第54話 法典スタイル

 会話実践は続く。ミディレは質問を始めた。


「Am syaazi zaawer」

「えーと……」


 ふっと口元を固く締める川端を見た。


「お前はそういえばYesとNoも言えないのか?」

「そう、だな」

「YesはYee、NoはWiiというらしい。ただし、否定疑問文の場合は、『否定疑問を肯定』するのがyee、『否定疑問をさらに否定』するのがwiiだから、そのあたりは間違えるなよ」


 なるほど。確かにそのあたりは紛らわしいかもしれない。

 僕がYeeというと、ミディレはかなりゆっくり丁寧に喋ってくれた。


「Kyooto... je'm?」


 おっとこれはハンムラビ法典スタイル。自分が返答に困る質問をされたら、相手にも返答に困る質問を、しかも単語を取り換えただけのお手軽戦略だ。さっきNihonにあるということは言ってしまったから、ここは京都人らしくマウントを取ったかのような観光地説明を……と思ったが、日本さえ知らない彼女にいくらジャパニーズトラディションを語ったところであんまり意味はないか。

 それに、そんな凝った説明ができるほどのミディレ語力もない。寺ってなんていうんだろう、神社ってなんていうんだろう、神殿という単語はさすがにあるだろうか。いやまあ、あるか。宗教がない民族なんてたぶんない。


「Kyooto... うーん語彙力」

「神社にあたるかはまだ分からんがirkisっていう宗教的建物の名前は出てきたぞ」

「イルキス……?」

「だがそれが日本の神社なのか寺なのか、キリスト教の教会なのか、イスラム教のモスクなのかはさっぱり分からんな。あんまり使わんほうがいいだろう」


 まあそうか。しばしば我々はそのあたりの宗教的建造物を神殿とか寺院とか言った風に呼び分ける。これらの明確な区別は実は僕ははっきり言うことができない。

 しかしどうでもいいが、京都の紹介をする時に僕の思考を読んで神社仏閣をあらかじめ出してきたのはちょっとしたホラーかもしれない。


「川端、『京都は千年の都だ』ってなんていうんだ?」

「Kyooto je rax fo inoire kajimka... 嘘を教えるなよ。過去何度も遷都されたり、天皇家の力が弱まった時期があったりしただろう」

「いやいや、観光業と歴史学はちょっと違うんだよ」


 すると川端が秒で訳したミディレ語をミディレが捕捉し、目を輝かせながら言った。


「Kyooto, rax fo inoire kajimka...」

「え、なんか反応してるぞこの子」

Je……だ essam! Aamn naara fo Nihon syaaziあなたのニホン国は……持つ zamsur kokia andiphian!」

「えぇ……そんなでもねえよぉ」


 ついつい謙遜の気が入っている。

 しかしまあ、ニホンもキョウトも聞いたことがない子だったから、ちょっとくらいはエスノセントリズムに入り浸って、自分が偶然生まれただけのこの町に誇りを持ちつつ、彼女に羨望の目を向けられるのは悪い気はしない。いや、やっぱりだめだ。女の子に対して地位とか名誉で近づくようでは、真・京都人ザ・キョウトとやっていることが同じじゃないか! というか本当に羨望の目を向けているのか? 言っていることと表情が一致しない国民性だったらどうするんだ?

 ナーラ・ポ・ハタ、いったいどういう場所なんだろうという疑問を忘れてしまい、しばらくは京都のことを考えていた。


 ガチャ。

 この部屋の唯一のドアが開く音がした。

 その時初めて実はこの部屋に定一がまだいたという事実に気が付いたのだが、「いたのか」と声をかけるまでもなくドアを開けた人物を見る。藤見、千鳥子、そしてさっきまでいなかったはずの男がひとり。


「……!」

「久しぶりだな、川端君」

「祝先輩、お久しぶりです」


 あの川端が他人に敬語を使うのはちょっと新鮮かもしれない。

 それはともかくとして、この研究所の三人目の仲間に出会った。彼が祝瞬太、川端曰く言語学の師匠、らしい。

 床に寝っ転がってダラダラしていた定一はようやく起き上がった。


「俺からみんなに紹介しておくか。彼は祝、どうやら定家と川端君にとっては先輩らしいな。彼はこの研究所の主力というか、頭脳担当でね。可能化剤の解明とかなり非効率な量産を大成した男だ」

「ん? まあそうか。たしかにワタシのやったことだなぁ」


 定一の持ち上げるような紹介をあっさりとスルーして、彼はさっきの定位置に座った。

 川端はあまり表情に出そうとしないが、彼がここにいることには驚いているらしい。そして、それほどに彼は川端にとって重要な人物なのだろう。また今度、彼の英雄譚を聞かされそうな気がする。覚悟を決めておこう。


「そうだ藤見、ミディレ語の体型的な文法は掴めそうか」


 川端は藤見の方を向いた。さっき藤見は千鳥子を連れてどこかに移動してしまっていた。何をしたかったのかはどうやら僕が予想していた通りで、日本語もミディレ語も話せるやつが発見されたので研究に有効利用、いやむしろ研究にかかる時間というコストを削減しようと高を括っていたようだ。

 しかし藤見の顔はあまり芳しくない様子である。川端もそれはすぐに察した。


「……そうか、そんなうまい話があるわけないな」

「そりゃあ、そうだとも。そもそも彼女の日本語はそのプロセスが違う」


 得意げな顔をしながら言ったのは祝である。

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