善は急げの法則
腕時計を確認した。私は最近社食が混んでいる時間に来て、ランチを食べ続けている。もしかしたらきつねそばが明日にでもなくなってしまうんじゃないかと思って、毎回食券を確認しているけれど、なくなる気配もない。
あのラーメンもまだ健在だ。
ふと考える。鷹山さんの味覚が正常に戻ったら、あのラーメンを食べなくなるのだろうか。そうしたら本当にラーメンはなくなるかもしれない。
何の心配をしているのだろう。
鷹山さんがこっちに帰ってきたと真由に聞いてから、私はあらゆる手を尽くして、接触を避けている。社食の時間をずらしたり外へ食べに行ったりコンビニでサラダパスタを買ったり。そして朝も寝坊せずに各駅停車に乗っている。
理由は簡単。めちゃくちゃ恥ずかしいからだ。私用でかけてきた電話で泣いていたなんて、ぐずぐずと自分のどうでも良い話をするなんて、私の人生史上初めてだった。というか、初めてとかいらないので記憶から消して欲しい。そういう方法はないか、とネットで検索してしまうほど迷走していた。
そんな迷いから立ち上がり、私は鷹山さんを避けて自分を保つことを決めた。
昼食から戻ると、机の上に修正資料が乗っていた。木戸はお昼に出ていったらしい。私はそれに目を通していると、裾原さんに呼ばれる。
「社内広報の記事、次の号頼めるか?」
「はい、大丈夫です」
よろしく、と手が挙がる。外への発信は勿論必要だけれど、内への発信も広報の仕事。社内広報は隔月発行。本社だけでなく、近隣店舗にも配布される。記事を作るのは広報部で順番に回している。
毎回、各部署にインタビューに行くっている。今回はどこかな、とファイルを捲った。
「じ、人事……」
「採用の方だ。知り合いいるか?」
「いえ……」
真由は労務関係で、確か鷹山さんは教育関係だった。人事に知り合いはいるけれど、広報よりも人間が多くて多分顔も知らないひと居そう……。
しかも今の状況で人事部行くのか。気まずい。というか正直行きたくない。
「その微妙な顔は何?」
「……人事部へのインタビュー、次の号と交換できませんか?」
「来月号は年度末だからトリとして社長へのインタビューだけど」
「遠慮しておきます」
採用の人たちってあんまりオフィスにいない、気がするんだよね。真由に聞いてみて、自分の仕事の合間にお邪魔するしかない。
よし、善は急げ。廊下を出てPHSで真由へ連絡する。
『はい、石井です』
「永尾です。今大丈夫?」
『大丈夫だよー。どしたの?』
「採用関係でさ、インタビュー受けてくれそうな人に心当たりありません?」
んー、と電話越しに真由が考えている。こういうことに関して、真由は適任だ。人間関係を見誤ることはない。私の家を鷹山さんに紹介したみたいに。
『ちょっと待って、予定確認してくる』
「よろしくお願いします」
『あ、鷹山が帰ってきたからちょっと代わるね』
……え?
電話の向こうと声が被った。千佳だから、話繋げといてー。ちょっと待て、石井。
『あーすみません、鷹山です。PHSを押し付けられました』
「……ええと、こちらこそ」
『永尾さん、最近会いませんね』
「そう、ですね。お昼が合わないからですかね」
白々しい。自分で言っていて思った。合わないのではなくて私が合わせないのだ。いや、どうなんだろう。意外に鷹山さんも面倒だなと思って私を避けているかも。
『明日は昼どれぐらいに取れます? 買ってきた土産を渡したくて』
「はっ……! ういろう」
『はい、ういろうです』
「明日必ず社食に行きます。きつねそばが恋しくなってきたんです」
そこでちょうど真由が戻ってきたらしい。代わって代わって、と声が聞こえる。
『お待たせ。メモできる?』
「うん、大丈夫」
ポケットからボールペンをだして手の甲へとメモした。
きつねそばの食券を出すと、調理員のおばさんが「あら」と声を漏らした。
「きつねそばひとつねー。最近食べないからブームが去ったのかと思ってたわ」
「結局戻ってきちゃいました」
まずまずの味のきつねそば。トレイに乗せて、席に運ぶと既に鷹山さんがいた。
「こんにちは、お久しぶりです」
お土産につられてほいほいと来てしまったけれど、そういえば私、恥ずかしいから鷹山さんを避けて回っていたのだった。顔を合わせると、その恥ずかしさが戻ってくる。
きつねそばを持ち、立ったまま固まる私を見上げて、鷹山さんは目をパチクリさせる。
「永尾さん?」
「あの、鷹山さんに、あの電話を忘れてもらいたくて……」
「電話」
「……泣いてグズグズ言ったやつです」
「もしかして、それで避けてました?」
ぎぐ、と図星をつかれる。ああ察しが宜しくて……。
私は視線を泳がせつつきつねそばをテーブルに置く。いつもの通り、ピークを過ぎた社食に人は少ない。
「……はい」
「永尾さんって素直……というか、あんまり取り繕わないですよね」
「鷹山さんには見抜かれると思うので。……忘れてくれます?」
「忘れます。俺は永尾さんの好きなういろうの味は知りません」
「そ、そっちじゃない……!」
パクパクと口を開閉させていると、笑われた。もういいや、と思って椅子に座る。
鷹山さんは紙袋をこちらへ押し差し出した。
「永尾さんの好きなういろうの味、何が良いか分からなかったので、てきとうに選びました。口に合うと良いです」
「……ありがとうございます」
唇を尖らせたは良いものの、ういろうに罪はない。紙袋の中を見ると、ういろう……と何か見たことのある箱。
「これはもしや」
もしやもしや、と取り出して慎重に箱を開ける。
紺地に赤い花のボールペン。私が九州土産で鷹山さんに買ってきたものと同じシリーズもの。
「とても可愛いです……!」
「永尾さんに似合うと思って」
「ありがとうございます、大事に使います。ういろうのお金は払いますね」
お財布を開くと鷹山さんはぎょっとした顔をする。
「え、何故」
「私も真由を見倣って友達割は使わないことにしてますので」
「石井なら絶対俺に金払わないと思いますけどね」
「二人は信頼し合ってるからなー」
「俺も永尾さんのことを信頼してますので、その財布を速やかにしまってください」
全然受け取ってもらえないので、結局財布をしまった。ボールペンを胸ポケットにさす。鷹山さんの方を見ると、スーツの胸ポケットにもボールペンがささっていた。
すぐに胸ポケットからそれを出して箱に戻す。
「机のペン立てに入れます」
「気付きませんよ、誰も」
「……じゃあ持ち歩きます」
箱から取り出して胸ポケットに戻す。
その動作を見て、鷹山さんは苦笑する。忙しなくてすみませんね。
家に帰ってきて食べたういろうがとても美味しかった。私の甘いものコレクションが増えた。
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