第45話 長文失礼

 夕飯を食べ終わり、本当はあまりよろしくないが、寝る前に携帯を確認した。解読の進捗が出ているかどうか確認する気が起きたのだ。


『例のミディレの手書き、解読できたか?』

『ちょっと待てよ、文書にして送るから』


 仕事が早い。いや、これで文書に赤い太字で「わからん」とか書かれていたらキレそうになるが、彼に限ってそんなことは無かろう。分からないことをきっぱりと分からないとだけ告げて家に帰るような人間でないことは僕も知っている。

 チャットグループのウィンドウを閉じて、別の通知が入っていることに気が付いた。送り主は樋田定一、僕の兄であり、移動魔法のコーチであるとも言える人物だ。まさか本当にメッセージでそんな魔法の極意を伝えてくるとは、いくら暗号化通信とはいえちょっと心配になる。

 予言されていた通り、形式は動画で、長さはおよそ五分程度。五分の映像を見るだけでもう移動魔法の基本がつかめるというのか? そんなわけあるまい。確かにさっきは一発腹を殴られただけだ。それでもそれほどのダメージが残っていない――少なくとも生身の僕であれば吐瀉物のひとつでも噴き出していたであろうところだった――のは、確実に可能化剤の効果のたまものだろうが、やはり適切に立ち回ってこちらから攻撃する術を身につけないといけなかろう。


Sadaieサダイエ, aamあなたは kenso何を見……?dis'm?」


 kensoが『見る』であることは単語帳でちらっと見たことがあるから知っていた。だが実際には「ケンソディス」と聞こえたし、聴き間違えたのかもしれない。それにしてもミディレが不思議そうに携帯の画面をのぞき込んできたことを考えてみると、『見る』と解釈した方がよかろう。そんなにスマートフォンが珍しいか。ならばじっくりと見るがよい。

 さてミディレには画面を見せておいて、僕は川端から送られてきた文書ファイルを開こうとするが、そのデータサイズを見てやばみを感じる。一体どんだけ注釈を入れたらそんなファイルサイズとページ数になるんだ。こんなもん後から川端から話を聞いて授業を開いてもらった方がいいに決まっている。


『長いから簡潔に』

『じゃあまた今度だな。それより、樋田、今から重要文法を一つ解説するぞ。ここ数時間でようやくわかって来た内容だ、しっかり聞け』

『ああ……それって明日とかじゃあだめなのか?』

『だめだ。今ここで理解しておけ。きっと役に立つからな』


 どうやら相当重要なことが解明できたらしい。まるで「英語はbeとhaveとletを押さえておけばOK」みたいなことを銘打っている参考書のようなノリだ。たまに本屋で見かけるが、類書も多ければその対書、つまり「そんな英語では通じない」的なことを掲げている本もあるというのが日本の英語の語学書の定番である。だが、無明の闇を超えながら手探り状態で語学をやっているこちらとしては、そういった情報はありがたいに決まっている。


【過去、未来、進行の表現】

 長文失礼。

 私は私で、藤見は藤見で、樋田は樋田でミディレ語解読を進めていることと思うが、私の「時制」および「相」に関する仮説をここに記す。英語表現の試験程度で頭を悩ませている樋田にもわかるように説明するからしっかり読めよ。

 そもそも時制とは、行為が発話時点より前か後かを表す文法カテゴリーだ。『文法カテゴリー』が分からないなら、その言語の定番大原則みたいなものだと思ってくれればいい。

 で、ミディレ語にはたぶん多様な種類の時制あるいはアスペクトの種類が存在すると推定されるが、その辺の仕組みはまだ語るべきではないのでここでは述べない。ここでは、表題にある通り、ミディレ語の過去、未来、進行をどう言うかをまとめておく。


-(n)na 過去(~した)

-gan 未来(~するつもり)

-dis 進行(~している)


 以上。ひとまずこの通りに覚えれば会話には差し支えないだろうと踏んでいる。


――


 なるほど、前置きがやたらと長いが、情報の公開にはベストすぎるタイミングだ。kensodisは「見ている」「be looking」に相当すると言えるのか。確かに表現の幅は広がるだろう。


 横道が逸れたので、早速動画を視聴しよう。画面にあのピンクのパーカーを着ていた兄がデカデカと表示される。


「Sadaichi...」

「そう、僕の兄貴の…ん、サダイチ?」


 ついつい僕も間違えそうになった。彼の名前の読み方は「サダカズ」であって、サダイチではない。確かに、初見だとサダイチと読みたくなる人もいるかもしれないが、彼女は日本語を知らなければ当然漢字も知らないので、誰かが読み間違えたのをそのまま覚えてしまったということだろう。


「Raa... kar an je Sadaichi. Kar je Sadakaズ」

「Sadaka...zu」

「Wii. Sadakaズ」


 どうやらズが言えないのか。川端曰く、どこかの方言にはザ行がダ行になってしまうことがあるのだから、そう考えてみれば、ミディレ語ではザ行がダ行になってしまうという結論が出うる。それが考慮されていると考えたとしても、サダイチとうまい読み方が出てくるのは若干気になるが、まあきっと誰かが間違えてそう呼んだのだろう。例えば、人の名前を覚えるのが苦手なあの二人とか。言語学が好きなあの二人とか。

 僕は動画に映る人物を、実際にはどれくらいの頻度で周りの人間に読み間違えられているのか想像しながら、見届けた。

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