第12話 ちょっと休憩

 あまりにも不意打ちだった。心臓が恐怖の信号を全身に送っている。この時間帯、この声色、この暗さ。助けを求めようとしても誰も助けてくれない、僕はそう思った。

 ミディレも突然かかった声に驚いた顔を見せる。一種の肝試しをやっているような感じで、僕の方にちょっとくっついてきたかと思ったら、急に理性を取り戻して少し距離を取って元に戻ろうとしたのである。そこは惜しかったなあと思う。もうちょっとだったのになあと思う。

 でもこの状況はもうちょっとも何もない。どうしようか、どうしようかと中身のない無限ループを脳内で延々と続けているような感覚だ。襲われるかもしれないと。

 声のかけ方もかなり奇妙だ。映画によくある「ジャンプしてみろお」とかでもなく、名前を呼ばれるのでもなく、「居場所がバレた」とか言ってくる。こちらに悟られないように密かに観察していたとでもいうのか。それだったらこちらが何かに気付いている素振りも見せなかっただろう。これが単なる相手の誤算なのか、それとも僕の知らない、また別の事情があるのか――

 ただ一つだけ分かるのは「言語が日本語であること」。ミディレの話す言葉ではなかったということだ。

 僕は震える喉仏を無理やり押さえつけて、言い返した。


「何の話だ」


 暗闇からの返事はない。

 しかし、僕とミディレは一人の男が何かの建物の入り口から出てくるのを見た。

 身長は高く、髪は黒く、奇妙な模様が描かれた帽子を頭にかぶり、その顔の全貌は見ることができない。服装からして明らかに怪しいではないか。どこのカルト教団だ。その上、服装はただのスーツにも見えるが、どこかちょっと違う。人工的に作り上げた異様な雰囲気がその原因か。

 男は呼びかけてきた。


「少年よ」


 僕しか少年はいないと思うのだが、たぶん名前を相手は知らないのだろう。名前ではなく役職や身分で呼ばれることはたまにあるが、『少年』という言い方はいささか不自然である。口語で聞くものではないというか。だが無視することはなぜかできなかった。


「俺は名をほりという。君は……その女の子をどうするつもりだ?」

「どう……する?」


 そうだなあ、できればもっと親密になって話してみたいかなあ。好きな食べ物は何か、誕生日はいつなのか、好みの男子のタイプは何か、などさまざま。実際に聞き出せるかは別として。

 しかし、彼の声色と周りから感じる計画的に作り出されたオーラを見る限り、そんなことを言えば殺されるか笑われるかのどちらかだろう。僕はこんな状況でも漫才をやりたいわけではない。相手の質問に答えなければならない気がしてきた。

 しかし答えようにも、こんなに抽象的な聞き方があるだろうか。「どうする」という言葉はもっとお互いに事情を知っているときに使うべきではないのか、と考えてみる。すると、彼には当然事情があることになるのだが、僕にはない。僕は迷子の子を匿うために右往左往しているだけで、単なる人助け、現地人のもてなし、親切な京都人を演出するための観光客誘致活動に過ぎない。

 でも、日本語を話しておきながらこの女の子のことを話題にしてきたのはそれはそれで怪しいかもしれない。油断していた。ミディレ関係ではないと思っていた。

 だめだ。返答と思考が追い付かない。さすがに会話の最中の間として捉えられるにはあまりに長すぎた。時間切れだ。

 男が切り出した。


「ふむ、そうか。ならば俺が何かをする必要はないな――いや、独り言だ。気にしないでくれ」

「ま、待て」


 勝手に一人で納得されては困る。僕は情報を求めた。この少女に、ミディレがどうしたのか。

 いや、状況が状況だけに僕はどうも思考がおかしなことになっているらしい。もっと冷静になって考えよう。そもそもこんな状況に長いこと付き合っている暇はない。服装にちょっと戸惑ったが、この男もただの酔っぱらいかもしれない。そしてもしかしたらこの少女の保護者的な人物であるかもしれない。このように、もっと考え方はあるではないか。


「この女の子の――お父さんか誰かか?」


 またしても返答はない。一方的な男だ。こちらからの質問には答えずに、向こうは質問ばかりしてくる。ってことはこの女の子を保護する気はないと考えていいかもしれない。

 じゃあ何か。ただの不審者か。彼に壮大な事情があっても、それが僕やミディレに関係すると考えるには、あまりにも証拠が足りなさすぎる。ミディレも、この人物に対しては初対面であるかのような様子だ。


「一つ私は君に忠告しておくとするならば……君はその女の子の力にはなれないだろう」

「え?」


 力になれない。もう文面からして相手の脱力感を呼び起こしそうな言い方だ。僕の行動の全てを否定された、そういっても過言ではないような。


 僕はまた思考を始めた。彼女とまともに話すことができていないのは確かだ。匿うとか言いながら所詮僕は学生の一端。そう考えてみると、僕には何もできないのかもしれない。

 いやそんな手には乗らない。手に負えないからといって今更手放すのはあまりに非情じゃないか。京都人であるとか京都人でないとか関わらず、仁義は貫き通す。

 そう考えると、彼の発言は専らこちらに対する敵対意識を芽生えさせるものだ。何の根拠もない全否定。無意味で、そして洗脳的な「悪魔のささやき」。

 それもただの酔っぱらいの興だというのなら、僕はこの場から立ち去るのみ。無意味に時間を過ごしたくはない。Marsz進め, marsz進め、ラーメン屋へ進むのみだ。ミディレの腹の音は時間を浪費させられる僕への警鐘だ。


「逃げるか――」


 走り出すその瞬間、男はわざとこちらに聞こえるように言った。

 男が出てきた建物は、かの最寄り駅だった。

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