることが多くなった。それは主に、鷹山さんの家の鍵を私が手にしたから。

 外で食べたり、時々私が作ったり、鷹山さんが作ってくれたりした。ほとんど入り浸っている。

 今日も私の方が早く終わったので、鷹山さんの家に帰っていた。その帰り道で母からの連絡があり、今に至る。

 つまり私は、他人様の家で馬鹿食いをして吐いているということ。


 泣きたい。いや、目から涙は出ているけれど、嗚咽も漏らしているけれど。


「まだ吐く?」


 たった今帰って来たのだろう鷹山さんが背中を擦ってくれる。謝らなくては。


「ご、ごめ、んなさい……」

「え、なに、どうした。毒でも飲んだ?」


 鷹山さんは勿論スーツ姿だったけれど、嫌がらずに私の隣にしゃがんでくれる。

 首を振る。腕と足に力を入れて立ち上がる。鷹山さんが支えてくれようとしたけれど、その手からすり抜けてリビングへ行く。後ろからついてくる足音。


「永尾さん?」


 私は袋の中に入ったコンビニスイーツのゴミを見て、そこへ食べかけのチョコレートプリンを入れた。


「……ごめんなさい、今日は帰ります」


 鷹山さんの顔が見れずに、自分の鞄とその袋を引っ掴んで立ち上がった。返事はなく、強行突破するつもりでいた。横を通って玄関に行く。行こうとした。


「こらこら、そんな蒼い顔してる人を帰せない」


 長い腕に捕まる。抱き寄せられて、腕の中に収まった。


「か……帰るって言った!」

「いや、帰らせない」

「鷹山さんにそんな権限あります!?」

「ここは俺の家なので」

「だから今から出るってば!」

「それ、何買ったの」

「鷹山さんに関係ない!」


 自分より大きい人との攻防戦には骨が折れる。持ってガサガサと鳴っていた袋が落ちた。私の鞄は肩から肘にずれる。

 鷹山さんは私を捕まえたまま、袋を拾う。とても器用な動きだったので思わずぼーっと見てしまった。


「返し……」

「全部食べた?」


 言葉に詰まる。見れば分かる通り、そのゴミは全部私がだしたものですとも。

 黙っていると、フローリングの上を引き摺られてソファーへ戻る。ぽすん、と音をたててそこへ座った。隣に身体をこちらに向けた鷹山さんが座る。


「これ食べたから気持ち悪くなった?」

「……はい」

「体調悪いとかじゃなくて?」


 頷くと、鷹山さんが項垂れる。それから溜息が聞こえた。


「それなら良いんだけど……。夕飯前にこれを食べたのと、さっき急に帰ろうとしたことは、関係してる?」


 黙っていると、鷹山さんは袋をテーブルへ置く。


「あるのか」

「……たべますか、チョコプリン」

「食べますけど」

「……電話が」


 右で左の手の甲を握る。喉の奥で詰まる言葉が出てこない。

 さっきまであんなに吐けたのに。

 肘下に鷹山さんの手が触れる。


「夕飯、作りますね。食べられる?」

「おなか、空いてます」

「丈夫な胃腸だ」


 なんでもないように苦笑して、鷹山さんがソファーから立ち上がる。行ってしまう。そう思った途端に、手を伸ばしていた。

 鷹山さんの手を握る。驚いた顔がこちらを向いた。その顔を見ながら、私も驚いていた。


「うあ!?」

「うお、びっくりした……てかさっきから思ってたんだけど、ちょっと声大きい」

「ごめん……なさい」


 咎めるのとはうらはらに、ははっと嬉しそうに鷹山さんが笑っている。


「このまま一緒に、キッチンまでどうですか」

「行けるかな」

「やってみなきゃ分からない」


 反対の手に抱き起こされて、ソファーから立ち上がる。繋いだ手はそのままに、隣に並んだ鷹山さんと歩く。その手から伝わる体温の違いに、私は違和感を覚えることはなかった。

 数歩行くとキッチンに辿りつく。


「行けた」

「うん」

「このまま一緒に料理を作ってみましょう」

「それ何の挑戦ですか。ちょっと楽しんでません?」

「すごく楽しい。このまま離れなくなれば良いのに」

「それは……困ると思う。お互いに」


 目が合う。ぱちくりと瞬きをして、「確かに」と鷹山さんが言った。

 お互いの手を見る。私は指を開いた。鷹山さんの指が離れる。


「それじゃあ夕飯を作ります」

「私も手伝います」

「ありがたいです、それは」


 手を洗っていると、冷蔵庫が開かれる音がした。鷹山さんがしゃがんで中身を見ている。きょとんとした顔のち、私の方を向いた。もしかして材料がない、とかだろうか。


「これはもしかして、俺の分?」


 指さされた冷蔵庫の中。私は水を拭ってその隣にしゃがんで見てみる。

 冷蔵庫の中段を占拠したそれは、私が先程食べていたコンビニスイーツの数々。


「……無意識のうちに買って入れてたのかと」

「無意識の永尾さんは俺と一緒に食べようと思ってくれてたということか」

「先に食べちゃいましたけどね」


 苦笑して言うと、鷹山さんが私の肩に手を置いた。すっと顔が近づいて、唇が軽く重なる。


「この分を今日一日では流石に消費できないので、一緒に食べていきましょう」


 笑う横顔に、私はこれから何度でも恋をするのだと思う。



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