第9話 コンビニ追放

 ここまでかなりスムーズに表現を聞き出してきて、さすがの僕もちょっと驚く。

 しかし、僕は先に『こんにちは』と『ありがとう』を聞き出せと頼んでいた。すでに出会ってしまっているのに挨拶の表現を聞き出すのは不可能なんじゃないのか。いや、油断していると川端は聞き出してくるかもしれない。というか聞き出して来たらそれは川端を僕の部屋に入れさせてもいいということになってしまう。それは困る。

 川端は今度はミディレを連れて僕の方に戻って来た。どうだ、とても言いたげな顔をして近づいてくる。そんな顔をされても、まだ『こんにちは』を聞き出していないぞ。


「やあ、樋田。ガム食べるか?」

「いらねえよ」


 川端は返事をスルーしてガムを一粒取り出した。こいつが人前でガムを咀嚼するのはいつものことなのだが、その動作が今回に限ってなんだか大げさだ。左手でガムの包み紙をスピーディーに剥ぎ取り、まるで指先からガムが発射されるかのようなポーズをミディレに向けた後、うっとおしく腕を回しながら謎の掛け声ともにガムを口に入れた。それだけではない、体をリズミカルに左右に揺らしながらガムの入っている袋をポケットにしまい、ミディレに問いかける。


「Am ... dim」

「Ra?」

「Am ... dim!」

「Aam... jikidis?」

「Yee, jikidis!」


 テンポよく受け答えをしているようだが、コミュニケーションを取れているのか分からない。だがなんか通じていそうな雰囲気? を感じる。ガムを食べる動作から「食べる」の単語を聞き出しているのか? そろそろ種明かしをしてほしいところだ。だが、そのガムを食べる動作だけでは「噛む」とかと間違えられているんじゃないのか。


「何か分かったのか」

「ちょっとな。まず彼女の話す言語は主語-動詞-目的語らしい」


 なるほど。今までのよく分からない会話でそこまで分かるものなのか。さすが、という感じか? そして今は口に入れてもぐもぐする動作を聞き出した。このコンビニでどこまで聞き出してくれるんだ。というか、あいつは挨拶を聞き出せるのか?

 そのあとも川端はいくつか動作を披露した。突然出口に向かって無言歩き始めたり、棚の扉を開け閉めしたり、手を叩いたり、万歳したり、突然『私はエーミール』と叫んだり、その場で川端がくるくる回ったり、はたから見れば明らかに不審者だった。随分と人目も集めたことだろう。すでに二人くらい近所の中学生がずっとこちらを見ていた。一番恥ずかしそうなのはミディレだ。明らかに表情が落ち着いていない。

 ミディレの周りを歌いながらスキップしまくったあたりで、後ろから何やら男が近づいてきたのが分かった。どうやら、コンビニの店長らしい。やばいぞ、つまみだされるぞ。さすがにそろそろ頭がおかしい人だぞ。酒気帯びスキップと思われても僕は知らないぞ。


 ――やはり追い出された。川端、お前の意味の分からない動作のせいで結局メロンパンしか戦利品がない。今夜はメロンパンを二人で半分こか。冗談じゃない。成長期真っ盛りの男子高校生の夕飯をこんな砂糖とパン粉でできた120gの菓子パンで済ませられるわけがない。しかも女の子も一人いる。ミディレは小柄だが、女の子だからといって小食とは限らないんだぞ。


「聞いているのか、川端」

「落ち着け。最後にもう一つだ」


 川端はミディレの方を向いた。ミディレは唯一の戦利品を持っていた。今度は何を聞きだされるのかと川端の口や肢体に注目した。メモ帳をポケットに入れ、カチッとペン先をしまい、話し始めた。


「En he am kenso aam, am eho こんにちは! Mo, aam kenso am, aam eho'm?」

「En h'aarm kenso... am naanyungan? Am naanyun f'ehodis di aam "Jeemusn"」


 なんだなんだ、急に長文が現れた。さっきのあれで急にそこまで話せるようになったのか? というか、さりげなく『こんにちは』って聞こえた。今のやりとりで挨拶表現を聞き出せるのか。

 まさかここまでこんなにスムーズに表現を聞き出してくれるとは。最初の方は何をしたかったのかなんとなく分かったが、コンビニで挙動不審になったあたりからちょっとずつ文が複雑になってきて、いよいよ僕でも何を聞き出そうとしているのか分からなくなっていたところだ。数学の時間で何か定理を紹介してくれたのはいいが、最初の方の基礎問題は普通に理解できても後の方の応用問題になるとなぜか急に分かりづらくなるという、アレに似ている。

 そもそも、言語ってあんな風に解析されるのかと、僕は感動した。言語学者は体を張って言語を知ろうとする、少なくとも川端はそうだった。単に知識だけではなく、コンビニ追放をも恐れない精神で、見事彼はここまで分析して見せたのだ。ちょっとだけ尊敬できるかもしれない。コンビニ追放を除いて。

 最後にミディレが言い切ったところで、川端は再びメモ帳を取り出して何かを書き留めた。そして、メモ紙を四枚ほど一気にブチィとちぎって僕に手渡してきた。


「私はもう帰るよ、満足した」

「ああ、そのメモをおいて帰れ帰れ」

「Seene」

「ああ、せーね、せーね」


 さっきのセーネはさすがに聞き取れた。これで、『こんにちは』『ありがとう』『さよなら』が分かったわけか。某挨拶の魔法のファーストステージをすでに三つクリアしたことになる。

 川端は閑静な夜の住宅街に消えていった。僕は川端の背中を見届けた。

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