第24話 クッキングテンプス
腹の音がしたとあらば、何かを彼女のために用意しなくてはならないな。
しかしここで残念なお知らせ。僕には自炊とか料理をするとか、そういう能力は無いのだ。いやなんと惜しきことか。彼女のためにここはひとつ豪勢に振る舞おうとか思っていたのだが、そもそもフライパンを握ったことすらなかった。愚かだった。
そういうわけで僕は、カップラーメンにお湯を注ぐ、冷凍食品を解凍する、固まった面をゆでて粉末スープを開ける、あるいは料理の登場を周回して待ち伏せるなどのようなことしかできない。フライパンで無限の調味料を調合してバーニングキッチンなんて全くできない。
そこで、ミディレはテーブルから立ち上がった。キッチンに寄ってきて問いかける。
「Aamn friitaa syaazi'm?」
え、なんて言ったんだ。
アームン、これはなんとなくわかった。「あなたの」を表す単語だ。でもそれ以外が全く分からない。
いやいや、それよりも分からないのは、ミディレが立ち上がって何をするかと思いきやおもむろに冷蔵庫を開けて上を見たり下を見たりしたことだ。うちの冷蔵庫事情を探っている? なんとデリカシーの無い子だ! 僕ですら何が入っているのかよく把握できていないというのに。
ミディレは中からいくつか食材を取り出してみせた。明らかに私が作ってやろうという体勢だ。野菜が多いのは気のせいか。いやでも、彼女は日本語が分からないので調味料がそれぞれどれなのかはわかるわけがないはずだ。野菜なら見ただけで何なのか分かるというわけか。
ついでミディレは周辺にあった容器をいくつか前に並べてみた。何をするかと思いきや、人差し指を突っ込んで舌で舐めているではないか。ワイルドなことに何の調味料かを毒見している。
「Baan...jooka? Mo dim je unsyu! Am jikinna razacche-... kk kk!」
胡椒をなめてしまったか。思いっきりむせている。
気を取り直して、次は引き出しを洗いざらい探し出して、ボールやら包丁やらを見つけていった。
これは正気だ。初めて訪れた人の家で言葉も通じないままに、しかも異国の地で、いきなり料理を振る舞ってやろうとは。それは普通僕がやることだ。客人を招き入れて料理を作ってやるなんて、普通は客がすることではない。あるいはミディレの国の文化か? 彼女の国では客が料理を振る舞わなけてばならないとか?
まあ、料理が何もせずに食べれるというのならこれに越したことは無いか。ミディレの料理の腕が如何ほどかは分からないが、なんとなく料理上手そうだし、そっとしてあげよう。
さて、周回――違う、ミディレ語の勉強をしよう。
「――Sadaie」
「うぇうぇうぇ?」
しまった、つい声門が滑った。一体どういう舌の動きをしたらこんな声が出るのか、どんな声帯の振るわせ方をしたらこんな応答が出てくるのか。
僕は悪くない。悪いのは、彼女が初めて僕を下の名前で呼んだせいだ。今までトイタ、トイターだったのに、急に下の名前でなれなれしく呼んでくるとは……いやこれも文化か? 下の名前で呼ぶ方が普通な文化だってあってもおかしくはない。日本だとどんなに親しくても名字でずっと呼ぶなんてことはよくある話だから、おそらくそういう違いだろうな。
ともあれ、視覚情報から察するに、何かをミディレは料理してくれた様子。何やらおいしそうな匂いもしてきたし、これはかなり好感を持てる。同時に己の情けなさも痛感したわけだが、あんなにおいしそうにラーメンを貪っていたミディレが実は料理も得意ですよなんて、かなり尊敬したわけだ。迷いに迷っているシーンしか見ていないせいで、ドジっ子だと決めつけていた。
さてさて、何を用意してくれたのか拝見しよう。僕に、作られた料理を見て何が混ぜられているとかを当てる能力はないので、あくまで「おいしそう」か「おいしそうじゃない」かしか分からない。ちょっと自虐してみるというのなら、仮に毒が盛られていたところで、それはそれでこの樋田定家の死に方としては妥当だろう。
驚いた。本当に驚いた。野菜を切って技巧を凝らして盛りつけたサラダのようなもの。いったいどうやって炊飯器の使い方を理解したのか分からないが、なぜか炊いてある白米はちゃんと――いや、ちゃんとしていない。茶碗ではなく普通の丼に盛られている。まあそれはいいだろう。
おかずのようなものとして野菜炒めのようなものがあった。見たところ味付けは塩。しかし、面白いことに大きな器ではなく、明らかに二人分として用意されている。つまり、二種類のおかずは二人分用意されている。
だが、日本の食材を使ってここまで料理を作って見せるとは、ちょっと彼女の出身地が予測できる。だが、故郷には味噌汁は無かったのだろうか。汁物がないとちょっと寂しくはないのか。味噌をお湯に溶かすくらいなら僕でもできるぞ。
行動に移した。鍋に水を入れて沸騰させた後、味噌を溶かした。よくスーパーに置いてあるほぼ直方体の透明の容器に入っているオレンジ色の香ばしい物質をお湯に溶かして適当にわかめとかを入れるだけだ。ミディレの料理が多少覚めてしまうのは惜しいが、このまま至れり尽くせりなのは心もとない。
お湯に味噌が解けるのをミディレは見ていた。すごく驚いてくれた。まるで「え、そのオレンジ色、味噌だったの?」とでも言いたげだ。僕にはわかる。
ミディレの料理に味噌汁を添えて、僕らは合掌した。ミディレも合掌する。
「いただきます」
「Jikigan biithe kamsamdis」
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