第21話 ミディレハウス

 川端とは最寄り駅に着くまで一緒である。多くの同級生集団が途中で降りたり、そもそも駅まで一緒に来ないで自転車を走らせたりしている中で、僕ら二人だけは最寄り駅に着くまでそんなことがない。まったく、なんて面倒な。途中で降りていく仲間を見送っている同級生をちらっと見て、ちょっとそんなことを思ってみた。

 しかし、新たな人間関係を作り上げる気もあんまりないというのが僕と川端の性根である。藤見がどうかは知らないが。


 彼とも別れた一人きりの家路。

 異世界説、川端によるとそれは「地球外の人間である」と同義ではないとしていた。地球上のどこかに存在する民族であるという可能性はまだ否定できない。

 だとしたら、誰かが某百科事典に題名と貧弱な説明だけが書かれたページを作っているはずだ。まさか僕らが民族の第一発見者だなんて、ありえない。帰ったらミディレとも会話をしながら彼女の故郷を割り出してみよう。最初やりたかった「ミディレとのコミュニケーション」とちょっとずれているように見えるが、コミュニケーションの内容が決まったと捉える。


 家に到着してみると、果たしてそこには両親はいないようだった。父親は平日はいつもいないのだが、母親も帰る時間によってはたまにいない。帰宅部の僕は帰るのが人一倍速いので、この時間に母親が確実に帰っているとも限らないのだ。

 だが、今日からは「家に帰ればミディレハウス」なので、ミディレだけはこの家にいるはずだ。まさか出歩いてはいないだろう。出歩けばまた迷子の迷子のミディレちゃんになるだけだ。いくら何でもそのことは昨日の経験からわかっただろう。ジュンク堂で出会うまで一体どれ程の時間京都市内で彷徨っていたのかは定かではないが。


「Toitaa, imuurna? Imuurusn, nastaanna aarm...」


 最近初めて聞いた声にしては、あっという間に僕の脳内で定着した声だ。その落ち着いた感じの声の持ち主ミディレは廊下の奥の方から玄関に立つ僕の姿をチラ見していた。昨夜はさんざん見飽きた顔だから、いくら一晩経っても数秒見ればさすがに誰だったかは分かってくるだろう。

 さて、「おかえり」はなんていうのか。これはさすがに川端に調べさせていない。先ほどの発言の中のどこかに「おかえり」が含まれていると考えたらいいのだろうか。今聞こえた音声を再び脳内再生してみよう。「トイター、イムーンナ?、イムールスッ、ナスターンアールム?」うむ、トイターしか分からない。相変わらずトイターという人名が出てくることは置いておいて、他の部分はなんて意味だろうか。

 よく考えてみると、aarmは川端のメモにすでに記されていた単語だ。意味は「あなた」、つまり二人称だったはず。あと分からないのはイムールスッみたいなやつとイムーンナみたいなやつだが、この二つの単語はなんとなく似ている。もしかしたら変化形か何かかもしれない。

 この時の僕の勘は鋭かった。日本語でも「帰る」と「おかえり」は、同じ「帰る」という動詞を含んでいるではないか。もしかしたら同じように考えられるかもしれない。確認する術はないが、イムールなんとかが「帰る」に相当する動詞かもしれない。

 すごい、今僕は川端のアドバイス無しで自ら何か仮説を立てることができた。このままいけば自分一人でミディレの言語を解明できるかもしれない、と唐突に誇大妄想を広げていく。もしかしたら、もしかしたらと。その直後に、最終的には川端がすべてを暴いてしまうのだろう、という結論が生まれてくる。人間の心の変わりやすさとは、こういうことを言うのだろう。

 そんなことはさておき、なんとなく言語を解析する手法は自分の中で分かってきた気がする。例のメモに追記しておこう。


 ミディレは何を狙っているのか、ゆっくりとこちらに近づいてきた。なぜか逃げることができない。たぶん危険なことはしてこなくて、何か頼りたい事柄があるのだろうと僕は知っているから。ここは彼女に従っておこう。一体何に困っているのかな。お腹が空いているのかな。

 いや、お腹はそこまで空いてはいないらしい。というのも、流し台を見てみると何かを食べた痕跡が確認できるから。この家の冷蔵庫をこっそりと見つけて、何でもいいからとりあえず食べてみた、ということだったらとても複雑な心境だ。彼女の衣食住についてはまだまだ対応が追い付いていないので今夜も僕とミディレは添い寝することになると思う。許せ。僕は許したくないが。

 本題はテーブルに広げられた二冊のノートだった。うち一冊にはラテン文字っぽいようなそうでもないようなよく分からない文字で題名がつけられている。そしてもう一冊にはまるで数学の問題をといて途中式を書きまくったかのように、さまざまな意味不明な記号が罫線を無視して大量に書かれていた。


「これがミディレの使う文字か」


 すぐにそう思った。見た目はラテン文字っぽいのだが、明らかにラテン文字ではない文字がいくつも含まれていて、なおさら違和感のある見た目をしている。

 彼女は何をしたいのか、しばらく「あー」とか「えー」みたいに悩んでいる様子を見せたかと思うと、ページを変えて、何か別のページのある表と開いているページとを行き来しながら、「miðile=ðilkodisnal」を書いた。


 そう、日本語も英語も知らないはずのミディレが、僕や川端のよく知るの発音記号で「miðile=ðilkodisnal」と書いたのである。

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