第18話 学校論、満員電車論

 さて、何か学生らしい世間話をしようかな。といって咄嗟に出た話題は何とも言えない感じだ。


「ああ、おはよう」

「宿題やった?」

「オフコース、ノー」


 学校、それは一般的な教育施設である。国に雇われた「教育のプロ」が一校当たり数十人体制で、数百の生徒に定められた教育課程を教えるという、このご時世なら世界のどこにでもありそうな未成年のための近代的な教育の制度があり、僕らが在籍する『高等学校』もそれを行う施設のひとつだ。

 しかし、今述べたのは半分嘘ともいえる。実際には、この学校というものが教えるのは勉学だけではない。『学校』を教えるものでもある。すなわち、部活動文化、学生社会、スクールカースト、偏差値序列の仕組みと受験戦争の一般的な戦略、基本的ユースカルチャーなどを含んでいる。川端は折りの雑談で、学校が教えるものは教育課程と『学校』である、みたいなことを僕に話すことがある。こいつがそれくらいひねくれた考え方しかできないことは、ずっと前から知ってることだが。

 僕がどう考えているかというと、川端よりもいくらか庶民的な短絡的で、単に朝の自分の大敵だと捉えている。そしてたまに考えすぎて、最終的にはこの人間社会こそが自分の敵であるように感じることもあるレベルに達している。

 まあ、いずれにせよ僕たちはレールに沿った青春を送ることになることを結局受け入れずにはいられないのだ。その結果としての川端との付き合いであり、藤見との付き合いであり、日々の生活であり、シャーペンである。昔は学校なんてなかったのにとか餓鬼みたいなことは言っていられない。


 朝の京都市内の地下鉄は、座れない程度には混雑する。キャピタルにお住いの方たちにとって、朝の電車とは人間をこれでもかというほどにぎゅうぎゅう詰めにして、そこにさらに駆け込み乗車を投入して、最後に駅員の人が圧縮作業に入るという流れを複数回為して、極限にまで圧縮された人間ZIPを作り上げて駅まで送るものだろう。京都市内のそれは、ここまでではない。たまに乗換駅でマナーの悪い乗客のせいで面倒なことになるとか、一駅区間だけ押しつぶされるとかそういうもの。京都を通る某国鉄など、座席面積の方が大きい。

 といっても座ろうなど考えない方がいいということには、都の東西を問わず変わらない。取り付けられている座席とは、ただの柔らかいところ程度に考えた方がいい。

 というのがこの日の電車での会話の概略である。乗っているのは三十分ほどだが、よくここまで話が展開するものだ。互いに趣味は全くあっていないため、会話の七割程度は川端が発言している。話し始めたら舌が止まらない、何とも饒舌な奴だ。

 ちなみに、「話すことイコール舌」と言うと、川端は違和感を覚えると語る。当然慣用句なのだから細かいことは気にしないと前置きするが、実際には日本語は舌だけではなく声帯、呼吸器系、声門、顎、唇、軟口蓋なども使わなくてはならないという。アラビア語には咽頭が必要になる。


 ちなみにこの日、川端はまた別の言語にまつわる話をした。学校に到着した僕らは、校門に寄ってたかっている先生たちの集中挨拶を掻い潜り教室の椅子に到達した。途中で入手したサンドイッチを食べながら、僕は『ミディレの言語について何か分かったか』と尋ねた。サンドイッチを口に含ませながら。


「イイエオウェンウォニウイヘ、ナウィハワアッアカ」

「えー、ماذا تقول؟」


 こちらの意味不明な発言に対しては、川端は普段通りの返しをした。目には目を、歯には歯を、喃語には喃語を、不明語には不明語を。今回はアラビア語だが、日によってドイツ語だったり英語だったりエスペラントだったりする。

 最初はこういったが、川端は数秒遅れて何を言いたかったか理解した。


「おおよそのの音素体系、語順はSVO、繋辞はje、指示代名詞と人称代名詞があるってこと、前置詞を使うこと……ぐらいだな。メモに書いてあっただろ」

「専門用語が多すぎて分からんかったぞ」


 事実、そもそも発音記号が読めなかった。しかもラーメンを食べて帰った後は疲れて寝てしまったのでメモのあれより先は目を通せていない。今日はそのメモを持ってきてすらいない。しまった、持ってくればいろいろ質問できたかもしれないのに。

 それにしても先程は、川端、よく理解できたな。


「川端、さっきのよく理解できたな」

「んー、ああ。文脈さえあれば、アクセントと大まかな母音が成っていれば案外わかるものだ」


 なるほど。

 小さいころお遊びで口を閉じたまま「ンー」だけで会話する、みたいな遊びをした記憶がある。あれは決して「ンー」だけで話せていたのではなく、実際には「ンー」の長さが母音の長短を表し、声のトーンが日本語のアクセントとイントネーションを表していたと、川端は語る。


「ミディレの言語は高低アクセントっぽかったな。日本語と同じだ」

「高低アクセント?」


 これも川端による長い解説が入った。例によって長いので省略する。

 高低アクセントとは、音節の高さの違いによるアクセントである。対して音節の強さの違いによるアクセントは強弱アクセントと言うらしい。日本語は高低アクセントであり、アラビア語やドイツ語、英語は強弱アクセントであると言われる。他に無アクセントや声調言語があったりするとか。

 チャイムが鳴る。川端は真っ新なプリントを机に出した。


「宿題やるわ」

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