第7話 一直線レール型人生

 地盤のゆるい京都市の地下を十数分ほど走り、最寄り駅に到着した。中心街から離れるとだんだんと乗客が少なくなり座席に座れるようになるので、ある駅を境に僕とミディレも座席に並んで座っていた。

 さてどうするか。何をどうするかって、僕は実家暮らしなのだ。親がいる。親にどう説明するか。いや、普通に友達として紹介しておけばいいか。幸い、見た目も日本人と変わりないし、とりあえずオウム返しする能力はあるから挨拶されても怪しくは思われないだろう。

 まあ大丈夫、まあ大丈夫――いけない、いけない。こういう油断した早計が命取りだ。何が起きるか分からない。そもそも、うちは来客なんて長年来ていないので、布団とか部屋とかのスタックがないんじゃないか。いやないな。絶対ない。あの家の押し入れにはもう登場することは無いだろうクリスマスツリーとベビーと大事に保管されている引越社の段ボールぐらいしか入っていない。

 だが、この子に床で寝ろというわけにもいかないな……この子はそもそも床で寝る文化圏だったのかも分からない。床ではとても眠れないっていう人だったらちょっと困るけれど、布団と床の違いをむしろ教えて欲しいくらいだ。


 階段を駆け上がって地上へ上る。長い階段を上らせることのないようにエレベーターも存在しているのだが、こちらのほうが交差点の信号を渡らずに済むのだ。というかむしろこっちの出口にも早くエレベーターを付けて欲しいと言いたいところだ。

 ここは京都市といっても、ちょっとだけ有名な逸話のある神社や寺院が近くにあるだけの場所。閑静な住宅街のど真ん中で観光客に人間の濁流を作られても困るというものだ。それでもいったいどこから情報をゲットしたのか、ここをわざわざ訪れる観光客もたまにいる。旅をするのが好きで好きでたまらないという人ならまあ分かる。だがこんなところにいながら清水寺はどこですかとか聞かれても、ただの放浪者じゃないですかと思ってしまうわけだ。たまに横浜駅であべのハルカスを探したり、原宿で諏訪大社を探したり、琵琶湖で山道を探したりする迷子の強者が現れるが、そんな彼らには笑顔で「この辺りではありませんっ」と返してあげよう。観光産業のtouristの顔に泥を塗りたいのなら。


 とまあしょうもないことを考えながら歩いていく。たまにミディレが確かについてきていることを確認しながら、まっすぐ家を目指していく。川端もこのあたりに住んでいるのだが、おそらくあいつは今頃終電チャレンジを狙っているのだろう。


「着いた……ここが僕の家だよ、ミディレ」

「Dii je...」


 ただ声をかけるだけでは完全に独り言にも聞こえてしまう気がするので、最後には発音下手くそでもいいから名前を呼んで呼びかけてみる。そしたら反応してくれて、僕が指さしているところをフォローしてくれた。これで、「今からこの建物に入りますよー」ってことは伝わると思う。


「ただいまー」


 この家では、「ただいま」というと「ウィー」とか「エーイ」とかしか返ってこない。

 じゃあこっちも「イェー」とか言いながら家に入ればいいじゃないかと思うかもしれないが、それを使った者は歴代で一人しかいない。ちらっとリビングに顔を出してみて母親の顔を窺ってみた


「あら定家、お友達?」

「ああ、この子を家に泊めたいんだ」


 突然の来訪で母親も少々驚いているかもしれない。すると、二つ返事で事態は進み、代わりに彼女の夕飯を何とかすることになった。お腹が空いているかは分からないが、時間帯的にとりあえず食べ物を見せてみた方がいいだろう。飯テロ上等、慈悲はない。


「じゃあコンビニ行ってくるわ」

「気を付けて」


 せっかく家に着いたというのに、すぐに追い返されて再び外に出向くとは――これも仕方ない。ミディレのためだ。身寄りのない子を助けているだけだ、あれだけ強い力で腕を握られた以上は、何か応えてやりたいと思うじゃあないか。川端なら思わないだろうがな。

 コンビニまでは徒歩で数分。むしろ自室の窓からコンビニが見えるレベルでとても近い。この辺りに住んでいる家庭はおそらくとても助かっているんじゃないだろうか。閑静な住宅街なので信号機も少なく、かなりネットワークは良い方だと思う。近くには公立小学校・中学校もあるので、ここのあたりで生まれ育ったらご近所付き合いという一直線のレールにしがみつかないと生きていけないわけだ。外れれば確実に死ぬ。京都人って怖いなあ。


 コンビニに入り、ミディレの空腹を反応を見て確かめてみるとしよう。彼女が何に興味を示すか、ちょっと気になるな。この国の料理を初めて食べるのだから。料理といってもコンビニだけど。

 店に入るなり、ミディレは動きを止めて、どうしたらいいのか分からないという感じになってしまった。そして僕までも、どうしたらいいのか分からないという感じになってしまった。あそこのレジで清算を済ませているのは、間違いなく。


「よお、樋田、奇遇だなあ」

「お前、あのあと二次会にジュンク堂に行ったはずじゃあ」


 ははは、と笑う川端。何に笑っているのか、分からない。こいつはこうやって会話の合間合間に謎の笑いを入れ込んでテンポを取ろうとしている。いや、実は相槌のつもりなのかもしれない。なんて適当にあしらわれているような返事なんだ。


「ジュンク堂、さすがに閉まってたんだよ。それよりお前はあれか? 何かに困っているな?」


 何か含ませ気味になって物を聞いてくる。なにこれ、怖すぎる。よりもよって川端に思考を読まれるなんて、言語の話を五時間くらいされるよりも恐ろしいじゃないか。僕は言語の話をされるのだと覚悟を決めた。


「なんのことだ」

「とぼけても私にはわかるぞ? その子と言葉が通じていないんだろう」


 川端はお釣りを財布に入れながら近寄って来た。

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