第19話 曖昧ミーマin

 川端とは同じクラスなので、学校生活ではほとんどの時間を共に過ごす。なんて面倒なんだろう。孤立無援で静かに学習をしている方が楽でよいと思うタイプなのに、この日は僕も川端もミディレのことで頭がいっぱいだ。僕は彼女の身の安全、川端は彼女の話す言語に興味を示して思考を止めようとしない。

 次の合間の休み時間に川端が話題に取り上げたのは、ミディレの言語の形態論というやつらしい。川端は専門用語が一般人に通じないことに最後まで気づかないので、それを見越して僕は先に突っ込んでおいた。形態論、とは何だと。


「よし川端、『けいたいろん』ってなんだ」

「形態論というのは、単語を構成する仕組みのことだ」


 単語を構成する仕組みぃ? 抽象的な言い方だ。頭のいい人たちには瞬時に理解できるのかもしれないが、我がものとするのには時間がかかる。単語を構成する仕組み、そもそも単語の構成なんて考えたことがない。

 とも思ったが、よくよく考えてみれば、我々は単語を使っているときにその単語の人相と言うものが見えてくる。『見る』『食べる』『言う』などはそれだけで単語になっているのだが、『書き出す』『蹴り上げる』などはなんとなく『書く+出す』『蹴る+上げる』なのだと分かる。川端が言いたいのはそのことか? 単語がいかに形成されるか、ということについてか。

 これについて、質問をすると川端は以下の様に答えた。

 例えば英語では、三単現の-sがあったり、現在分詞と動名詞の-sがあったり、いろんな単語の形が変わる語尾がある。また-ialや-alをつけると形容詞になる。単語を構成している意味を持つ最小単位を形態素と言って、形態論とは活用や単語の作られ方などを含めた仕組みを示すという。

 ふむ、やはり分かったよな分からないようなだが、よくよく考えてみれば納得がいかないこともない。つまり、ミディレの言語に三単現があるとかないとか、形容詞の作られ方とか、そういう広い意味での単語の構成のことを言いたいのだろう。はじめからそういえばいいのに。

 だが、こういうと川端は怒る。専門用語は何も関係ない人を惑わせるためのものではなく、扱いたい特別な対象に対して名前を付けることで効率化を図っているのだと語る。まあわざわざコーヒーショップのことを「カフェインを含有した黒色の液体を嗜むお洒落な店」と言うよりかはコーヒーショップと言った方がいい、と言いたいのだろう。


 慣れないことで、脳内思考がフル回転する。だがこれもミディレとのコミュニケーションを図るためだ。いまだに彼女がどこから来ていて、どんな事情があってと言うことが分かっていない。さらにミディレがどんな人物なのか、その行動だけではとても判断ができない。もどかしい感じしかしない。理解するのにここまで苦労するなんて。ここまで言葉の壁を感じるなんて。川端が直々に解析の手を入れるなんて。

 今はこんなこと考えていても仕方ないか。大丈夫だ、いずれ彼女の言語は分かってくる。その時まで学ぶことを放棄してはならない。脳裏に浮かぶはあの謎の男の言葉。「力になれない」という全否定の発言が僕の心をさらに煽るのだ。


 そして昼休み、川端は裏に何も書かれていない紙を一枚持ってきて、弁当を食べる僕の前に現れた。何かを説明する気満々だ。あるいは何かを一緒に解析させようというのか。川端は小さいノートも携えて持ってきた。雑記帳か何かか。

 川端の指示により彼の雑記帳の指定されたページを見せられた。それはミディレが昨晩コンビニで発した例文たちだ。だが対訳を見ると、それは発言した順番と言うわけではなく、下に行けば行くほど文が少しずつ複雑になっていく。

 いや、いやいやいや待て、最後の方を見てみるとミディレが明らかに言ってなさそうな例文がいくつかある。「樋田はミディレを好いている」など、絶対ミディレの発言していないものに違いない。全く、授業で配られたプリントなどと違って自分の思ったことばかり書けるからといって、なんて勝手なことを書いているんだ。許せん。同時に面白い、殺すのは最後にしてやろう。


 川端は解説を交えて。このように説明した。

 ミディレの言語はかなりの一致率で英語と同じような語順を取っている。主語が来て、動詞が来て、目的語が来るといった語順を、それぞれの要素の頭文字をとって並べてSVO型と呼ぶことがある。それに対して日本語はSOV型に属する。形態論の話をしたいんじゃないのかと突っ込みそうだが、語順が分からないことには進まないから仕方ないか。

 代名詞などにのみ格変化が見られるという。格変化とは、ものすごく単純に言うと「私が」「私の」「私を」に相当する表現のことらしい。例えば一人称単数代名詞のam「私」は


am 私は

amn 私の

arm 私を


 と変化する、と川端は解析している。一人称単数代名詞については使用が多かったので、ここまで変化形を見つけられたが、指示代名詞やそのほかの代名詞はまだ不完全だ。もしかしたら存在しないかもしれない。

 ともあれミディレの言語には格変化がある。だが彼曰く、これはあくまでわずかな発音の違いと使用例から再建したものだから、詳しいことは分からない。難しいものだ。言語を解析するためには何と発音したかを聞き分ける鋭い耳が必要ということか。

 ちなみに一般的な名詞は、「の」を表す-nと「を」を表す-reeしか見られなかったという。主格は無標かもしれない。トルコ語などがそうだから。


――ふむ、やはりすごい。よくここまで分析したものだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る