第39話 驚嘆者

 時は流れて夕方。結局僕たちは最初に訪れた喫茶店で、つなぎにドリンクを頼みつつも、その日は学者二人の協力の元ミディレ語の解析を進めた。

 川端曰くいろいろなことが分かった、藤見曰くなおさら『異世界語感』が強まったという。やがて暗くなったからそろそろ帰りたいと川端に訴えたところ、兄定一が以下のように提案した。


「いやあ、驚いた驚いた」


 提案したと思ったのは僕の勘違いで、彼は単に感嘆を述べたいようだ。確かに川端のここまでの頭の切れようはさすがの僕でも見たことがないもので、藤見の探究心というものもとてつもないものだと思える。なので、なおさらここまで何もしていない樋田兄弟の空気感が浮き彫りになってしまうのだ。

 だが、定一は単に驚いたというわけではないらしい。


「ところで、ミディレちゃんに日本語を教えるというのは?」


 なるほど、それができれば我々が言語を学ぶ必要もないといえばないのかも。


「あのな、日本語を教えようにもまずはミディレ語を解読しないとだめだろ」


 当然であった。この僕ですら一瞬その方がいいのではないかと錯覚してしまったら、確かに普通に考えたら日本語を学ぶよりもこちらからミディレ語を学んだ方が早いというのは自明なのだ。


 カップなどをゴミ箱に捨てて、忘れ物がないことを確認してようやく席を立った。実に三時間に及ぶ長居だったので、かなり腰がやられているのではないかと思っていたが、案外それほど疲れてもおらず、割とすっきりと立ち上がることができた。

 これも、移動魔法のせいか?


「なあ、あれだけ長く座ったのに、腰とか痛くならないな」

「ははは、そりゃあ定家よ、お前はまだ17歳だろう? おじいちゃんだなあ」


 こちらは一応真面目なつもりで話しかけたというのに、何やら茶化されて少しムッとした。こいつが茶化すのは弟である僕ぐらいのもので、それ以外に対しては完全に遊ばれている人間のはずなのだ。


「適当なこと言うなよ」

「はいはい、定家はいつまでも立ってもオカタイお方ですね。ここじゃあなんだから、早く店を出よう」


 少々余計な一言が多かったが、喫茶店を出てから駅に着くまでの帰路にて、彼による説明は始まった。

 移動魔法――この名称は単に「移動する際に便利だ」ということで移動魔法と呼んでいるらしいが、実際には様々なことに利用可能だ。身体能力が全体的に向上するというのが基本なのだが、それ以外にも多様な異能を使える者もあるという。その異能とは何かといわれると、彼は言葉に詰まった。


「異能って、どういうことだ?」

「異能は異能だ。よくあるやつさ。手から炎が出るとか、瞬時に凍らせるとか、基本的にはこの二パターンらしいな」

「らしい……?」


 いよいよ魔法という領域のようだ。手から炎が出たら、一日一軒家を焼くことも可能だし、瞬時に凍らせられるというのなら、かき氷だって思うがままに作れる。戦闘に使えるというのなら、それはそれは有利なのだろう。

 しかし、ここで定一の語尾は『らしい』と曖昧性を含ませた言い方だ。


「らしいって、見たことがないのか?」

「そうだな、見たことはない。炎を出して相手を焼くとか、氷を出して冷やすとか、そういうのはミディレはやらないのさ」

「イレギュラーなのか? というかさらっとなぜミディレって言ったんだ?」

「あれ……知らないのか? さっき見ただろう」


 さっき……確かにあの恐ろしい殺人鬼の少女を相手にミディレは孤軍奮闘していた。しかし、そこでもやはり移動魔法を使っていたというのか。

 定一は説明を始める。

 移動魔法……彼自身もこれを使いこなせるようになったのはほんの数週間前、ミディレを狙う例の組織に襲撃された際に、ミディレを守り抜くために死闘を繰り広げ、やがてある協力者と共に組織が使っていた不可思議な戦闘方法を暴いて見せた、という。ミディレもこの不可思議な力を扱うことができ、何とかこのような注射器をいくつか作り出してみたが、それも残りわずか、有限のリソースなのだ。


 彼の話は、大学進学に伴って上京したここ半年のほとんど半分を占めるような日数の体験であった。

 ミディレとまともに言葉が通じたことがないから、さまざまなことが分かっていない。文法は勿論、彼女がどこから来たのか、彼女が誰なのか、組織とは何なのか。


「ほとんど何も分かっていないじゃないか」


 川端はそう突っ込んだ。明らかに不満を言いたげな口調だ。ここまでの話だと、まるで、自分では解決できないから遠回しに川端や僕らに彼女を助けてほしいと言っているようにしか見えないというのも事実だ。

 定一は弁明した。


「そうだな、川端君のような知識を俺は持ち合わせていない。移動魔法の戦闘だって、俺一人の力じゃあ、イマイチ尽力できなかったわけだ」


 ここまで後ろ向きに彼が認めるのは珍しいともいえる。今までちゃらんぽらんな人間だと思っていたが、ここの定一は少なくとも普段通りではなかった。


「だがなあ、彼女が本当に俺らに助けを求めているのは事実だ。定家、お前は困っている人がいたら真っ先に声をかけるんだろう?」

「――ああ、そうだな。僕は困っている人を見過ごすわけにいかないタイプの人間だ」


 観光客に優しい京都人として、一人の人間として、自分は善人を装って、いや、善人でいたい。

 別に京都人だから優しいというわけではない。自分で彼女を見つけ、自分で彼女をここまで連れてきて、川端と藤見の協力さえ仰ぎ、身勝手な兄の頼みを受け入れようとしている。決して彼にも解決不可能ではない問題であったとしても。


「そうと決まれば、ここで試そうか」


 定一は貴重な資源のはずの可能化剤を右手でこちらに放り投げた。

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