嘘つき村の住人


 金木犀がいつの間にか散った。通りに鏤められた橙の小花たちが香りを放っている。雨が降ったら、きっと流されてしまうのだろう。

 散ったものが美しいと気付いたのは誰だろう。



 駅前で時計台を見上げる。待ち合わせ時間十分前。でも既に鷹山さんの姿はあった。

 何かが通じたのか、ぱっとこちらを向いて手を挙げた。背が高いので、手を挙げなくても分かります。小学生が横断歩道を渡るみたいに挙げているわけではないけれど。


「お待たせしました、こんにちは」

「まだ時間前ですから。こんにちは」


 なんだかんだ、初めて鷹山さんの私服を初めて見た。黒のスキニーと、グレーのインナーにシングルライダースジャケットを羽織っている。スタイルの良い人が着ると、なんでも似合ってしまうのが羨ましい。ブランドかどうかは私にはよく分からない。


「あんまり変わらないんですね」

「はい?」

「洋服。いつもオフィスカジュアルなんですか?」


 鷹山さんはそう言って私の方を見下ろす。自分の足元からスカートからトップスを見ていく。


「……変わり映えしなくて」

「いや、勝手に感想を述べました。すみません」

「あんまり休日に出るわけじゃないので、会社に着て行くもの以外私服がなくて」

「男はスーツ着てネクタイ締めてれば良いですけど、女性は揃えるの大変そうですもんね」


 大変というほど、私は洋服にも興味ないけれど。それを言って反応を困らせるのも申し訳なく思って、曖昧に頷いた。

 鷹山さんの指さす方向へ歩き出す。


「好きなブランドとか、あるんですか?」

「ブランド? ロイズとかとらやとかですか?」

「ろい……食べ物ではなく」

「あ、ファッションの」


 はっと気づき、話の脈絡の読み取れなさに絶望してしまう。もう洋服の話は終わったと思っていた。だからと言って、どうして勝手に食べ物に移してしまうのだろう。

 早々に帰りたくなる。なんか鷹山さん、肩を震わせているし。


「お腹、空いてます?」

「鷹山さん、笑ってる」

「すみません」

「謝ってばかりです」

「……すみません。こう、緊張していて」


 顔を上げる。緊張って。

 でも、鷹山さんはこちらから顔を背けていた。笑っているに違いない。


「緊張とかするんですか? 想像がつかないです」

「しますよ、大勢の前で話すときとか……いや、今してますって」

「鷹山さんはもしかして嘘つき村の住人ですか?」

「まさか。俺の村は正直村です」

「嘘つき村の住人も同じこと言いますよ」

「……確かに」


 はっとした顔をしてこちらを向いた。目が合う。なんだか私も可笑しくて笑ってしまった。鷹山さんが肩を竦める。


「俺の村が嘘つきか正直かは一旦置いておいて。永尾さん、お腹は空いてますか?」

「ぺこぺこです」

「その表現する人に初めて出会いました。可愛いですね」


 さらりと言われた「可愛い」にどう反応すべきか迷う。そんなことも構わず、鷹山さんは前を向いてしまう。


「店あそこなんですが、良いですか? いわゆるイタリアンバルってやつです」

「イタリアン好きです」

「永尾さんの好物は何ですか?」

「なんでも食べますけど……強いていうなら、卵焼きですかね」


 店の看板には温かい色の電気が点いていた。鷹山さんが扉を開けて待ってくれる。私は頭を下げて先に入れてもらった。

 土曜の夜だけれど、中は落ち着いた雰囲気だった。店員さんがすぐに来て席に案内してくれる。椅子に座ってメニューを覗きながら、思い出した。


「鷹山さんの好きな物は何ですか?」

「前にも聞かれましたけど、何でも食べます」

「味覚がそうなる前は、何を好んで食べていたんですか?」


 言い直すと、正面に座った鷹山さんの表情がぎくっと固まるのが分かった。ああ、何か痛いところを突いてしまったらしい。いや、意地悪を言った。今の私にはその自覚がある。

 この前の卵焼きのときだって、同じだった。


「答えたくないなら、別に……」

「卵焼きです」

「……嘘?」

「本当」


 疑ってかかると、苦笑いされた。確かに、今の流れで自分の好物を言うのは言い難かっただろうな、と思う。


「私と一緒だ」

「はい。避けようと思った問いでした」

「卵焼きは鷹山さんの中で譲れないものじゃないんですか?」

「今となっては」


 それは、"なにかがあって"の今だろうか。

 私はメニューで一番大きく載っている写真を指さす。零れ落ちるチーズが美味しそう。


「私はマルゲリータが食べたいです」

「分かりました」

「ワイン、よく分からないのでカクテル飲んで良いですか?」

「好きなものをどうぞ」


 ピーチフィズと鷹山さんのレモンサワー。あとはマルゲリータ、パスタとサラダ。

 いちおう乾杯をして、それから食べ物に手をつけると黙ってしまった。チーズのびる、美味しい……と思いながらそれに気付き、正面を向く。

 鷹山さんもこちらを見ていた。


「美味しいですか?」


 尋ねられて、頷く。取り分けた皿に乗ったパスタはあまり減っていない。口に合わなかっただろうか、と聞こうとして止まる。

 それに気付いたように、鷹山さんは視線を動かした。


「どうして、彼女さんと別れたんですか?」


 咄嗟にでた言葉がそれだった。はっと後悔したのはもう遅い。


「おお」

「おおって、永尾さんが聞いたんですよ」

「いえ、なんてデリカシーのない質問の仕方をしてしまったんだろうって後悔しているだけです」

「オブラートに包んでも質問の内容は同じなので、俺は気にしないです」

「……鷹山さんには、強靭な芯がありますよね」


 ずっと思っていたそれを言う。恋人の話よりずっと言葉に出したかったそれ。

 鷹山さんはフォークを置いて、こちらを見る。


「芯?」

「自分の中で絶対揺るがないものを持っているなと」


 私はフォークの先を見ていた。光が反射して一点だけ光っている。


「私も、そういう芯が欲しいんです。鷹山さんや真由を見ていると、羨ましくなります」

「毎朝、確認すると良いですよ。自分の中の絶対を」


 そう言って鷹山さんは続ける。


「それはね、呪いみたいなもんなんです。呪いは解けるでしょう。だから、かけなおさないといけない」

「鷹山さんも?」

「はい。毎朝自分を騙して、一日乗り切ってます」


 そんなリアルな意見が聞けるなんて。自分に呪いをかける鷹山さんの姿を想像して少し笑う。


「明日の朝から、私も嘘つき村の住人になりますね」



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