第8話 メロンパン商法

 川端はテンポよく財布にお釣りをしまうことができたが、ポケットに入れるには三回くらい右手をもぞもぞと動かしていた。


「私はその子がなんて言っているのかを分析したくて仕方がない」


 まあ、確かに言語の話題だったが、知識がなくてどうすればいいのかと悩んでいた僕には悔しくとも救いともいえる言葉だ。こいつが言語に詳しいことは知っている。川端であればすぐに彼女の言語を習得してしまうかもしれない。ここはあいつに任せたい。

 しかし、こいつを自室には入れたくない。こいつはあまりにも生活スタイルが雑なので、まるでシーズンに入った中心地のホテルの予約状況の様に部屋をめちゃくちゃにされるに決まっている。需要と供給が全然見合っていない観光地はまだわかるが、需要と供給が全然見合っていない現地のホテルというのはいかがなものかと思うのだが、決して僕の部屋は観光資源でも枯渇するホテルの空き部屋でもない。

 しかしこいつの力をちょっとでも借りないと、彼女の言うことがわかるようにはならない気がするのだ。樋田に人生最大の決断が訪れた。自分の部屋とミディレ、さあどっちを取る?

 だが、答えは簡単だ。


「まあまあ、川端。この子から『こんにちは』と『ありがとう』を聞き出せたら考えてあげよう」

「まじか、よし。この子の名前を教えてくれ」

「ミディレ、らしい」


 よし、と言いながら川端はミディレの目を見て、こっち来いよみたいなことを言いながら菓子パンコーナーに向かった。僕も後をつけてみよう。一体何を企んでいるのかは知らないが。

 川端は財布を取り出した。何かをミディレにおごってやるらしい。そりゃ、お金の力には何者もかなわない。まさか、札束をそのまま渡してやるなんてことはしないだろうが、物で釣って「ありがとう」と言わせるのかな。

 菓子パンコーナーの前にミディレを立たせる。川端は右手にさっきしまったばかりの長財布を持ち、ミディレの前に何か菓子パンを提示した。第一弾はメロンパンらしい。


「Zam je'm...?」

「ん? ダム……いや[ð]か。ザム。ザム・ジェムと言ったのか」


 独り言を発しながら川端はメモ帳を取り出して何かをメモした。ただコンビニに買い物に来ただけの癖になぜメモ帳とボールペンを常備しているんだ。そして川端は数秒考える動作をする。真剣な顔をした川端なんて、最近見ていなかった。最近見るあいつの表情は、いやそもそも顔を見ていなかった。

 カチッとボールペンのペン先を収納して、川端はあたりを見回す。天井か壁か商品棚か。今度は何をする気なのか。あいつには漫画の吹き出しが見えているのか。

 最初に時計を指さした。川端は次の瞬間、確かに彼女の母語を話して見せた。


「Zam je'm?」

「Aa... bwim je yasaza?」

「ほうほう、なるほど」


 その後も四つくらい川端は物を指さしていた。これは、さっき僕がやろうとしていた「○○である」を聞き出してしまったということか? なるほど、さすがは川端なんだろうが、それくらい僕でもできそうなことだ。まだ『ありがとう』も『こんにちは』も聞き出していないには変わりない。しかし、「○○である」が分かったのは確実だ。

  再び一分ほど川端は考えた。彼のメモ帳は二ページ目に到達したらしく、何かを必死に書き起こしていた。そして最後に、川端は僕の方をじっと見つめた。すると遅れて、ミディレも川端の目線を追って僕の方を見た。なんだなんだ二人して僕を見て。僕の顔には何も書かれていないぞ。


「ミディレ、Zam je'm?」

「Zam...wii, kar je Toitaa」

「え、知ってるのか。 Kar je Toitaa, dim je Kawabata. Zam je Mizire?」

「Raa... am je Mizire. Aam je Kawabata. Kar je Toitaa」


 また、トイター、と聞こえた気がする。というかトイターだけではなくミディレとかカワバタとかも聞こえてきたような。ともあれ、交番に行く途中でボディランゲージのゴリ押しでの意思疎通だったが、名前くらいはお互い分かっているんだよ、残念だったな川端。早くそのメモを僕に見せてくれ。いや、見せてください。

 またメモを取り、川端は先程手に取ったメロンパンをミディレに手渡した。手渡したというのはちょっと語弊があって、川端がミディレの手を掴んで、メロンパンを握らせたのだ。メロンパンがつぶれないように、ミディレが袋の部分だけを持つのもよく見える。

 そこからは先に僕が予想した通り、メロンパンを持ったままレジに向かったのだ。レジの前で二人はそろって一礼をし、川端は財布から小銭を出してメロンパンを購入した。ミディレはメロンパンを手にし、じーっと見つめていた。彼女がそれを食べ物だと認識しているかは分からない。


「あー、すいません。これもお願いします」


 追加でレジの下に陳列されていたミント系のガムを見せ、川端はそれも購入した。そういえばあいつはガム中毒だったなあと、僕は思い出す。

 ミディレはメロンパンを片手に持ち、川端に言った。


「K, Kawabata...」

「Je'm?」

「Kamsam aam」


 ミディレは深く頭を下げお辞儀をした。なるほど、今のが『ありがとう』なのか。

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