うまく言えない


 外は寒かった。コートの合わせを重ねる。マフラーをしてくるべきか、もっと厚いコートを出すべきか。

 私が考えていると、真由が口を開く。


「来年ってことはまだ全然決まってないと思うけど。内々の話ってこと?」

「たぶん。なんか米沢くん、鷹山さんには言えないって言ってたから人事の人には言っちゃいけないんだと思って……真由に言っちゃった……」

「確かに私も知らなかったことだけど、どっちにしろ米沢は飲みの席で絶対口を滑らせるから関係ないでしょ」


 呆れたように溜息を吐く。これは私に対する溜息なのか、それとも米沢くんなのか。

 問うまでもなく、真由は携帯を取り出した。


「何するの?」

「鷹山も飲み会に呼ぶ」

「なんで!?」

「そして武藤さんとのことを聞く。そして千佳に何したのか聞く」

「そこに私もいるんだよね?」

「当たり前でしょう」


 ふん、と鼻を鳴らした、気がした。それは公開処刑と言っても過言ではないのでは。


「そしたら鷹山さんにも異動の話がばれるのでは」

「ふざけて教えてないだけだろうし、内辞が出るのももっと先だろうし。仲間内だけなら大丈夫だよ」

「人事部様が言うなら大人しく聞きます……が、鷹山さん来るなら私行きたくない……」

「なんで!」


 先程の私よりは小さいけれど、結構大きい声だった。真由が拳をぶんぶんと上下させている。どういう気持ちの現れなのか、分かるような分からないような。


「なんか気まずい」

「子供みたいなこと言ってないで、鷹山の誤解ときたくないの?」

「寧ろこのまま近づかないでいたいのですが」

「人生、そう簡単にいかないもんです」


 私の意見は一蹴された。






 本当に飲み会が設定されて、日付が決まった。しかも米沢くんの交友関係も相まって、何故か同期の集まりとなっていた。新人時以来の同期会だ。

 真由は「面倒になったから米沢になげちゃおっと」と言って幹事を米沢くんに任せたらしい。


「ということは、野久保さんも行くんですか?」

「野久保ちゃんはどうだろう」

「あたしはパスー」


 木戸と話していたら、ちょうど通りかかった野久保ちゃんが立ち止まる。この方こそ、広報部の唯一の同期、野久保ちゃんである。最近切ったベリーショートがとても似合っている。


「野久保ちゃんは来ないと思ってた」

「永尾も行かないと思ってた。行くの?」

「真由と米沢くんに呼ばれてるから。いちおう顔は出すよ」

「あたしの分も挨拶よろしく」


 髪の毛と同じようにさっぱりとした考えの野久保ちゃん。私も彼女も広報のくせに人との関わりに対して面倒だと思うことが多く、「生き残った二人がこれってやばいよね」と笑いあったことがある。

 行ってしまった野久保ちゃんの背中を見て、木戸は口を開いた。


「野久保さんって飲み会来ませんよね」

「うん、なんかお酒の席が嫌いみたい」

「なんか意外です。お酒強そうなのに」


 確かに強そうだけれど、私も飲んだ姿を見たことがないのでそれは想像にすぎない。というか、あまり野久保ちゃんとお酒の話にならないというかあまり話をする機会がない。両とも挨拶もするし仕事の話もするけれど、私生活の話に至るまでではないというような……。たぶん、野久保ちゃんも私も少し似ているところがある気がする。

 だからと言って、野久保ちゃんが鷹山さんに似ているとは思ったことはない。似ているって難しい言葉だな、と一人思う。


 そんなことを考えている内に、その飲み会はやってきた。億劫になっている行事を前に、仕事のトラブルはひとつも起きない。とても良いことなのに、何故か喜べない。いつもこうなら良いのだけれど。


「永尾さん」


 会社のフロントで真由を待っていると、声をかけられた。はっと顔を上げると、鷹山さんの姿があった。すぐに真由の差し金であることに気付く。

 思わず口を噤む。それを見て、鷹山さんも少し表情を固めた。

 ……かつてこんな気まずい沈黙が、鷹山さんとの間に流れたことがあるだろうか。


「石井がもうすぐ来ることを、伝えに」

「ああ、ありがとうございます」

「永尾さんも飲み会来るんですよね。じゃあ、また」


 笑顔を作る鷹山さんが手を挙げてこちらに背を向けようとしていた。


「え、一緒に行かないんですか?」


 肩にかかっていた鞄を掴む。きっと真由は気まずい私たちと一緒に向かおうとしているはずだ。それを見て楽しむ予定なのも透けて見える。

 くい、と鷹山さんの肩にショルダーストラップが食い込み、足が止まる。すぐに手を離した。


「ごめんなさい、痛かったですか?」

「いえ、大丈夫です。というより、一緒に行って良いんですか?」

「それは、寧ろ、こちらの台詞と言いますか……」


 受付の方をちらを見る。武藤さんは夕方のシフトには居ないらしく、今もいない。


「誰かいました?」

「武藤さんが」

「武藤さん? ああ、受付の?」

「はい、鷹山さんと武藤さんって付き合ってるんですよね。この前外で一緒に歩いてるの見ました」


 ぽかん、と鷹山さんが口を開けた。後ろでエレベーターが開く音がして、振り向くと真由がおりてきた。私たちの姿を見つけてこちらへ歩いてくる。

 なので、再び鷹山さんの方を見た時に、何故額を押さえているのか分からなかった。


「大丈夫ですか、何か飛んできました?」


 上空を見るけれど、天井に広がるのは電灯だけ。その眩しさに目を細めていると、鷹山さんの声が聞こえる。


「いえ、あの、永尾さんの斜め上の返答が飛んできて」

「え?」

「そういうことか……石井」


 丁度着いた真由の方を見る。急に呼ばれた真由はきょとんとした顔をして「うん?」と首を傾げる。私の方を見ても何を言われてるのか分からず、首を横に振る。分かりません、私にも。

 とりあえず三人揃ったので歩き出す。会社の外を出ると、冷気に身を竦めた。


「付き合ってませんし、名前も石井に聞いて初めて知りました」


 鷹山さんも同じように首を竦めていた。真由がその言葉を聞いて、納得したような顔を見せる。意味が分かったらしい。


「付き合って、ない……?」

「はい。一度、昼休みに外に出たときに、コンタクトを落としたところに呼び止められて一緒に会社に戻ったことならあります」

「……もしかしてそれ、その時、武藤さんは鷹山さんの裾掴んでました?」


 答えは肯。真由がこちらを見ている。そんなに見なくても分かったってば。

 完全に私の勘違いだったということになる。身勝手な理由で鷹山さんを避けていたことになる。私も額を押さえたくなった。


「誤解がとけて良かったね」


 するりと腕を絡めた真由がにこりと笑う。うん、と私は頷いた。



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