1コインランチ


 真由が最初に口にする言葉は想像できた。


「鷹山と飲みに行ったんですって?」


 口の形が「た」となったところでそれは絶対に変わった。

 私は酢豚に箸をつける前にぴたりと止める。真由は箸も持たずに頬杖をついてこちらをじっと見ていた。


「……はい」

「それで?」

「それで?」

「それでどうなったの?」

「あ、鷹山さんの元彼女の話を聞いたよ」

「え、元カノ? どうして元カノ? もしかしてヨリ戻したの?」

「それは言ってなかったけど。どうして別れたかったんですかって聞いたら、話してくれた」


 は? と真由は眉を顰めながら首を傾げた。理解し難いという顔。

 私はついに酢豚へ手をつけた。ああ美味しい。最近風邪が完治して、鼻がきくし味もわかる。鼻に抜ける黒酢の感じがとても良い。


「なんで聞いたの?」

「気になったから?」

「千佳は、鷹山のこと好きじゃないの?」

「んー」


 考えながら真由の油淋鶏を見た。早く食べないと冷めてしまうのに、真由は箸を持つ気配はない。


「好きじゃないよりも、嫌いじゃないって表現の方が合ってるかな……」

「……そっか」

「恋愛ってすごいよね。誰かを好きになるってさ」

「どうしたの、高校生みたいなこと言って」


 真由が箸を持って油淋鶏を摘まんだ。今日は久しぶりに真由と昼休みの時間が被った……つまり私の昼休み時間が早くとれた為、会社近くの中華屋でランチとなった。行ってみたいね、と二人で話していたのでこの機会に行くことにした。

 ワンコインランチって本当、世の中の社会人に優しい。千円を超えるようなランチも美味しいのは分かるけれど、お洒落よりも美味しさと安さを取れるのも魅力だと思う。


「学生の時とか、好きになったし付き合ったりもしたけど、今になって思うとそれって本当に好きだったのかなって感じがして」

「好きじゃなくて何だったの?」

「承認欲求とか」

「えー、でもさ、恋愛の中には少なくともそういうの入ってると思うけどね。承認欲求、自己顕示欲、下心。自分に対する認識って自分じゃない誰かにしか出来ない部分だし」

「それっばかりじゃないでしょう? 相手を思いやるとかも」

「確かに。それが一番大きいかも」

「私は自分のことばっかりだったからさ……なんか、改めてすごいことなんだろうな、と思ってみたり」


 今年の誕生日を過ぎればアラサーだ。今年の春に少ない友人の一人が結婚をした。相手は高校のときの先輩だと聞いた。フラワーシャワーを浴びて笑顔を見せる彼女を見て、嬉しいと思う反面、少し寂しいような気持ちになった。

 諸行無常という言葉があるように、いつの時も何ひとつとして同じものはない。それが少し寂しい、なんて。


「だから、尚更、鷹山さんてすごいなと、思ったり」

「もしかして自分にはもったいないとか、」

「ううん、そういうんじゃなくて。なんか鷹山さんと話してて思ったんだけど、私の感情って独立してることが多いんだよね」


 自分と他人で、同情が湧かないのもそれのひとつ。そして、自分の中でも感情が他の感情に作用しない。


「どういうこと?」

「なんていうのかな……、例えば私の買ったプリンを真由が勝手に食べちゃったとするでしょう。そしたら、私はきっと怒る」

「絶対怒る」

「でも、次に真由に話しかけるとき、私は怒ってないの」

「感情が長続きしないってこと?」

「ううん、プリンの話をされたら怒る」

「ふむ、何となく分かった。千佳の感情はファイル別みたいな感じ?」


 そうそれ、と声が大きくなってしまった。とても良い例えをする。流石真由だ。


「ああ……分かるかも。千佳って切り替えが早いもんね、そういうことか」

「良い言い方をすると、そうかもね。ということで、鷹山さんに対して引け目を感じてるってことは無いです。一緒に居て楽しいし」

「私とは?」

「真由というのは、もっと楽しい」

「やったー」


 ふふ、と真由が照れながら笑う。そんな可愛い真由を見て、本当に出会えて良かったなと思う。神様、私を真由に会わせてくれてありがとう。

 人には言えないけれど、私は結構、神様とか天使を信じてい。信じるものは救われると言うし。

 食べ終えて、レジ前まで来ると前の人がお会計をしていた。後ろでお財布の中を見ていると、ポケットに入れたPHSが震えているのに気付く。裾原さんからだ、何かあったのだろうか。


「ごめん、お会計任せて良い? ちょっと電話」

「うん、行ってらっしゃい。緊急だったら先に戻って良いよ」

「ありがとう」


 真由にお金を渡して、店の外に出た。裾原さんに折り返し電話をかける。


「出られなくてすみません、永尾です」

『折り返しありがとう。休憩中悪いんだけど、木戸が担当してる石間さんから連絡あった』

「はい。……何かありましたか?」


 それが木戸だけでなく私にも通さねばならない理由としてトラブルが挙げられる。そして、裾原さんの声の深刻さだ。


『昨日までに提出の資料が足らないと』

「昨日ですか? 私も目を通しましたけど、ちゃんと揃っていました」

『追加資料が必要だったらしいんだが、それがきっちり抜けてたらしい』

「うわ……」


 石間さんを思い出す。以前から付き合いのある商社の方だが、自分にも厳しくて他人にも厳しい人だ。私の超個人的な意見としては、出来れば負の感情であまり関わり合いになりたくない。

 仕事の出来る人が皆、他人に柔軟なわけでも穏便なわけでもないのだ。本当に、私は仕事が出来て優しい人に恵まれている。


『そして先方が、かなりお怒りだ。あ、木戸が帰ってきた』

「すぐに戻ります」


 そう言って電話を切った。丁度店から真由が出てくる。こちらを見て、何かを察知したらしい。


「トラブル?」

「うん、お会計ありがとう。戻るね」

「私も一緒に戻ろうっと。早足ね」

「ヒールだけど大丈夫?」

「朝、遅刻しそうな時はいつもこれで階段を駆け上がってますから」


 親指を立てて、にかっと笑う真由。なんて心強い。



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