第29話 秩序のサイレン

 話をとりあえず聞くしかないな。


「『お兄さん』?」

「うん、まだ若い男の人だった。で、携帯見てみたらなんか君からメッセージ来ていたんだけど、あれってミディレ語だよね、あれ君が送ったの?」


 そんなわけなかろう。頭のいい藤見ならあれが僕が送ったものではないことにすぐに気が付いて怪しむはずだ。だが逆に藤見があれを書いたかについてはグレーゾーンといえる。まだ、書いた可能性がある。


「まさか、この樋田があんなに流暢にミディレ語を使えるわけがない」

「やっぱり。で、通話履歴もあったし、使われていた?」


 そう考えるしかないよなあ。一体何なんだ。おそらく僕の携帯を拾った人と藤見の携帯を拾った人はつながっている。お互いに携帯を『盗んで』何かをしたかったとしか考えられない。だがそのあとすぐ返した。アカウントの乗っ取りにしてはあまりに物理的で面白くもない。目的はなんだ。明らかに意図的だ。

 特に少女の物言いについては引っかかりすぎた。『すれ違う時に間違えて』と言ったのだ。違ったようにしか思えないではないか。そうか、「すれ」というのは物を盗む「スリ」から来ているのか。たぶん違うが。


 そうなると川端はどうなったのか。あの中で川端だけが無事だったのか。連絡をよこしてみても何も返ってこない。メッセージを送られて、戻ってきたことを了解しているのか。とりあえず彼に合流してみよう。


「ところで、川端からもメッセージが来ているんだけど」

「何?」


 内容は同じ、僕の携帯と藤見の携帯が交わしたやり取りを、藤見の携帯と川端の携帯の間でも交わしていたことになる。ちなみにミディレに通信手段はない。こんなよく分からないいたずらができるのは僕たち三人に対してのみだ。

 困ったな。加えて三人とも携帯に何のロックもかけていない。ガラガラのセキュリティを破られて勝手にメッセージを入力されたのか。

 僕ら二人はとりあえず川端に合流すべく、地上に上ろうとした。

 歩きながら藤見は相談をしてきた。


「ところで、樋田、こんな小さい注射器みたいなやつ、定期入れの裏にくっついていなかった?」

「定期入れの裏?」


 注射器といえば先程のメッセージとあからさまに関係がある。『その注射器を使え、その時は覚悟せよ』で言う「注射器」とは明らかにこれのことだろう。これを使うと何かが起こるのか。しかし、目の前にある注射器をその場で試しに使ってみるなんて、そんな危なすぎる真似はしない。窃盗犯のメッセージのひとつとして受け取ることにする。しかし、注射器ひとつで犯人の声明なんてわかるものか? 川端は推理力がある方でこういうのは得意だろうが、僕はこういうのはさっぱりだ。


「藤見、どう思う?」

「なんとも……とりあえず持って帰って成分分析とかしてみようかしら」


 そんなマッドサイエンティストじみたことが藤見にできるのか。こいつの自室には未だに入ったことがないが、さぞかし謎に包まれた部屋なのだろうか。藤見は小さい注射器系二個を預かった。

 しばらく歩いていると川端から僕に向かって電話がかかって来た。


「樋田、ちょっと俺はお前や、藤見に謝らなければならないことがある」

「――なんだ……どうした」


 普段の川端ではない。明らかに息も乱れていて、何か恐ろしいものを見てしまったという感じだ。何かが違う。きっと恐ろしい事件を川端は見てしまった、いや、「謝る」ということは加害者になってしまったのか。自転車を運転していたわけでもないのに、一体どういう事件を起こしてしまったのか。



「人を、殺してしまった」

「え?」


 唐突だった。

 川端はこれを言った後、自責の念に駆りたてられたのかずっと受話器越しに叫ぶのみだった。

 川端がこんなに取り乱すなど、あり得ないではないか。そう、あり得ない。あり得ないの五文字に尽きる出来事だ。

 川端の筋力といえば、僕と同じくらいだ。それじゃあどれくらいなのか分からないかもしれないが、僕ら二人はそろって腕立て伏せが五回しかできないほどの筋力しかない。しかも格闘技の経験もなければ喧嘩をしたこともない。川端にはそんな気軽に人を死に追いやれるほどの力もない。なぜそう言い切れるかというと、必ずそれは彼にとって事故であった、わざとではなく不意にやってしまったのであったはずだからだ。

 通話の声は藤見にも聞こえていた。藤見は表情をより深くさせ、激したり激しくショックを受けることもなく、ただ深刻な事態であることを感じ取っていた。今にもこのまま冷静な判断のもとに「何が起きたの?」と聞き出してきそうな面構え。

 しかし僕はそうはいかない。驚愕の余り声も出ない。まるで川端の犯した所業を僕も同じように犯してしまったように、圧迫感に押し殺されそうになった。落ち着きを取り戻して、もう一回確認をするしか能力がなかった。


「それは……どういうことだ?」

「言葉通り……私はもう君たちの前に姿を現すことはできない。とっくにお巡りさんも駆けつけようとしているだろう」


 友が捕縛される様子を見たくもないが、このままここで川端をこともしたくない。何をしたらいいのか。分からない。そもそも何が起きているのか。

 ひたすら川端が人殺しなんてするわけがないと思い続けた。故に返す言葉はそれまがいのことばかり。しばらくするとパトカーや救急車の類いのサイレンが聞こえて、それはこの御池通を東進して、河原町通りに右折してからは南下していった。あれが罪人川端を連行するのかと、すぐに思った。様子は見えないが、確かに事件はすぐ「そこ」で起きているようだった。

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