第30話 プレゼンテーション
手を染めたのは僕ではないはずなのに、なぜか僕に焦りがあった。何もしていないと、このまま逃げても捕まるという結論に至ってしまうレベルである。川端がどうやってそんなことをしでかしてしまったのかはまだ分からない。
今頃、川端のことだから、警察に対して堂々と自白しているころだろう。あいつはウソをつくことを嫌う人間だから、人を殺したかと言われれば「確かに殺した」と言うだろう。昨日まで隣にいつもいた仲間が捕縛される様子が、今あそこで行われている。
藤見は冷静な顔を持って、電話の先の川端に質問をした。
「ミディレはどうしたの?」
「いいところに気が付いた。私が殺してしまった男はどうやらミディレと関わりがあるようだ」
ミディレと関わりがある?
ミディレとかかわりがあるというぼかされたいい方も気になるが、それは単に状況の把握ができなかったと考えればいいのだろう。当の人間がすでに死んでいるというのなら、もうその場に事情を知ってそうな人間はミディレしかいない。
いったい何が起きてそうなったのかを次に聞きたい。これは僕が聞いた。
「川端、何が起きたのかちゃんと話してくれ――」
電話から発せられる川端の声は状況を説明した。
起こったことの中で奇妙だと思うことは三つある、とまとめてくれた。なるほど、こんな状況でもポイントを三つに絞ってしゃべるこのプレゼンテーション力、評価しよう。
一つ目はやはり、スマホが盗られ人差し指サイズの注射器がくっつけられていたこと。もうこの一つ目を聞いただけで怪しいと思わざる得なくなった。この注射器には何かがある。川端を人殺しに招くような何かが隠されているらしい。なんだ、精神が狂うのか、幻覚が見えるようになるのか。
二つ目はミディレがある男に出会い、心底驚いていたこと。その男は全くミディレには良く見知った仲らしく、安心したかのような、そうではないような反応を示していたらしい。彼の親族か、それとも身内かという可能性を考えておいた方がよさそうだ。
三つ目は、先程の男の突然の襲撃である。男はどうやら河原町通の人影に紛れてミディレを狙っていたのではと彼は分析する。その時に川端は、ミディレの身体を狙おうとする男の拳を薙ぎ払い当て身のつもりで首にチョップをしたところそのまま倒れて死んだ、とのこと。直後に彼の体がどうなったのかは川端はとても語りたくないと話した。
意外と細かく話してくれた。しかし、今の話を聞いた限りでは「スマホが盗られて、ミディレの知り合いに会って、人を殺した」という流れか。人を殺したのは単純に正当防衛のつもりでやったのだろうが、それで命すら奪ってしまったというのは、川端も不意だろう。
状況は把握できた。
「じゃあ、樋田。お巡りさんが来たから切るぞ……お前に要らぬ疑いがかけられたら困るからな」
「お、おい待て。話はまだ終わっていない」
切れた。
なんとも身勝手な男。チョップで男を一人葬り去った男の声色はすでに力を失っているようだった。しかし少なくとも、彼がその時に正気を保っていたことは確かだ。適切な状況分析と、正当防衛を行おうとするだけの判断力が、麻薬の類いから生み出されるわけがない。なぜそう考えたかというと、あの注射器が彼の判断能力を鈍らせたのではないかという推察である。
「……藤見、うなじにチョップしただけで人を殺せるか?」
「よっぽど鋭い刃でかなりの力をかけないと人間の首は切断できないはずよ」
藤見がそんなことを冷静に分析できるのもなかなか謎である。そしてこんな話を駅中でするのもよろしくないかもしれない。
そして、ただ僕らは川端が連れて行かれたという事実だけを受け止めるしかないのである。いや、ミディレが側にいた以上、事情を聴かされるに違いない。解放されるまで時間がかかってしまうかもしれない。
しかし、僕は彼女に初めて出会った日のあることを思い出した。僕が浅はかな解決策を思いついてミディレを警察に引き渡そうとしたとき、ミディレはどうしたかを。彼女は警察の優しき目から視線を背けて、全く外れた方向へ逃げ出したのだ。警察のあの服装が気に入らなかったに違いない。つまり、今回もミディレは警察から逃げる可能性が高い。何やら嫌な予感がする。
そのとき、誰かが息を切らしながらこちらに走ってきているような気がした。気配は向こうから近付いてくるのか。この時僕らは市役所前駅の地下にいたのだが、地下街の方向からこちらに走って向かってくる男を見た。
先程ミディレはある男に出会って驚いたというが、今僕が彼に会うのも、それに似ている。
こちらに走ってくるその男は、その青年の名は樋田定一に間違いない。なぜ彼がここにいるのか?
「に、兄さん?」
「ああ、よかった定家。ここにいたのか、早くミディレを連れ戻しに行くぞ」
十メートルほど離れたところから急いだ口調で定一は叫んだ。
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