第49話 表語文字の罠
部屋に入っていくと、やはりいろんなものが雑多に転がっていた。謎のガラス容器、謎の鉄の棒、謎の変形を遂げた木材、ところどころ血痕が残っている。だがここが襲撃されたというわけではない様子である。単に掃除がめんどくさいだけで、ここはどうやら「移動魔法研究所」である。
「研究所……?」
「ご明察。まだ三人しかいないがね。いや、俺は何も分からないから実質彼女と――」
言いかけて部屋の奥に座っている人物を指さした。
明らかに机に突っ伏しているように見える。午前中なのに一切目を覚まそうとせず、ずっと動かないのは、もはや生活が崩壊しているとしか思えない。
「――今寝てるが、あいつと二人が主力ってわけだ」
「いやいや、主力ってなんだよ、千鳥子って言ったか、あの人誰だよ。そもそもこの部屋は何だ?」
「質問は一つずつ、な。順を追って説明するからまあ、お茶でも飲んでいけ」
そんな嗜好品が存在するのか。それだったら部屋中に散乱しているガラス片を掃除したらどうだ。
僕、ミディレ、川端、藤見、定一の順番で円卓に座った。円卓があまりに小さいので、みんなくっついて座らねばならない。くっついて座らねばならない。
ミディレが申し訳なさそうにくっついてしまうのは許そう、だが定一が一番スペースを取りながら僕らを圧迫するのは許されない。僕らはお客様だぞ、誘致された観光客だぞ――っと、いけない。ついつい京都人のステレオタイプが。
千鳥子と言われた女性は奥からポットを取り出してきてお茶を丁寧に注いだ。やっぱりこの空間のヒエラルキーがよく分からない、まあ、いっか。定一らしいといえば、その通りであるかもしれない。
僕らは朝ご飯を食べていないということを知っているのか、見事な三角形のおにぎりが一人一個ずつ置かれた。親指を使えと言われて反対の手の薬指が出るような兄にはできない所業だ。千鳥子という人の有能さには感服するが、適材適所ということなのだろうか。定一の給仕に適した人材など、あまり望んでなりたくはない。
「あそこで寝ている奴については後で話す。というか起きてきたら話す。まずは彼女と俺の経緯と、なぜこんな意味の分からん部屋が存在するのか、から解説していこう」
「やっとか」
川端の辛辣なコメントは尤も。まあまあ、となだめる藤見もいつも通り。
「大学受験を終えて京都の実家を出てからもう半年はたったんだな。ちょっと日付が飛ぶだけで両親があんなに懐かしく感じられるとは思わなかったが、まあそんなことはどうでもいい。お前も大きくなったんだなってことも、今は置いておこう。俺はこの大学の学生なわけだが、訳合ってここ数か月講義に出ていない」
まずいじゃねえか。上京して大学で勉強するんだなあと思っていた――いやまで、上京というにしては距離が中途半端だな。その辺も含めてじっくり解説してもらおうじゃないか。
「訳とは見ての通り、この部屋だな。今年の夏ごろだったか、お前がミディレに突然であったのと同じように、俺もこの子に突然、この周辺で出会ったんだよ」
……今年の夏、全身に湿気を感じる季節の雨の日。講義が終わり、夕方ごろに寮へ向かう途中、彼女は右から飛んできた。俺にそれを躱すことはできなかったが、偶然にもよいクッションになったらしく、俺は左足を派手に擦りむいたがミディレは骨も折らなかったらしい。
あまりに突然のことに思われるかもしれないが、突然なのはこれ以降だ。京都の俺の別荘的な建物に入って来たあの女の子、おそらくあの女の子と同じ人物がミディレをまさに襲おうとしていたわけだな。地元のヤクザかと思って逃げようとしたが、簡単に追いつかれる。そのまま大量にナイフを投げられ、目にも留まらぬスピードで動かれた。
万事休すかと思われたところを助けてくれたのが謎の女性だった。お前たちに配ったあの可能化剤のようなものを駆使しながらその時は撒いたわけだが……さすがに恐ろしかった。あんなに強い女の子がいるのも恐ろしかった。
で、言葉が通じないことに気が付いたのもその一軒が終わってからだった。本当に何を言っているのか分からなかった。想像で「助けて、助けて」と言っているのかと思っていた。その後に女性とミディレ(まあその時は名前も分からなかったが)が何やら会話していたようだがそれもやっぱり何を言っているのか分からなかった。
だがその助けてくれた女性が日本語を喋れるとは全く思わなかったな。
女性は名乗って、ミディレの手を握りながら俺にこう言った。
「私は……千鳥郎って名乗る。この子は私の妹です。ありがとう。――」
どうも日本語が不自由なように見えた。しかし、この時の俺のコメントはそんなこと考える暇もなさそうなほどに意味不明だった。
「千鳥郎……女の子なら千鳥子って名乗った方がいいと思うぞ?」
「ああ、分かりました。私は千鳥子。それより、ありがとう。あなたの名前を訊かせていただいても?」
「名乗るほどのものでもないが……」
大学関係の人かとその時は思っていたこともあって、学生証を見せた。日本語が不自由なことが分かっていながら漢字表記しかない名刺を見せるのも不親切だが、この時はそんなことも考えていなかったらしい。
「なるほど、トイタ・サダイチさん。実は、私、いま協力者の方がひつようなんです」
さだかず、だよぉ……とツッコミを入れるまでもなく、切迫した状況の中でなぜかYESと言った。
理由は分からない。ただ少なくとも、俺は困っている人を見てじっとしていられる人間ではなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます