第26話 招集の令

 以上のことから、言葉が正常に伝わらないというのがどんなに不便か、というとてもありきたりな感想を抱いたわけだ。日本人とミディレとではジェスチャーの捉え方や常識もちょっと違っているということは、常に考えた方がいい。本当に日本人のように見えるような顔立ちや肌や髪の色をしていても、異文化圏であることはひしひしと感じさせる。この違和感のことを川端は言っていたのだろう。

 さっきのは僕の伝達ミスだ。でも、確かに明らかに食べ物じゃないものを差し出されて「食べろ」と言われたらちょっと面食らうかもしれない。しかも断るような顔はできない。

 難しい。言葉の壁だけではなく、認識の壁までもが立ちはだかるとは。ちょっと甘かったかもしれない。言語を理解するだけでは足りない。しかもミディレ個人の生き様や性格なんてとうの先に理解できるものなのだろう。それまでに役目を終えているのかもしれない。それはそれでちょっと寂しいか。

 彼女と未だに会話ができなくて参っちまっているのは正直なところ。だからといってまだ彼女と離れたくはない。まだ彼女には迷った女の子でいて欲しい。それが彼女にとって不幸というか、早く母国に帰りたいという感情と相対するものであるのには変わりないだろう。


 皿を洗っている最中、もどかしい気分に襲われた。脇がかゆいとかではない。食卓に置いていた携帯が着信音を奏でているのだ。全く、この僕にわざわざ電話をかけてくるなんて、いったいどこの藤見だ。しかし両手が泡まみれのこの状況でも、ボタンさえ押せばミディレでも応答することができる。ちょっとミディレ語を組み立てるだけだ。基本的な色の表現は川端がちゃんとメモしていたし、「押す」が分からなくても名詞だけで通じるだろう。


「Midire, zan kmasその青い奴...」

Kmas青い奴...?」


 通じない。

 そしてふと思いついたのだが、ミディレがそもそも電話というものを知らないという可能性はあるだろうか。ミディレは割と清潔状態も良いのでそんな奥地から来たようにも思えない。さすがに電話くらいは知っているはず。それ以前に、黒電話しか知らないとかのほうが困るか。

 とにかくその画面をのぞき込むのだ。赤いボタンと青いボタンがあるだろう。赤いボタンは通話拒否、青いボタンは通話応答だ。色のイメージが万国共通とも限らないが、どうにか分かってくれ。いや今無理でも皿をすべて洗い終わってからコールバックすればいいのだが。


 すると急にバイブレーションが止まった。あれ、これはまさか、ミディレでも応答できたのか。「その青い奴」で通じたのか?

 感動だ。ちょっとした感動だ。先ほども自分で書いた文字がミディレに読んでもらえた時、それはそれは大きな達成感を得た。これもそれに近いのだが、「よし、やったぞ」と心の中でガッツポーズをしたくなる感じの小さい達成感だ。

 環境音と共に藤見の声が聞こえた。やはりか、こんな時間にわざわざ個人通話で僕を呼び出そうなんざ、三分早い。僕はあと三分あれば鍋をすべて洗い終わる自信があったからだ。


「やっほー樋田君、ミディレちゃんとは元気にしているかい?」

「余計なお世話だな……いったい何の用?」


 話しかけられただけでこんなにポンポンと御託を並べられるのも相手が藤見だから。新鮮さも何もないいつもの彼女だ。ただし、学校が別になってから藤見との会話が減ったのは真実だ。

 普段は下の名前で呼び捨てする癖に、今日に限って敢えて名字に君付けだ。どこにでもいる男子と仲がいいお人好し女子を演出したいのだろうが、どうせそれも最近身につけた高等技術だろう。


「いやね、これ別にメッセージでもよかったんだけどさ……明日、暇でしょ?」

「明日? そういえば土曜日か」


 藤見が休日に遊びに誘ってくるのはそれほど驚くべきことではない。それほど頻繁に遊んでいるわけではないが、こういうことを言いだすのは藤見らしいな、ということから生じる感覚だ。

 テスト明け最初の土日である。それはそれは高校二年生にとって、すがすがしい気分だろうな。まだ期末試験が待ち構えているとはいえ、学期の節目というものは肩の荷物が解放された感覚が確かにあって、ちょっと我慢してきたことをやってみたくなるのは自然の感覚だ。正直僕もそう思っていた。川端がどうかは知らないが。


「そうそう。そこでさ、私と定家と川端とミディレちゃんの四人でどっかお出かけしない?」

「ふむ、僕とあいつとお前と……え、ミディレもか?」

「Je'm, tar Toitaトイタ?」


 ミディレも咄嗟に反応した。

 しかし、もっと驚いたのは僕の方だ。三人でどこかに行く流れなら既出なのだが、ミディレも連れて行くのか。こりゃまた大変なことになりそうだ。何をやろうとしているかが目に見えている。川端は当然参加してくるだろうな。


「お出かけって……どこへ?」

「うーん、川端曰く『神社仏閣などは』とのこと」


 何をしたいのかは浮き彫りだ。

 一日で回れる神社仏閣には限りがあるが、一体どうするつもりなんだろう。二つ返事で藤見には承諾の旨を伝えておいて、最後に藤見から、ミディレにもそう言っておけ、とのこと。

 どうやって言いましょうか。

 なんかあんまり多くのことを伝えても彼女が混乱するだけなので、ここはまったり京都観光ということで、僕は何も彼女に伝えぬままこの日の夜を過ごしたのだった。

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