上皮組織の主張


 流石に日付を越えるまで飲むことはせず、11時少し前に解散となった。

 三人分の飲み代を鷹山さんは払ってくれて、私たちは各々お礼を言った。


「じゃあ帰りますか」

「そうしよー」


 三人揃って駅に向かう。明日は土曜日だから早起きしなくて良いや、と幸せに思いながら歩いていると、どこか見知った顔の女性とすれ違った。


「真由?」


 声のした方を見る。真由も口を開いて「久しぶりー!」と返している。私が見ていた女性とは全然違う人。駆け寄ってきて真由の前に立つ。

 鷹山さんは私の方を見て「知人ですか?」と尋ねるけれど、私が真由の幅広い交友関係を熟知しているはずもなく、曖昧に首を横に振った。


「あ、同期の二人なの。永尾と鷹山。それで、大学の時の友達、最上ね」

「初めまして。すみません、突然」


 きちんと頭を下げられたので、こちらも酔いの回った頭を下げた。

 最上さんもOLらしく、グレーのジャケットを着こんでいる。


「よし、二軒目に行こう!」

「え、ちょっと真由……」

「このまま帰るの勿体ないでしょ。久しぶりに会ったのに」


 完全に酔っぱらっている。私は掌を見せて降参を示す。今でも頭が半分以上働いていないので、これ以上は無理だ。

 行くなら三人で。と思ったけれど、鷹山さんも小さく首を振った。


「明日休日出勤なので……」

「え、本当ですか? 大丈夫ですか?」

「午後からなんで大丈夫」


 敬語が取れている。本当に大丈夫なのか。

 ということで、申し訳ないけれど酔っぱらいは最上さんに任せて私たちは駅へと進んだ。ちなみに最上さんは慣れているようで、「大丈夫ですよ」と笑顔で言ってくれた。

 駅への道は、殆ど歓楽街のようなもので、居酒屋が立ち並んでいる。金曜日なのもあって、やはりサラリーマンが多い。ちょうど二次会に向かうのか、チェーン店から客がぞろぞろと出てくる。

 お疲れさまです。また一緒に仕事したいです。たまには遊びに来てくださいよ。

その会話を聞いて、なんとなく送別会だったのかもしれないと予想をする。はっと気づくと、鷹山さんの背中が遠くなっていた。

 一緒に帰らないといけないとか、そんなことはないけれど、鷹山さんが見えなくなって一気に心細くなる。まるでカルガモの子供みたいだ。

 相当酔いが回っている。


「大丈夫ですか?」


 ぱしっと、手を握られた。

 それから、人混みを上手にかわして歩いていく。

 鷹山さんの手は冷たい。私の手は、熱い。その体温の差が、私の小さな心臓を侵食していく感じがした。

 人混みを抜けて、抜けた後も鷹山さんは私の手を離さなかった。


「……かやまさん、鷹山さん!」


 呼んで、同時に足を止めた。鷹山さんも同じように足を止めてこちらを振り返った。何事かと思ったのだろう。目を丸くさせている。


「すみません、手を……手を離してもらえませんか」


 恐怖が勝って、私はそれを告げる。するりと手が離された。


「こちらこそすみません。不快にさせて」

「違うんです、鷹山さんが生理的に無理というかそういうことではなくて」


 握られていた手をおろす。鷹山さんは私を見下げていた。

 本当に背が高い。そして細いな、と思った。

 きっと食が細いからだ。きっと食に興味がないからだろう。

 私の作った料理を美味しいと言ったのも、女子大生が犬を見て可愛いと言うような気安さで、だ。もしくは反射。どこかで、女の作った料理はなんだって美味しいと言っておけと習ったのだろうか。

 この人はあのまずいラーメンだって、私の作った料理にだって、同じ美味しいという評価をつけるのだ。

 そう思うと、なんだか悲しくなって、それが自分に向けた悲しさなのだと気づいて、自己嫌悪に陥る。私は結局悲しい自分でいたいだけだ。鷹山さんを使って。


「手を繋がれるのが、怖いんです。相手が誰でも」

「手を?」

「はい。手を握られるのだけが、怖くて……」


 それが理由で別れたこともある。それって本当は俺のこと好きじゃないんじゃないの、って。

 私はごめんね、と謝ることしかできなかった。


「こちらこそ、不快にさせてすみません。帰りましょうか」


 頭が痛い。鷹山さんにはどうでも良いことを喋りすぎてしまう。

 駅を前に立ち止まってする話でもない。私が歩き始めると、鷹山さんも隣を歩いた。静かになってしまった空間を埋めるように、口を開く。


「そういえば、前に鷹山さんが水族館の海獺は手を繋いで眠ることもあるって言ってたじゃないですか。私には無理なので、やっぱり似てないと思うんですけど」

「……似てますよ」

「手が小さいところと……もしかして可愛いところですか?」


 冗談まじりに言ってみる。お互い定期を持って改札を抜ける。


「違います」

「えー……」


 少しはのってくれると思っていたのに。鷹山さんとは同じ路線だった。そういえばうちの最寄りの上り方面なんだっけ。

 ホームの列に並ぶ。隣に立つ鷹山さんは、私の存在に気付いてないように前を見ている。


 彼女のことでも考えているのかな。




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