第17話 起床ハラスメント
樋田家の朝はというと、母親が一番最初に起きて弁当を用意し、七時ごろに父親が出社した直後に僕がリビングに下りてきて七時半ごろには登校する。朝からテレビを見たり、カフェインをキメながらエレガントなパンを嗜んでいる時間もない。カフェインは真昼か真夜中にキメるものだ。
だが、今朝は違う。僕はこの部屋に寝ながら、一種の閉塞感を覚えた。まるで自分の身体が二倍に膨張してしまったかのような。あるいは、この部屋が二分の一に伸縮してしまったような。なんだか空間を半分盗られたような。
いや違う、いま目をつぶっている前方の空間に何かが潜んでいて、それが僕の寝返りなどを阻んでいるのだ。それは一体なんだ、ということが判明するのと、目を開けるのはほとんど同時だった。
「!??」
そうだ、すっかり忘れていた。あの後僕は布団に入ることを強いられた。それは筋肉隆々の男に後ろを取られ攫われるような強制力ではなく、どちらかというと朝起きた時にその気だるさから布団に封印されてしまい抜け出すのが難しいという、アレに似ている。
流れからして、ここで寝ざるを得なくなった。そういうことだ。全くやましいことは考えていない。そして、あの後何も起こっていない。僕は何も悪くない。
だがさらに追い打ちをかけるように、僕の脳はさらに厄介なことを推測してしまった。もしこの光景を両親が見てしまっていたら? いともたやすいだろう、十段程度の階段を上ってドアノブのある鍵の無い木製のドアを開けることなど。父親にしても母親にしても、この状況を見られて、はたまたイベントが発生したことなどを勝手に推測されては、親に顔向けできない。
しかし、ここで泣き寝入りする樋田定家ではない。無実を晴らすためには潔い態度を貫き続ける必要がある。ミディレを起こさないように僕は布団から離脱、用意していた制服に着替え、ボタンを締め、ネクタイを締め、ズボンを履き、ブレザーを羽織り、鞄を持つ――って、あっあっ。みでぃれさんがおきています。きがえているようす、かんぜんにみられていました。
「お、おおお、お、おはよう、ミディレ……」
「Jechorusn... en aamn naara fanaa mo manaa narron chemnsurehodisree en rakko sumitto yuguu an ryoo...?」
若干彼女も恥じらいを感じている気がする。文学的に言うのなら顔が赤くなっているなどと表現できるのかもしれない。視覚的に赤くなっていなくても、ちょっと落ち着いた雰囲気を出せずに慌てふためいていることは容易に分かる。人間の恥じらい方がよく分かる。いや、そんなことを考えている場合ではない。女子がいる部屋でついつい何も考えずに着がえを完了してしまったことに対する謝罪が先だ。
「ごめん、ミディレ、気づかなかった」
「Gomen...?」
「僕は今日は学校に行く、話はあとにしよう」
「あと」といっても、学校ですべての授業が終わるころには夕方、一日の大半を僕の殺風景な寝室で過ごさせるのもちょっと酷かもしれない。だからといって学校には連れて行けないだろう。連れて行ってもお互い困るだろう。それならば家にいた方がより安全か。
幸い、休日も近い。彼女とゆっくり話ができる時間が欲しい。今週末を狙っていくしかないだろう。弁当を鞄に入れ、財布をポケットに入れ、洗面台の前でちょっとだけ髪を触ってみる。今日もバッチリな黒髪だ。我ながら気持ち悪いナルシスト感を意図的に演出する遊びをしたところで、冷気残る朝の京都盆地の閑静な住宅街に踊り出た。昨晩の見た景色からは一転、暗い空から青みがかかった空に覆われた周りの街の景色は、確かに今が朝早い時間であることを思わせる。朝というものが僕は苦手であり、この感覚を味わうたびに、こんな時間から活動を強いる人間社会を窮屈に感じる。僕は割と破滅思考だ。全く、何という起床ハラスメントだ。
駅に走ること数分。川端も藤見もあの最寄り駅を頻繁に利用していることはすでに語ったことだが、二人は僕よりも早い時間帯に出発してしまうので、僕が合流することは無い。近所に住んでいるという理由だけで川端の変に早い起床時刻に合わせる意味もなかろう。
だが、この日はちょっと特別だ。起床時刻に合わせることは無いが、まれに彼は起床時刻をこちらに合わせてくる。当然ながら、彼は自分の日ごろの予定を乱すことは無い――その点は僕も当てはまるかもしれないがそれは別にどうでもいい――ため、寝坊すると僕と同じ時間帯の電車に乗ることさえある。
今日がまさにそうだ。偶然にも川端は普段の彼の時間から遅れて駅で合流した。ああ、出たよあの顔。自信に満ち溢れたようなあの顔。普通の顔をした川端というものを、小さいころから見たことがないと思う。いつも自信ありげな顔だ。たまに学校で、何も考えていないのに授業中に分からないとかで盛り上がっている集団に対して彼はあんな感じの視線を送る。すると、なぜか見られた側は川端は実は分かっているんじゃないかと思ってしまうのだ。そして、何も考えていないので分からない。そんな時彼は一切嘘をつかず慌てることもなく「分からない」と表情を変えずに返す。
余談はさておき、電車接近を知らせるアナウンスを聞いて急いで階段を駆け下りていると、すぐに川端が目に留まった。
「よう、おはよう」
走っている僕の激しい呼吸に気が付いたか、先に川端から声をかけてきた。
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