第15話 布団フォール

 三人で大通りを歩いていたが、藤見は道中で小さい通りに入っていった。彼女の家はちょっと離れている。川端の家と僕の家は走れば一分足らずで着いてしまう距離にある。対して藤見の家へは走っていこうと思っても途中で息が切れる。話を聞くに、藤見も実はあのラーメンを食べていたらしい。全く気付かなかった。やはり彼女の気配遮断能力にはいつも驚かされる。

 藤見も割とミディレの言語を知っていた。川端が教えたのだろう。連絡先は交換してあるから今すぐにでもお互いメッセージを飛ばそうと思えば飛ばすことはできる。


 家に帰ると両親はすでに寝ていた。めちゃめちゃ早い。いや、普通に早いと思う。いつもなら普通に夜のテレビを見たりしているところだ。両親はテレビが好きらしく、必ずどちらかがテレビの前を陣取っている。実は僕には兄――樋田定一さだかずがいたりするのだが、すでに実家を離れて一人暮らしをしている。

 この家に僕と両親だけが住むようになったのはそんなに前のことではない。去年の春から、兄は高校卒業に伴って大学の近くに一人暮らしをするようになった。我が家の人間にしては珍しく真面目で誠実、常に他人のことを考慮し、激することも人を傷つけることもない、とても善良な人だ。いや、善良という言葉を使うとまるで僕があの人に嫌味を言っているように聞こえるかもしれないか。

 そんな懐かしい話は置いておいて、僕は寝床のことを考えながらミディレを自室に招致した。かつて兄が使っていた寝具などはまだ家にある。はじめはミディレにそれを使わせることを考えていたが、実は問題が一つある。女の子に男が使っていたものを使わせたくないとかそういうのよりもっと重要なことだ。

 しかしこの樋田定家、その重要なことを完全に忘れていた。やらかしてしまったなあ。僕はこの家に潜んでいる『問題児』の存在を完全に忘れていた。そう、兄が使っていた布団は母親が押し入れに詰め込んで仕舞ったのである。


「ミディレの布団はここに――ブホアァ」 


 僕が押し入れの戸棚を開けるや否や、まるでピタゴラスイッチの様に、何も滞ることなくスルスルと、押し入れに収納されていた布団や毛布やあれこれが落ちてくる、落ちてくる。僕のボディをそのまま完全にホールドアウトしてしまい、動けないではないか。今まで押し入れに入っていたことがまるで奇跡だ。天文学的な確率で見事なバランスを保ちながらここに収納されていたの違いない。そういう絶妙なバランスでピタゴラスイッチを仕掛けてくる母親の高等技術も称賛に値する。

 そこにミディレが入る。あたふたした様子で「Zaawer an je?」と繰り返しているのが聞こえる。なんだろう、心配してくれているのかな。それとも僕が何か漫才でも見せたかったと思われていて、見事に滑ったことを必死にフォローしているのかな。どちらにせよかわいいものだ。母親に後で叱責することはよそう。

 そして、彼女の寝る部屋を探すことにしよう。兄とは同じ部屋だったので、また別の部屋を考えてみよう。そうなると、来客用ということになっているもう一つの小さい部屋くらいしか我が家にはない。しょうがないのでそれを使おう。男女で同じ部屋というのも、ちょっとねえ。


 派手な布団フォールの後片付けをして、ひとまず寝床を整えた。先刻は彼女が床に寝られるかということに悩んだが、やっぱりベッドなんてうちには存在しない。これで慣れてくれないというのなら、もうビジネスホテルをわざわざ予約するくらいしか手はないだろう。


「どうぞ、ここで寝て」


 これに添えたジェスチャーはとても単純、実際に布団に一瞬だけ横になったのだ。さすがにこの動作を見て「ここで暖を取ることができます」とは取らないと思う。

 ミディレは深く頷いた。頷くのは肯定でいいのだろう。ついでに言うとさっきから言っているyeeも、おそらく日本語の「はい」に相当するものとして考えて間違いなさそうだ。

 さてあとは洗面具か。こればかりはさすがに中古品というわけにはいかない。というわけで買いに行かなければならないのだが、コンビニに行く気にはなれない。今夜は我慢してもらうしかないか……もうしわけないが。

 彼女の言語の解読を進めようと思ったが、さすがにいろいろあって僕は眠かった。疲れた時は寝るのが一番、元気な時も寝ておいた方がいい。シャワーだけ浴びて寝間着に着替え、僕はさっさと自室に向かった。しかし、その前にミディレの様子でも確認しておこうか。

 ノックして名前を呼んだ。


「ミディレ、ミディレ」


 返事が、無いと思ったらなんだか違う方向から聞こえるなあ。何だろう、そこは僕の部屋なんですが。夜這いは寝る前に行え、ってことですかね。

 だが、どうもその声がただの返事ではない。嫌な予感がするな

 事情を聞き出したいので表現を練り直す。英語みたいに主語省略ができない言語だと非文になるかもしれないが、とにかく使ってみるしかない。メモを見ると、「~は何?」は「~~ je'm」というのだと書かれている。ということは、Je'mだけだと「なんですか」の意味になるはずだ。

 初めて自分で考えてミディレの言語を話すぞ。


「Je'm」

「Pukaabu!」


 ふむ、返答はあるがやはり、どういうことなのかは分からないな……。どちらにせよ、ドアを開けてみて状況を見るしかない。開けてみよう。


 ――布団の上には、知恵ある昆虫インセクタ・サピエンスが鎮座していた。


「ぬうあんんじゃこれはああああ!?!?」

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