第55話 先行研究
プロセスが違う。
川端も僕も、もちろん藤見も、その言い回しがなんとなく引っかかった。僕ら謎に翻弄されている三人を尻目に定一は千鳥子と何やら作業をしているようだが、たまにこちらに向けてくる謎の得意げな顔が妙に面倒くさかった。
「それは、どういうことですかい、先輩」
「君たちがやりたかったのはこうだろう。『日本語もミディレ語も理解している千鳥子に、ミディレ語の文法を教えてもらおう』とね。だがそれは叶わないだろう。君ならもしかしたら、ワタシが言語学にも精通しているのでまだこの研究所が両言語間の系統的説明が確立されていないのはあまりにもおかしいと予想をしていたのかもしれんがね」
川端の思惑をすらすらと言い当ててみせる。彼の知性ゆえなのか、それとも彼のことをよく理解しているのか。いずれにせよそれらの予想は的中していたようで、川端は「やられた」というか、見事にその通りであるという、図星の表情を露わにしていた。
「残念ながら彼女から系統的説明は出てこないだろう……そうだな、彼女に我々の持つものと全く同じ学問の知識があるなら話は別だが、通常の日本人は自分の母語の文法を何もなしにすらすらと説明できないだろう?」
「あなたの言いたいことは分かる。いや、もう話の筋は見えてきた。そういうことなら、私のやり方も当然うまくいくはずがなかったでしょう」
「さすがだ、川端君」
おいおい、何も分からないぞ。素人にも分かるように説明してくれよ。
というサインを藤見に送ると、コミュ力の高い彼女はすぐに助けてくれた。さすが、川端とはワケが違う。
「つまりね、私たちは普段日本語をしゃべるとき、文法や細かい単語仕組みを意識していない、ってことなのよ」
「ああ、そういう」
「裏を返せば……彼女の頭の中には生まれついて習得した母語が二つ存在していて、その両方をほとんど差し支えなく話せる、ということだね」
「そこの可愛い女の子の言う通りだ。正確に言うと、千鳥子君はミディレ語も日本語も話せるが、だからといって与えられたミディレ語を日本語に性格に訳したり――それでもほぼ同義の単語をひねる出すくらいはできるが――できない、ということだ」
なるほど。
つまり、それってかなり強くないですか? 千鳥子という女性は、ミディレ人と日本人のハーフで、確かに見た目は両方アジアっぽい、いやそれを言うとミディレも生き別れた姉妹ということだから日本語は母語にはならなかっただけでハーフには変わらないのだが、確かに見た目が日本人よりなのも遺伝的な何かだろうと思えば頷けるかもしれないし、さらに言えばどこかで日本人はミディレ人だったり、ナーラ・ポ・ハタといった国にすでに訪れていることになる。
なんてこった、僕らが先駆者というわけではないじゃないか。それに、きっとどこかにミディレ語の先行研究があるってことですよ。某国際信州学院大学とかかな。
その時僕はなぜか、喪失感に似た何かを感じた。別に、僕は川端じゃないのだが。彼女はてっきり、この日本に初めて迷い込んでしまった魅力的なエスニックかと思った。そう信じていた。別にそれだから僕が明日SSRを当てられるというわけでもないのだが?
――嗚呼、そうか。僕は、彼女の第一発見者になることに密かに心地よさを感じていたのかもしれない。彼女自身の謎に包まれた「出自」という概念にとらわれて、心のどこかで彼女を神聖視していたのかもしれない。ミディレ=ズィルコディスナルという少女の内面を見ていない。これこそステレオタイプ京都人だ、と。
だが僕は、今心に秘めている「彼女を故郷に帰してやる」という思いが本物だと信じて進んでいくしかなかった。そのためにも川端や藤見の協力を仰いで彼女の言語を解明して、少しでも情報を集めて、Googleさえも知らない知識を手にするのだと意気込んでいる。少なくとも僕や定一はそのつもりである。
「しかし、祝先輩。そんな母語を二つも持つなんてことがあり得るんですか」
「普通ならきっぱりとバイリンガルに育てるのは一定の教育が必要だろう……が、詳しいことは断言できん。とにかく彼女はどういうわけか、ハーフなのか知らんが二言語を操れる。同時通訳は難しいが、何かの役には立つだろう」
「何か、とは」
「知らん。適当に言った」
上手くまとめたつもりなのか知らないが、あんまりうまくまとまってはいない。
すると定一が言った。
「よぅし、お前ら三人は今晩はうちに泊まっていけ。大丈夫、ちゃんと布団もあるぞ。変な臭いするけど」
「えぇ……明日こそは学校行きたいんですが」
「なんだよ、枕投げを楽しみにしていたんだぞ」
こいつ、こんなはっちゃける人間性だったっけ。
いやまあ、分からないか。大学で生活しているとこんな風に精神がおかしくなるなんてこともあるのかもしれない。僕は気をつけねばならない。
とはいえ、気が付いたら夕飯の時間帯で、外はすっかり暗い。別に外を見たわけではないが、時計を見れば暗い空が思い浮かぶ。なんせ、この時期ならだんだんと日も短くなってくるのだから。
とりあえずこの日は彼の提案を拒絶しながら承諾し、明日はかなり早めに起きて急いで学校に向かうことに決めた。
誤認教祖のアンディフィアン kpht @yuugokku
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