第41話 少年漫画を読め
慣れない脚つきで右から殴りかかろうとするも気持ちがいいほどに躱された。その時の僕は無言で、意外と必死になっていたことがわかる。相手はあの兄だが、まるで親の仇を殴りつけるように、何とか戦う姿勢を見せた。
蹴ろうとしてみたり、正面から突こうとしてみたりしたものの、いずれの攻撃も受け止められるか、躱されるかのいずれかで、まともにヒットしない。
――それはそうだろう、なんてったって、僕は喧嘩の一つもしたことがないんだからな。僕よりかは定一の方が戦闘はできるに決まっている。
ひとしきり動いて疲れ、攻撃をやめて肩を落とした。
「ぎこちないが何とか一歩踏み出そうとするその心意気は悪くない。だが、お前はさっき可能化剤を渡したはずだな……?」
すると定一は、目にも留まらぬ速さで、答えなど待つまでもなく高速でこちらに瞬間移動し、突きを繰り出してきた。
(は……?)
あっという間に僕は吹き飛ばされ、僕はそのまま満身創痍となった。
動けずに伸びていると、ミディレがこちらに走ってきたのが分かった。
「Tar
「く……ふがいない」
「そうでもない。移動魔法を使った戦闘には、移動魔法の使い方をよく知っておくことが不可欠なんだから」
何の戦術もなくただ突っ込んだだけの自分がただの馬鹿だったことは当然だが、その気になれば体のこなし方次第であんな超人的な動きができる、と聞いてもいまいちピンとこない。楽しそうだが、どうも自分にはできそうにない。
つまり、移動魔法という存在への恐怖がまだ募っていた。今日知ったばかりの得体のしれないブラックボックスを、今日から使いまくって戦えという……無茶ぶりもいいところ。
「なあ……
説明が欲しいというのが正直なところだ。数学の定理や公式を教えられたがその使い方はたった一問の例題を先生が解くのを見ただけ、という状況に近い。数学が得意な人間ならすぐに分かるのかもしれないが、数学が苦手だとひたすら黒板の解き方を参考にしながら見様見真似で解いていくしかない。そして得意な人間はどんどんとその定理や公式の考え方が身に染みるように分かってくるが、苦手な人間はそんな境地には至れず、最悪の場合は分からないことだらけの教科として尚更苦手意識を持っていく。
「そこまで気に病むことはない。お前はまだその力を利用したことすらない。確かに昼間は思い切りジャンプしたりしたがな。だがそんなもの、赤ん坊が声帯を震わせて声を出すのと何ら変わりない」
「だったら、あんたのさっきの動きは見たから、いったいどうやって瞬間移動をすればいいのかを、教えてくれ」
荒治療では解決できないか、と小声でつぶやくのがはっきりと聞こえたが、定一は納得して懐から携帯を取り出した。
いや違う、携帯じゃない。これは何かが書かれた紙切れだ。
「まあまあ、気軽にメールしてくれや。あとで動画に撮ってどうやって瞬間移動すればいいかを解説するから、質問があったらここに電話して。一旦持って帰ってもらった方がいいだろう」
「は??」
「いやだって、もう夜遅いからな。移動魔法の放つ光は目に悪すぎる」
兄はそう言って立ち上がり、駅と関係ない方向へと走り去っていった。
しかし彼は、ふと立ち止まり、振り返った。
「言い忘れていた。今日は久々に会えてよかったよ。元気そうで安心した」
「なんだよいきなり」
「相変わらず素直じゃないな、定家。その子の前では強い自分を演じたいのかな?」
致命的自動詞命令形を言いそうになったが、こらえた。耐えるんだ、定家。たとえ自分の周りにこんな奴らしかいなくても、こんな奴らに頼らないと何もできない自分を忘れてはならない。なんせ僕はただの平凡な高校生なんだから。
「じゃあ……帰りに気を付けて」
「おうおう、じゃあな」
定一は夜の闇に消えた。
地面に倒れながらぐったりしていた体を起こすと、横に確かにミディレが座っていたのが確認できた。
「
本当にすまないな……僕らは実に有意義な会話をしているのに、彼女に何の意見も仰ぐことができないなんて。そのことを考えるたびに、早く僕もミディレの言っていることが理解できるようになりたいと切なく願うのである。
背負っていた鞄には実はルーズリーフが忍ばせてあった。普段連絡用に使っているチャットアプリを開いてみると、いつの間にか僕と川端と藤見が入っているグループが言語解析で盛り上がっている。確かにそうやって共有しておいた方が、いつでも文法事項を参照できるし、質問もできる。ミディレとのテキストメッセージはとてもできる自信がないから、やはり筆談で何とかするしかない。
単語帳もいつの間にか某スプレッドシートで共有してあった。これからミディレと一緒に帰りたいので、『帰る』『家』を探してみよう。
imuur イムール
【語釈】帰る、戻る?
【メモ】imuuかと思ったけど、書かせるとimuurだった。たぶんbackみたいな感じで戻りそうなやつなんでもこれで戻れるんだろう。
friitaa プリーター
【語釈】家、一戸建て
【メモ】「家系」みたいな意味があるのかは不明
「~に」みたいな助詞があるのかもしれないが、訳語検索をすると十個以上引っかかったので探すのが面倒になった。もうなんでもいいや、伝われ。
「えー、 ti imuur friitaa!!」
違和感たっぷりの笑顔で手を差し出した。これで少なくともこの場から離れようとしていることは伝わるのではあるまいか。
「...Ye, yee imuurgan...」
ミディレはわずかに微笑んで手を握り返してくれた。
なんと優しいのか。ジュンク堂で彼女に捕まったときとは比べ物にならないくらい、信頼感のある手のつなぎ方だ。ちっとも力んでいない、そのままついてきてくれそうな、安心させるような握力。
この世界でミディレは、いったいどんなことを思いながら生きているんだろう。
そんなこと、今の僕の
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