第11話 敬虔にして従順

『Googleは神』


 僕や川端は熱心なGoogle信者である。動画の視聴にYoutubeを利用し、目的地に行くのにGoogleマップを使い、海外旅行にストリートビューを利用し、通話にハングアウトを利用し、という感じだ。

 つまり、川端が書き残していった発音記号を、Google先生に質問するというわけだ。なんて手っ取り早いんだろう。知らないことはGoogle先生に聞け、とは(この僕自身が)よく言ったものだ。外国人の言語の発音の情報を引き出すのに役に立ってくれるとは。

 しかし、Googleに関して川端が唯一信頼しないものがある。

 それは、「Google翻訳」である。彼が言うに、Google翻訳は西洋語の間だけ、もしくは英語から何か別の言語へであればそこそこの精度を誇ってくれるのだが、まだまだ複雑な長文を一気に翻訳するには精度が足りないと。僕には専門的なことは分からないしそもそも彼の言語関連の話は耳に入れてもすぐ忘れるだけなのだが(これだけはなぜか覚えていたのだが)、なんとなく雰囲気を掴んだり語学学習には有用かもしれない、とあいつは語っていた。


 まあ余談はさておき、とにかく僕は「発音記号」で検索した。

 パケットに余裕があったはずであることを思い出し、ロードされた検索結果にざっと目を通してみる。最初の二つくらいは、なんだかわかりやすく解説されていそうな雰囲気のあるどこかのサイトのページらしい。現在、日本の語学教育の中心は圧倒的に英語が占めている。合衆国の言語は偉大であるらしい。なおこの話を川端にするとキレられる。


 一番簡潔にまとめられているのは三つ目に出てきた某百科事典の「国際音声記号」なる記事か。しかし、名前からしてなんだか難しそうだ。実際にページを開いてみるも、一文目からして解説が小難しい。これだから某百科事典は。

 しかたなく戻って、さっき一番上の方に出てきた分かりやすく解説された雰囲気のあるページを見てみた。「じつはカンタン!」と銘打ってある。「簡単」が読めない人のためにわざわざカタカナで表記されているのだから、それはそれは簡単なのだろう。


 口調は柔和、語彙も明快、最初の一文を読んだだけで読者の情報欲を掻き立て読みたくさせるほどの、実に柔らかい言い方だ。これは英語の発音についての解説なのだが、これの出だしは「英語はカタカナでは表せません」という文言。おそらく川端のような人間が読んだら、もうそれはそうだろうって突っ込みたくなるような内容なのだろう。素人の僕としてはちょっとした新発見だ。

 読み進めていると、さっそく僕が読めなかった発音記号が現れた。それが反転した6にちょんっと線を加えた文字である。あとは日本人が見て今の僕みたいに一瞬戸惑いそうな記号を一つ一つ紹介していっている。


 つまり、この文字は「舌を上の前歯の先端に軽くつける」と解説されていた。

 さっそく意識して練習してみよう。


「す、と、て、ダ、ざ、ざ、ザー」

「E? Ehodis'm?」


 唐突に僕が何かつぶやき始めたせいでミディレが何事かと声をかけてきた。さっきに比べて、かなりスムーズに母語を話してくれるようになった。よしよし、素直でよろしい。僕に対する緊張はどんどん解いてもらって、もっと気楽に行こうじゃないか。僕も君も、この先どうすればいいのか分からないんだから。あ、もしかしたら君は自分の事情とか分かるのかな? いやいや、それはない。あれは明らかに迷子の迷子のミディレちゃんだった。


 例の記号の読み方は分かった。あとは3みたいなやつだ。

 しかし、これも同じページに発音方法が解説されていた。「ジャジ ジュジェジョのはじまりの音」とある。

 それは一体なんですか? 私は日本語を理解しません、とその場で言いそうになった。そういえばジャとヂャって、発音に違いがあったのか。たぶんこのあたりの違いを川端は分かっているのだろう。説明を読んでもなんだか具体的な説明がなくて分かったのか分からないのか。「簡単」を漢字で書けても分からないことはいっぱいあるってことか。

 しかしまあ、このあたりは僕自身の耳の記憶を遡ってみても、なんとなくジャっぽく聞こえた気もするから、もうそれでいいだろう。僕に専門的なことは分からない。


 考えながら歩くこと十数分。ここはどこだ。

 あれ、マジでここどこだろう。まさか、家から徒歩十分圏内で、いい年して迷子になる? ミディレのことを心の中でいじくりまくっていたのがバレてしまったか。なるほど、Google先生はここまで巧妙なのか。おもしろい。いや面白くはない。こんな時こそ落ち着いてGoogleマップを起動するのだ。現在地を確認しよう。

 検索画面をどこかに追いやってマップをタップした。現れたのは付近の地図のはずだ。町内に知らない道なんてあるものか。息が少しずつ上がり、しまいには僕は走り出そうとしていたのかもしれない。そのときである。


「やれやれ、居場所がバレたかと思って焦ったよ」


 姿を見せない暗闇の声を僕らは確かに聞き取った。

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