第25話 狸捕食未遂

 少々速い夕飯をほおばっていたところ、玄関の鍵が開く音が聞こえた。母だ。

 え、母? これはちょっとまずいかもしれない。勝手に冷蔵庫の食材を使ってみましたとか以前に、なぜ昨日の女の子がまだ家にいるんだ、なぜ居候を開始しているんだと言ってくるに違いない。


「ただいまー」

「ウィー」


 この声はやはり母親だ。今日に限ってこのタイミングで帰ってくるとは、予想できたにしろ心のどこかでそれはないなとか思っていた。なんとなくこの状況を見られるのは、僕のチキンな心が許さない。せっかく幸せな食事タイムを両親に邪魔されるのって、嫌じゃない?

 部屋に母が入って来た。しばらく何が起きているのか分からないという状況だ。


「えー、定家、その子どうしたの?」

「昨日言った子だけど」

「うん……いや、そうじゃなくてね」


 だよなあ、誤魔化せるわけないよなあ。昨日の夜からずっとこの家にいて、しかもずっと台所を使っていたなんて、さすがに僕の口から弁論なんてできない。

 だが母はそれ以上特にミディレについて言及せずに、荷物だけを置いて、服を持ってどこか――おそらく寝室へ行ってしまった。僕らはダイニングに取り残され、野菜炒めの湯気がテーブルの上に舞い上がった。

 なんか最近、僕の周りでそういう妙な空気の読解を行う輩が増えた気がする。川端は最初、僕とミディレを見てその場を離れた。昨日の夜も、帰って親にどうやって弁解しようかなとか考えていたら、二人とも寝ていた。今朝だって、一番最後に出た母親はミディレと一度は目を合わせているはずだ。

 しかし、家のどこかから母が大きい声で話しかけてきたのが聞こえた。


「定家、その子が食べた跡は全部片づけておきなさいよ」

「え、はいはい分かったよ」


 適当に返事をしておく。ミディレの世話をしろと言うわけだ。なんだか話が円滑に進んで助かる。

 ちょうどすべて食べ終わったので、食べ終わりを告げる挨拶をしてキッチンへ向かってみた。先ほど見た通り、流しのところにはミディレが食べた形跡が二か所あった。一日三食と言う健康的な食生活に倣って、朝食べたであろうもの、昼食べたであろうものが分かりやすく並んで水に浸されていた。片づける言っても、このキッチンには食洗器がついているので、セットして粉を入れてボタンを押せば何とかなるものだ。ミディレが使っている皿も使いたいので、今すぐにはやらない。ミディレの感触を待とう。

 じーっと。


Aam kensodis fu...?なぜ見ているんですか?

「えーっと、あー、Aam jikiあなたは食べる...samそれ

「S...sam? Am imietei he dim tookerem je surman... dim je sam h'aam zirko...? Baro narroaa he je Toitaa zirko ano fo aru...? Ra, wii, wii, kar an torbaanna sakt. Romga he Toitaa gga zirkonar fo Joojeinaaran samtue」


 あ、いけないいけない、皿を指さしながら「あなたはそれを食べる」なんて言ったら、まるでミディレに「一粒残さず食え、ただし皿も『一粒』にカウントする」などと言ってしまうことになる。ミスったミスった。ミディレも唐突な意味不明発言に困ってずっと独り言を発しているではないか。

 自分がしてしまったジェスチャーに慌てる。おかしいな、ミディレの何らかの魔力で完璧なジェスチャー・アビリティーが衰えてしまったか……あの時は見ず知らずのかわいい女の子を助けることで頭がいっぱいだったから、脳がフル回転したのだろう。今となって、食事もして、すっかり彼女とも打ち解けて、油断しすぎてミディレの頭をうっかり撫でそうになる。理性が残っているのでそんなことはしないのだが。樋田は紳士なので。

 とにかく、皿だ。皿なんてミディレ語でなんていうんだ。単語帳に乗っていた単語はあらかた覚えられたので、kenso「見る」とかは分かったのだが、応答がやっぱり語彙力不足のせいで満足にできない。

 仕方ない、お皿を食べろなどと言ってしまったことは諦めよう。ミディレのあの顎からして、皿をかみ砕くほどの力はないだろう。ずっと見ていては食事の邪魔だろう。ミディレと向かい側に座って勉強の続きをしよう。

 といっても、このノートに書かれている内容もあらかた理解できて来た。教科書完走ってわけだ。ここから先は自分で極め……いやいや、それは川端のお仕事だ。川端や藤見の助力のもとで僕はミディレと言葉を交わせる。


「D... dim jeこれは bi bwepaare...? Dimこれ jikinfuu je...???」

「え、 Midire, aam yanbadis'm!?」


 ようやくミディレも完食かと思いきや、食卓の隅になぜか置いてある置物にまで手を出し始めた。この置物はプラスチック製の二頭身タヌキなのだが、いつもここに鎮座しているのだ。

 何とミディレ、それを右手で掴んで、舌なめずりしている! 違うそうじゃない! さっきのジェスチャーがまさかそういう風に伝わっていたなんて!

 急いで阻止した。その時もはや僕はミディレ語どころか日本語すら喋っていない。英語の点数が急激に下がった川端がかつて発したかのような、理解不明な断末魔の声だ。ミディレから置物を取り上げてゆっくりと置き、食べ終わった皿を片づけ始めた。ふう、危ない危ない。あんなものを食べれば喉が詰まるぞ。


「危なっかしい子だ……」


 半分僕のせいだけど。

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