毛布に絡まる


 膝を抱く。お風呂からあがった鷹山さんが顔を上げる。

 いつしか見た風景。いや、構図。

 最初に鷹山さんがうちに来たときだ。あの時、私も鷹山さんもお互いをまさか異性だとは思っていなかった。


「寒くないですか?」


 なんとなく夕飯も一緒に食べることになって、それなら泊まっていきますかと誘ってみた。帰ろうとしていた鷹山さんは少々驚いて乗ってくれた。

 泣く男の人を初めて見た。

 だからかな、こんな寒いなか、一人で帰してはいけない気がした。


「はい。というよりも俺の方が毛布の数多くないですか?」

「鷹山さん、細いから。寒そうなんです」

「これからちゃんと元に戻すつもりです」


 もう涙の跡はなく、鷹山さんは少し気まずそうにして目を逸らす。私のベッドの下に敷いたマットの上に座り、胡坐をかいた。それから、私の方を見る。

 大丈夫だと言った傍から、味覚が戻るなんて、奇跡のような出来事。

 それを目の前にして、あんなに慌てることしか出来なかった私って。


「今日味覚が戻るなら、尚更ひつまぶしを食べに行けば良かったですね」

「いやそんな、予定されてたわけじゃないので」

「冗談です。でも、私が作ったものじゃない方が良かったなと」

「永尾さんの卵焼きが、良かったです。というか、たぶん……」


 鷹山さんが言い淀む。私は言葉を待つ。


「ここに来て、永尾さんの作ったものを食べられたから、戻ったんだと思います」


 目をパチクリさせてみる。というのも、照れるのを隠すため。

 でも顔が綻ぶので、膝に突っ伏す。


「そうやって私のことをヨイショしとけば良いと思って」

「思ってませんよ」


 少し笑っている気配。私は顔を少しだけ上げて、小さく息を吐く。

 鷹山さんがコートのポケットから携帯を取り出して確認をしていた。所持していたものは、携帯と財布と家の鍵のみ。


「仕事のメール、返して良いですか?」

「はい、どうぞ」


 わざわざ確認を取るところが鷹山さんらしいな、と思う。座ってメールを打っているその姿を見て、私は足を伸ばす。


「鷹山さーん」

「はーい」

「私、鷹山さんのこと、好きです」


 鷹山さんが携帯から私へと目を向ける。


「あ、こっち見た」

「は?」

「私、欠陥品なんです」

「永尾さんは物じゃないでしょ」


 すぐにそう返ってきたことに、驚いた。携帯を枕元に一度置いて、次は鷹山さんが膝を抱く。


「永尾さんの欠点ならひとつ知ってます。とても重要な話の次に、何故か全然関係ない話を続けてくる」

「……欠点と欠陥」

「欠点は補えますけど、欠陥は補えません。永尾さんはその欠点を補う良いところを沢山持ってる」


 やっぱり、鷹山さんはどこかに国語辞書を隠しているに違いない。その脳味噌の中に。


「で、全然関係ない話の前に何て言ったんですか?」

「メール打たなくて良いんですか?」

「永尾さん」

「私が代わりに打ちましょうか?」

「こら」


 怒られた。


「……わたくし永尾千佳は、鷹山さんのことが好きであることを、先ほど述べました」

「……わー」

「人に言わせておいて、その返事はないと思います。どうですか、長期戦に勝利した感想は」


 数分前の私みたいに鷹山さんが膝に顔を突っ伏した。どうして相手の方が照れているのだろう。私の方が恥ずかしいのに。

 足を折ってベッドの淵まで寄る。鷹山さんよりも高い場所からそれを見下げた。

 思えば、いつも鷹山さんは私に選ばせてくれていた。どんな時でも、私に否と言える機会をくれていた。


「……鷹山さん?」

「勝利……なんですかね。というかもう負けでも良いです。泣きそう」

「涙腺弱いんですか?」

「歳取ってから弱くなって。今日、眠れないです」


 夕飯の材料を買いに夕方、外へ出たときに鷹山さんも駅近くの衣料品店でスウェットを買った。今それを着ているわけだけれど、だぼっとしている。

 顔を上げた鷹山さんは手をこちらに伸ばす。


「永尾さん、握手しましょう」


 言われて、手を差し伸ばす。鷹山さんの手がそれを掴んで、包んだ。私の手が、鷹山さんの手よりもずっと小さいことを実感する。

 指が絡み、少し引っ張られる。それに驚いて手を引っ込めると、当たり前だけれど鷹山さんの手も一緒についてきた。


「調子に乗りました。離します」

「いえ、あの、大丈夫です」

「じゃあ少しこのままで」


 そう言って、私の手からするりと離れ、反対の手で、私の手の甲を包んだ。


「まさか今日がこんな良い日になるなんて……。神様っているんですかね」

「天使はコールセンターで働いてるって聞いたことがあります」

「へえ」

「下界からの要望を聞いて、神様に声を届ける役割をしてるらしいです。昔、父が言ってました」

「なるほど。天界にも社会があるわけですね、すごいな」


 感心する鷹山さんを見て、私はちょっと笑う。私が父に言われたときもそんな反応をしたのかもしれない。

 鷹山さんの親指の爪に触れる。


「私、寛容なとことか良いところは沢山知ってますけど、鷹山さんの欠点はよく分からないです。強いて言うなら、人のことよく笑ってるとこ?」

「それはもはや欠点ではなく最低な点なのでは」

「主に私を見て笑ってますね」

「ああほら、それは永尾さんが面白……可愛い言動をしてくれるから」

「面白い……?」

「可愛いです」


 強制的に言わせたような"可愛い"に、肩を竦める。


「永尾さん、俺と付き合ってもらえますか?」


 顔を上げた。鷹山さんの視線は手の方にあった。


「はい。私で、鷹山さんが嫌でなければ」

「嫌なわけが……。あ、今のは無しにしてください」

「え」


 現実に戻ったように鷹山さんが顔を上げる。手を離して、正座をした。私はそれを見ていた。

 無し、とは。


「その前に、永尾さんに言わないといけないことがありまして」

「な、何をですか?」


 そんな改まって言われると、構えてしまう。

 もしかして寿命が迫ってきているとか? 難病を抱えているとか? 本当は年齢サバ読んでたとか?

 思い浮かんだ全てを受け入れる覚悟は出来たけれど、鷹山さんが口にしたものは違った。


「昨夜、元彼女の家に行って、今朝まで一緒でした」


 ……はい?



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