溺れないように
カレンダーを破った。そういえば日付を跨いでいたんだっけね。なんて、現実逃避も甚だしい。
とりあえず鷹山さんを家に入れて、真由に電話をかける。
『もしもし、どうし』
「聞いてない、聞いてないんだけど!」
『なに、言ったじゃん。泊まらせてって』
「女子だって思ってたもん」
『大丈夫、襲ったりしないから。落ち着いて考えてみて、千佳』
どこが落ちついてられるかあ!
と、怒鳴ってしまいそうになるけれど、深夜だったことを思い出して止めた。それにリビングには鷹山さんが居る。
『あと数時間で電車は動くんだよ。そしたら鷹山を追い出せば良いの、出てかなかったら警察呼べば良いの、ね?』
「いや、そんなことしなくても出てくと思うけどさ……」
『はい。じゃあ大丈夫。おやすみ』
また一方的に切られた。
腹を括ってリビングに戻る。鷹山さんは酔いが回っているのか、遠くを見つめていた。
「……水いりますか?」
「すみません、ください」
聞くところによると、鷹山さんも私が男であると思って来たらしい。誰だって自分に紹介される宿泊先が異性の家だなんて思わない。
冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターをコップに注いで、テーブルに置く。鷹山さんはそれを一気に飲み干した。良い飲みっぷりだ。
「……寝ますか?」
「寝ます」
私ばかりが一方的な被害者の顔もできないこの状況で、特に共通の話題があるわけでも、素敵な社交性があるわけでもない。
私は寝室へ行き、収納スペースから昔使っていたマットレスを出した。
「ここで良いですか?」
「いや、廊下とかで良いですよ」
「流石に風邪ひくと思います」
何もかけられていないハンガーを手渡す。鷹山さんはそれを受け取ってきょとんとした顔をした。
「ジャケットを」
「どうも」
「あ、歯磨きますか?」
新品の歯ブラシならある。洗面所の引き出しから自分のいつも使う歯ブラシを出した。これ、と振り向けばすぐそこに鷹山さんがいた。驚いて歯ブラシを落としたのを、素早くキャッチされる。
「あ、すみません」
「いえ、歯ブラシは大丈夫なので、永尾さん。お手洗い借りて良いですか?」
「はい。出て右です」
ありがとうございます、と言われて歯ブラシが返ってきた。引き出しにそれを戻して私も洗面所を出る。なんだか、部屋に他人がいるって圧迫感がある。
寝室へ行って私が今使っている毛布より厚いものか、夏まで使っていたタオルケットを見比べて、タオルケットを出した。鷹山さんが戻ってくる。
「失礼します」
「タオルケットで良いですか?」
「はい、お構いなく」
「じゃあ、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
私はベッドに寝転び、リモコンで電気を消した。
そして時間は、冒頭に戻る。
起き上がり、足音を立てずにリビングへ行く。テレビをつけて、ニュースにまわす。小さい音で天気予報を聞いた。今日は土曜日だ。早起きする必要はないのに、いつもの癖で目覚ましをかけてしまった。だからといって二度寝できる心境ではない。
ぴーぴー、とご飯の炊ける音がする。昨日の夜、冷凍ご飯が底をついたので、ご飯を沢山炊いていたのだ。ぱかっと蓋を開けると、ふわりと炊かれたお米の香りがする。お味噌汁と、卵焼きと、一昨日つけた紅白なますで朝ごはんは決まり。
お鍋と卵焼き器を出す。この卵焼き器は銅製で、地元のリサイクルショップで安く手に入れた。味噌汁と卵焼きを作っていると、寝室の引き戸が開けられる音がして、振り向いた。
「あ、おはようございます」
「……はようございま」
最後まで聞こえなかった。すごい顰め面。
「大丈夫ですか? お味噌汁なら飲めますか?」
「大丈夫です。お邪魔しました、帰ります」
「鷹山さん、ご飯食べないと死にますよ」
私はさっきベッドの上から鷹山さんを観察していて思ったことがある。鷹山さんは細い。身長が高いのもあるけれど、横が伴っていない。ジャケットを脱ぐと腰回りが女子かってくらい細い。
「……死なないですよ」
「社食のラーメンほど不味くはないので。ご飯食べないと元気出ませんよ」
「それ言われたの、永尾さんで五人目です」
五人目。どんだけ言われてるんだ、てゆーか、どんだけ言われても直さないのか。
「あのラーメンまずいって」
「そっちかーい!」
「え」
「あのラーメン食べてるの、鷹山さんだけだと思います」
私は言いながら、ご飯を盛った。鷹山さんは観念したようにローテーブルの前に座った。その前に味噌汁と卵焼き、なますを出す。そして、箸。
「いただきます」
「いただきます、どうぞ」
もぐもぐと咀嚼する音。
「美味しいです」
「そうです……うん?」
卵焼きをぱくりと食べた姿を見てから、私も卵焼きを頬張る。その味に眉を顰めた。
「う、これちょっと塩っぱかったですね。すみません、食べないでください」
「そうなんですか?」
「そう……ですよ?」
無理矢理食べさせてこれは申し訳ないな、と思いながら卵焼きを下げる。なんだか違和感の残る会話に首を傾げながら、自分の分を咀嚼する。
静かな空間に耐えきれなくて、テレビの音を大きくする。ちょうど地方の朝市でパンを売っているところが映っていた。
「鷹山さん、お酒は強いんですか?」
「弱くはないと思います」
「好きな料理は何ですか?」
「何でも食べます」
「いえ、好きな料理です」
言及するかたちになってしまった。鷹山さんはこちらを見て、少し困ったように笑う。それから「ごちそうさまです」と言った。
あ、はぐらかされた。
「すみません、本当に帰ります」
「あ、はい」
きちんと皿をシンクに下げてくれた鷹山さんはジャケットを着て、その細い胴回りをカモフラージュして、私の家を出ていった。外はもう明るくなっていた。
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