第3話 ボク、トイタ=サダイエ

 とりあえず交番に行く、僕は頼もしい京都の住民だ。観光客慣れした親切な日本人だ。親切な日本人を演じるんだ。決して迷子の女の子がかわいそうだからという、怪しい理由ではない。

 そういえば、この状況でこの女の子を連れて交番に行ったところで、ひょっとしてもしかして何かの乱数のでこの僕が怪しい目で見られないか。大丈夫だろうか。いや、これでも僕はその響きだけで頭が悪そうと揶揄される男子高校生という存在だ。むしろ兄妹かと思われる。


 商店街の前を通り、人混みを華麗に避ける。右へ左へ少女を連れまわしながら。これでも気配遮断能力は高い方だ。その程度の人間の弾幕でこの僕の足止めはできないぞ。こちとら、迷子の迷子の女の子を背負っている。だが横断歩道では足止めを食らった。早く交番に行ってクエスト達成したくてしょうがない。しかし、車は弾速が速いのでちょっと華麗には避けられない。やかましいクラクションがフラグ回収の効果音となって吹っ飛ばされるだけだ。

 突然手招きされて、女の子は少し困った表情だろうか。少しでも安心させるために、日本語でもいいから何か声をかけておくべきだろう。もちろんさわやかな笑顔で。なるべく面倒くさそうなオーラを出さないように。いや面倒くさいわけがないのだが。僕は魔力を開放して、「観光客誘致スマイル」を発動した。


「これから交番に連れて行くから、もう大丈夫だよ」


 まるで迷子の小学生のような扱いをしているが、この子が小学生には見えない。たぶん高校生かあるいは中学生。もしかしたら大学生くらいかもしれない。彼女の出身地の教育制度は当然知らないが、まあそこそこいい感じの年齢だろう。そんな年ごろなのに、こんなハプニングに苛まれるなんて。

 声をかけられてもただ不安そうな顔をしながらうつむいているだけかと思ったが、彼女はどうやら僕と会話を試みたいような素振りを見せた。


「Amn sehorne je Mizire=Zirkodisnar」

「え?」


 彼女は何か――おそらくそれは彼女の母語と思わしき言語か――を僕に話した。信号機が青になったことを僕は確認して、歩き始める。少女も並んで歩いてくれた。僕は彼女の発言に対してもう少しメスを入れてみる。


「もう一回言ってくれる?」


 おそらくこれだけじゃわからないから、指で一を表すジェスチャーも付け加えた。軽く人差し指を上げて、一をさりげなく示した。日本人ならこれで十分伝わるが、これで「もう一回」という意味になってくれたらうれしい。


「Raa... 」


 すると、彼女はもう一回言うどころか、若干眉をひそめるしぐさを見せた。何かいけない動作でもしてしまったのだろうか。それとも、あのジェスチャーでは意味は伝わらない?

 これはまずいかもしれない。アプローチを変えよう。とにかく僕は、いま彼女が何と言ったのかを知りたい。さすがにこれから会話無しというのもやりづらい。人差し指を使うのはあんまりよくないのだろうか。それとも、もっと角度を上げないといけなくて、さっきのは人のことを指さしていると思われたか?

 たしかに、人を指さすことを推奨する文化は想像しにくいかもしれない。だが僕は社会科が苦手なので、どの国の人がどんな感じであるかなんてさすがに分からないし、そもそも世界地図を見たところでどこにどんな国があるのかあんまり分からない。そんなこんなだから、彼女がどこの国の出身なのか全く当てることができない。この服はどこの民族衣装だろう? そもそも民族衣装で日本を訪れた人ってあんまり見たことがない。ジパングと外交がしたい系王族とかの娘さんで、訪日中に御一行様とはぐれた? いやいや、お手伝いさんちゃんとしてくださいよ。

 とにかく何もかもが謎なのだ。せめてもう一度聞き返せないだろうか。と思っていたら、こちらの状況を察したのか、もう一度同じようなことを言ってくれた。というか、口を開いてくれた。あ、今向こうにいる人、外国人だなあ。


「Mizire, Mizire=Zirkodisnar」


 ミズィレ、あるいはミディレとも聞き取れそうな単語、そしてそのあとのディルなんとかはよく分からない。フルネームを言っているのかもしれないし、付け加えて自己紹介をしているのかもしれない。そして、その後も何回か、みでぃれ、みでぃれと反復し、自分の胸に手を当てながら主張していく。


 そうかそうか、なんとなくわかって来たぞ。彼女は自己紹介をしたいのか、そうだろう。なるほど、さすがは樋田。言葉が通じなくても相手のジェスチャーから何を意図しているのかを正確に読み取って見せる。僕に語学の才能はないが、相手の気持ちを察する才能はあるかもしれない。

 彼女はミディレという名前を名乗りたいのだろう。きっとそうだ。そうに違いない。ならば僕がすることは決まっている。そういえば自己紹介をしようとは思っていなかったな。

 まずは名前を確認してみる。


「あー、えー、ミディレ?」


 人差し指がよろしくないことはよく分かったので、右手で指をそろえて、まるでバスガイドさんの様に聞き手を指してみた。これなら文句ないだろう。

 すると彼女は強くうなづいた。よしよしいい子だ。ならばこちらも同じように胸に手を当てて自己紹介をば。


「えーっと、樋田定家、トイタ、サダイエ」

「T, Toitaa... !!?」


 ミディレは僕の名字を一度だけ唱えた後、目を丸くし、口をポカーンと開け、歩きを止めた。

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