第37話 ピンクブラザー
「顔のない男」と言われて連想するものは、おそらくマスクで顔面をすべて覆い隠した男。だが、「後頭部のない男」と言われて連想するものは、はたして何だろう。人によって考えるものは異なるに違いない。少なくとも今の僕らにおいては、ナイフで後頭部全てを削ぎ落された男、となる。
みたいなあんまり笑えない冗談を言ったのは当然善良な京都市民の僕ではなく皮肉屋の川端なのだが、友人の兄をこんな風にして揶揄してしかも大声で言うのはあまりにもあんまりだと思う。当の本人は全く気にせず、むしろどういう意味か理解しないという天然っぷりだったようだが。
閑話休題。僕は兄のあまりにも見せがたい後ろ姿を心配せざるを得ない。
「兄さんよ、まさかそんな頭で街中を歩くんじゃねえだろうね」
「まさか、俺はここで帰ろうか。何なら家はこの近くというかあそこだし」
「いやいやお兄さん、貴方がいないと質疑応答にならないでしょうが」
兄の帰宅に反対する発言をしたのは藤見である。藤見はその場で上着を脱いだ。藤見が来ていた上着は彼女の今の技術の進歩により、白い生地にピンクの文字でCHOICEと書かれている可愛らしいパーカーである。このパーカーについているフードを使えばあとは包帯で彼の傷を何とか隠すことはできるかもしれない。しかし、サイズが小さいことも相まってあの天然定一兄貴がこんな女子力の高いパーカーを身にまとって住宅街を歩くとなると、弟としては恥ずかしさを通り越して抱腹絶倒の腹筋崩壊モノである。
「いやいやいや、俺はこんなところで笑い死にたくはないぞ。家が近いんだったら今から服を取りに帰ったらいいじゃないか」
「Wii.. zam ankyanpa ansum」
「そうそう、ウィーだぞ樋田定家。遠目に見た限りでは、定一兄さんの家に衣服が着れる状態で残されているのか怪しい。ちょっと兄の服装を見なければいいだけの話だろう?」
「きがるに いって くれるなあ」
我ら五人は川辺から離れて住宅街に入った。すっかりみんなでお出かけ気分だったのに、表面では楽し気な会話をしておきながら内心全くサイズの分からない謎を前に頭を抱えている。僕にはわかる。
住宅街の広がる京都市の地理的なほぼ中央部。ここはいわゆる「洛中」として平安京が置かれていたとされている一画である。正確に言うと京都御所を中心に北大路通を北端、九条通を南端、東大路通を東端、西大路通りを西端とした区域を「洛中」として、ここから内側か外側か、どれだけ近いかという基準を基にして京都市のみならず京都府、いや世界そのものをピラミッドのように格付けしていく。
これに従うと、当然ながら京都市内といっても山科区や伏見区、右京区や左京区の北の方は京都ではない。また伏見区よりも南方に位置する宇治市や城陽市などは洛外のさらに外ということでより下の扱いとなる。南丹市や亀岡市も当然田舎扱い、滋賀県などもはや放送禁止用語で揶揄されることになる。
ちなみにこの基準は明治期の市電で囲まれた一画のことであり正確な平安京の位置というわけではないが、この洛中中心主義は京都府民に根付いており階層社会が出来上がっているとするのが一般的な京都神話だったり、ステレオタイプ京都人だったりする。
はたして本当に京都市民はそんな人ばかりなのか。それは興味があったら調べてみるといいかもしれない。僕はそんな古臭い慣習についてはもう歴史の闇に葬りたいのでそんな話題をそもそも取り上げたりしないのだが。
閑話休題。京都にまつわる定番の話題には全く関連せず、烏丸線某駅の周辺に近づいた僕ら五人はファストフード店を発見した。川端は筆記具とルーズリーフを輝かせ、藤見はすでに鞄の中に辞書などを忍ばせていた。そもそもミディレ語解析のために集まったのだからこういった装備があるのは当然である。フードを何度か誤って外しそうになった頼りない兄を引っ張りながら店に入る。
こういった喫茶店に入るのは久しぶりかもしれない。さらに藤見と川端の三人で入るのは数か月ぶり、ミディレと入るのも兄と入るのも初めてかもしれない。嫌ミディレとは確実に初めてだ。一方で兄との記憶などもはや遠い彼方に――と、そんな与太話は中でいくらでもできるだろう。
注文したものの苦さで言うと僕とミディレ、川端、藤見と定一といったところで大きなテーブルに五人そろって同席で来た。休日の午後とはいつも混んでいるイメージがあったが、洛中とはいえ空くときは空くらしい。
ちなみになぜかミディレには苦いものは飲みがたいんじゃないかと危惧していたのだが、ブラックコーヒーを飲ませたところ別に大丈夫そうだったので僕と同じものにしている。なお数杯飲んでやがて砂糖を見つけては数杯入れ始めたことは、彼女の名誉にかけて洛中中心主義と同じく歴史の闇に葬っておきたい。
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