こんな日もある


 泣いたらお腹が空く。私の経験則だ。

 よし、と机の中にティッシュをしまって、私は鍵と鞄を持った。


「ご飯を食べに行きましょう」

「え?」

「この後予定ある?」

「特にない、ですけど」

「あ、鷹山さんいるかな。まだ残ってたら呼んでも良い?」

「タカヤマさん?」


 目を赤くした木戸は首を傾げる。


「人事の鷹山さん。背高いひと、私の同期なんだけどね。石間さんと知り合いだったみたいで、今日ちょっと根回しをしてくれてて助かったんだ」

「そうなんですか。私も是非、感謝を述べたいです」

「ちょっと電話してみる」


 帰り支度をしている木戸を見て、先に部署を出た。社内PHSで鷹山さんに電話をすると、すぐに出てくれた。


「お疲れさまです、永尾です。今、社内ですか?」

『お疲れさまです。社内です」

「今から木戸……後輩を連れてご飯に行くんですが、鷹山さんはお忙しいですか?」

『え』

「すみません、急なんですけど」

『俺は今、永尾さんに誘われてるんですか? 何を犠牲にしてでも行きます」


 誘う……誘ってはいるけれど、犠牲はいらない。そう返そうとしたけれど、既に通話が切れていた。木戸が顔を出してこちらを窺っている。


「来られるみたい」

「本当ですか、良かったです」

「でもどこで待ってるとか言わなかったけど、大丈夫かな。とりあえずエントランスで待とう」


 ということで、エレベーターで下におりてエントランスで鷹山さんを待った。秋もすぐに終わるようで、段々と寒さがにじり寄ってきている。木戸は目をパチクリさせてエレベーターの方を見ていた。


「お待たせしてすみません」


 不意にかかった声に振り向く。鷹山さんはスーツを着こんでいて、会ったばかりの時と変わらない格好だ。


「いえ、急に誘ってすみません。というか、言うのが遅れました。今日はありがとうございます、石間さんに連絡取ってくださって」

「ああ、それは全然。火に油を注ぐことにならなくて良かったです」

「鷹山さんはそこら辺きちんと見極めてそうなので、私は心配してません」

「それは嬉しい限りです」


 あ、と木戸の方を見る。こちら鷹山さん、と紹介し、こちら木戸です、と紹介した。少し呆けたような顔になっているのは何故か。


「すみません、私てっきり女性の方だと……。今日、石間さんの所へ永尾先輩が行くことになったのは私のミスの所為なんです。お力添えありがとうございました」

「いえいえ。……最後の一言なんですか? どこかの政治家が囁きそうな言葉ですけど」


 くるりと私の方を向いて小声で聞いてくる。


「最近汚職事件のミステリードラマを見たらしいです」

「なるほど。どこに食べに行きます?」

「平日なんで混んでは無さそうですよね。駅の方でも大丈夫?」


 木戸へ確認する。


「はい、大丈夫です」

「和食で良ければ一つ勝手が分かる店、ありますよ」

「では鷹山さんについて行きます」


 その通り、私と木戸は鷹山さんの後ろについて歩いた。

 駅近くのその店は引き戸で、開けると出汁の香りがふわっと香った。急に空腹が主張を強くし始める。


「三人です」

「奥へどうぞ」


 学生の店員さんが通してくれる。温かいお茶が出てきて、なんだかほっとする。


「追加のメール、見た覚えはあったの?」


 私はほっけ定食、木戸は肉野菜炒め定食、鷹山さんは生姜焼き定食を注文した。鷹山さんがお手洗いに立ち、木戸と二人残る。

 鷹山さんが戻るまでにこの話をすべきだと思った。


「はい。見てて直前までは覚えてたんですけど、先輩にチェックしてもらう段階で抜けてました」

「んーそっか、私が木戸のメール全部チェックするわけにもいかないから。今度は追加メール来た段階で教えて、口頭でもメモでも良いから」

「わかりました。気をつけます」

「追加する人、結構いるからね。今後一緒に気をつけよう」


 はい、と返事があってから、鷹山さんが帰ってきた。私の前に座り、木戸の方を見る。


「永尾さん、怖いですか?」

「そんな、とても良い先輩です」

「あ、怖くても本人を前には言えないですよね」

「鷹山さん、何を吹聴したいんですか?」

「永尾さんの先輩ぶりを聞いてみたくて」

「なんて恥ずかしいことを」


 木戸がクスクス笑っているのが分かる。笑ってないで先輩が困っているのだから助けて欲しい。そこで店員さんがそれぞれの定食を持ってきてくれた。「ごゆっくりどうぞ」と笑顔を見せて厨房の方へ戻っていく。

 それぞれ「いただきます」と手を併せて、箸を持つ。そういえば昼食は中華だった、真由とご飯を食べたのが遠いことのように思えてくる。


「先輩方は同期会とかあるんですか?」

「……あるんですか?」

「何で俺に聞くんですか」

「人事だから人間関係把握していそうだな、と」

「ないと思いますよ。特に俺らの代、本社にいる人が少なくて」


 ほっけを開いていく。いや元々開いてはあるのだけれど。骨をはがして、ほろほろと身を取る。木戸が「確かに」と相槌を打った。


「広報部も永尾先輩と違う課に一人いるだけですもんね」

「そうそう。木戸の代はまだまだ現役だよね」

「同期ばっかで、ライバルが多いです……」

「ライバルか……同期にそういう意識を持ったことないから、その意見は新鮮かも。鷹山さんは真由にライバル意識持ってます?」

「最初はありましたけどね、今は普通に助けあってます」


 少し遠い目をして鷹山さんは薄く笑う。うわあ、二人がバチバチしている人事部に居なくて良かったと、今は思う。二人とも有能だし、真由も鷹山さんも譲れない面を持っているので、板挟みになったら大変そうだ。


「助け合えるレベルまでいけば良いんですけど。今では足を引っ張り合うだけです」

「根本に助け合う精神があるなら、あとは力をつけるだけですね」

「……はい、頑張ります」


 おお、先生みたいだ。木戸と鷹山さんを見て思う。

 帰る前に木戸がお手洗いに立ったところで、お会計を済ませようと伝票を持つ。くい、と反対側から伝票を掴まれた。


「ん、何ですか?」

「こっちの台詞です。何しようとしてるんですか?」

「お会計をしようと」

「その財布をしまってください。永尾さんには一銭たりとも払わせません」

「嫌です。今日は私がお返しするんですから」


 鷹山さんの手の力が緩んだ隙に、伝票を取っていく。お会計を済ませ、席に戻ると木戸がお手洗いから戻ってきた。


「あっ、伝票がない!」


 私の手元のお財布とテーブルの上にあったはずの伝票を目で探す木戸。


「さ、帰ろう」

「え、あの、謝りに行ってもらったうえに奢ってもらうなんて」

「木戸、違うよ。今言うべきは」

「……御馳走様でした。ありがとうございました」

「はい、どういたしまして」


 一連の流れを見て、鷹山さんが苦笑していた。


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