扉をノックする


 引き出しを開けて物を探す。あれ、ここに入れていたはずだったんだけれど。長くがさごそやっていたからか、木戸が椅子をこちらへ向ける音がした。


「先輩、探し物ですか?」

「うん、結婚式の招待状なんだけど」

「どうして招待状を会社に……?」

「会社で渡されたの、同期に」


 お察しの通り、米沢くんだ。木戸は知らないと思うけれど。


 先日、食堂に顔を出した米沢くんが、一人できつねそばを啜る私の前に座って招待状をヒラヒラさせた。


「実は俺……結婚するんだ」

「うん、知ってるー」

「なんで!? 本社勤めの奴ら皆知ってんのなんで!?」


 唇を尖らせつつ、招待状をくれた。それはきっと米沢くんが自分で種を蒔いていったのでは……と言葉を口の中で転がす。

 米沢くんは頬杖をついて窓の外を見ていた。招待状を裏返すと、米沢くんと恋人の名前が記されていた。


「なんで結婚するの?」


 私は最後の一口を啜って尋ねる。招待状が汚れないように財布の下へと置いた。


「これから先も一緒にいる為に?」

「そういうありきたりな……感じだな、うん。結婚しなくても、世の中には一緒にいられる二人なんてごまんといると思う」


 緑茶の入った紙コップの中身を見ながら、米沢くんは話した。


「それに結婚したら、いつか離婚するかもしれない」


 これから結婚しようとする人に対して、なんて縁起でもないことを言っているんだと思うけれど、その心境を聞きたかった。米沢くんは、うーんと言いながら顎に指を当てる。


「別れるかどうかの問題は結婚してない二人にも起きうる問題だから、あんまり気にしてないな。戸籍にバツがついたらついたで仕方ないし」

「そっか、変なこと聞いてごめんね」

「いやいや。というか、さっきのありきたりなやつ、やっぱり一番の答えかも」


 嫌な顔せず、寧ろからりと笑って米沢くんがこちらを向く。私は二度瞬きをした。

 米沢くんが分かりやすい、と思ったことはない。確かによく表情に出て、行動が早いのは分かる。でも、その感情の奥まで見ることは出来ない。人は案外、出来ないことだらけなのかもしれない。


「死んだ後も一緒に居たいんだ。一緒の墓に入ってさ」


 できないことだらけの中で、米沢くんは結婚をするらしい。私はその眩しさに、思わず笑みを零す。


「米沢くんと友達になりたかったなあ」

「え? 何言ってんだよ、俺ら友達じゃん。永尾だけだよ、俺の話ちゃんと聞いてくれんの」

「鷹山さんも聞いてくれると思うよ」

「そうだ、鷹山!」


 声が大きい。昼時とずれているとはいえ、食堂の人はまばらにいる。しかもここは結構声が響くのだ。米沢くんはそれに構わず、両手を叩いた。


「お前ら付き合ってるんだって? 知らなかったー、鷹山も教えてくれないでさ」

「……真由から聞いたの?」

「もち」


 ろん、とその後には続くのだろう。私はそれから十数分間、どうして鷹山さんと私が付き合ったことを教えてくれないのか、教えてくれたら祝いにきたのに、と米沢くんに言われた。

 お祝いなんてやめて欲しいから言わなかった、とは口が裂けても話していない。


 そんな一部始終を思い出して、食堂から財布と一緒に持って帰った記憶はある。それから引き出しにしまった……気もする。そこら辺が曖昧だ。


「ない……」

「その同期の人と連絡取れないんですか? もう一枚貰うか、普通に返事するとか」

「それは可能なんだけど、いちおう個人情報じゃない?」

「それもそうですね」


 とりあえず家も探してみよう。引き出しを閉めて体勢を戻す。

 ちょうど外から帰ってきた部長が私の隣で止まった。何か、と見上げると「ちょっと良いか?」と指を動かす。立ち上がって部長の後ろについていった。

 小会議室へ入ると、部長が入口近くの椅子を二つ引いた。小さく礼をしてそれに座った。ちょうど机の角で向き合う。


「永尾……中部行くか?」

「行くって、出張ですか?」

「勤務だ、中部支社。あっちの百貨店に大きい店舗が出るだろ、中部の方で休職に入る社員がいるらしくてな」


 何を言われているのか一瞬分からなかった。頭の片隅で、百貨店のワードが米沢くんに繋がり、結婚式の招待状に繋がった。


「……私がその穴を? 力不足だと思います、裾原さんの方が」

「裾原の提案なんだ。九州の方から応援も来る」

「九州?」

「本田が」


 また本田さんと一緒に仕事が出来るかもしれない、と何も決めてない内に期待が胸を擽った。

 でも中部って。本社は一番多く店舗を管轄しているけれど、支社に行けばその管轄する店舗がある。なのでこの会社には本社が一番という考えはない。本社で採用された新人は、最初は地方で働くことはほぼない。

 私だって、いつかは地方に行くことになると考えていた。特に広報は出張も多ければ、異動も多い。仕事を続けていれば、本田さんのように家族を持っていたって九州へ行くこともあるのだと覚悟していた。

 ずっと上司として私についていてくれた本田さんを涙目で送り出したあの時、私もいつか本田さん側にくることを考えていた。


「まだ提案の段階だから時間はある。考えてみてくれ。勤務期間は半年くらいだ」

「半年ですか……」

「これだけは言っておく。絶対良い経験になるぞ」


 部長が立ち上がり、それを視線で追う。

 良い経験。それは私もそう思う。入社して以来大きな店舗のオープンだし、実際興味もあった。それを知って裾原さんも推してくれたのかもしれない。


「はい、検討してみます」


 立ち上がり返事をする。

 部長の出て行った後に会議室を出て、その扉に背中をつけた。深く息を吐く。

 考えることが、増えてしまった……。

 ポーンと音が聞こえて、エレベーターが開く。顔を上げて、戻ろうとそちらを向くとエレベーターから出てきた人と目が合った。


「鷹山さん」


 姿形を認識して吸い寄せられるようにして駆け寄る。お、と鷹山さんは笑顔を見せてくれた。

 スーツの前裾へ手を伸ばす。つるりとしたボタンの感触が親指の腹に伝う。


「……かわいい」


 呟かれた言葉に顔を見上げようとすると、前髪を梳かれるようにして撫でられる。上を向くことはできなかった。



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