ただいま、お父さんっ
あんどらすは、肉体だけではなく能力も奪取できているとは思っていなかった。
だから、とうとう我が身にも神の特権が宿ったのだと心の中で狂喜乱舞した。
神の特権さえあれば、世界を手中に収めることも夢ではない。
野望のためにも、まずは眼前に立つ少女を叩きのめそう──あんどらすは、強力な魔法を見付けるべく神の脳内をまさぐった。
「──これだ! 七十二の迅雷 《イービル・ライトニング》!」
まだ人類が誕生していなかった頃、高位の悪魔が遊びで大陸を静めた時に使われたという雷の魔法。
何故こんなものが、神聖なる神の頭脳に刻まれてしまっているのか。
その理由は呪いにある。
神の絶対的力によって破れ去った悪魔達は、最期の足掻きとして絶対に消滅することのない施しを与えた。
七十二種類の悪しき魔法──如何なる厄災も跳ね除ける神と言えど、魔法の贈呈を拒むことはできない。
悪魔らしい姑息な手段によって、神の選択肢には常に悪が顔を出すようになってしまった。
神の特権は、授ける神が有していたものを受け取る性質を持っている。
そのため、ツァーフもといあんどらすの脳にも、同様の傷が存在しているのだ。
神の知と悪魔の名を所持している機巧人が放つ、邪悪なる雷撃。
それは、網のように広がりながら標的に襲い掛かる。
左に跳んで、魔法を回避しよう──防衛本能が、そっと葉月に耳打ちした。
自分だけが助かればそれでいいと言うのであれば、頭を空にして神のお告げに従うのがいいだろう。
だが、葉月は動けなかった。
後方で、めふぃすとがへたりこんでいたからだ。
距離はそれなりに遠いため、もしかしたら彼女のところまで雷は届かないかもしれない。
それでも、万に一つの可能性があるのであれば、葉月は不動を貫く所存だった。
一つでも多くの電撃を自分が受け止めてみせる──葉月は、両手を横に伸ばして面積を拡大した。
「くたばれヒャア!」
虚空を這う雷撃が余りにも眩しくて、葉月は思わず目を閉じてしまった。
「──勇気と優しさに満ちた、勇敢な姿だったわよ、葉月」
天からのお言葉と勘違いしてしまうような
、穏やかな声だった。
その声がした瞬間、葉月の元に迫りくる千鳥の囀りは無に帰し、光さえもどこかに連れ去られてしまったようだった。
葉月は、慎重に右目だけを開いて情景の記録を更新した。
金、赤、白の三色で装飾された淡く煌めく五角形の盾──それが、壁を構成するように、はたまた巨大な別の盾となるように、葉月の前で整列していた。
万物を断絶し、一人を守護する天使の御技。
一枚でもそこまでの効力を持っているというのに、ここにはそれが三十も現界している。
これにはさしもの雷撃も為す術がなく、彼らはただ、自壊していく己の身体を黙って見ていることしかできなかった。
さて、現代に天使の技を扱える人物は何人いようか。
答えは一人。人から天使へと成り上がった少女だけだ。
「オブリエル……!? どうしてここに!?」
白く長い髪を棚引かせ、少女特有の甘い香りを振り撒きながら横を通り抜けていく天使に、葉月は平静の仮面を剥ぎ取られてしまう。
「悪魔の気配を追ってきたのよ。あなた達と出会えたのは、全くの偶然」
オブリエルの前方に、微かに輝く五のサーベルが並ぶ。
「それに、その能力は……?」
「先の戦争で逝った勇者達の思念体……かしら」
オブリエルの剣と盾は、トライアングル・ウォーで夢と希望を彼女に託した者達の志を形にしたものと言っても過言ではない。
三種族による戦争は熾烈を極めた戦いであったため、その数は膨らみ、最終的には双方二万まで展開できるようになった。
言わば、オブリエルは一人で二万人の兵士を越えた戦闘力を保有しているというわけだ。
ただ、シャルルの鉄球と同様の理由で、オブリエルが最大火力で相手を攻め立てることは滅多にない。
それこそ、トライアングル・ウォーが再来でもしない限り拝むことはできないだろう。
オブリエルは、剣の一本一本から感じる確かな思いを受け取り、その夢を叶えてやるために刃をあんどらすへと飛ばした。
「嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だ! だって、僕は神──」
一つとして重なり合うことなく、五の剣は総じて機巧人に致命傷を負わせていた。
剣が抜けると同時に、あんどらすは口と刺し傷から体液を溢れさせ、眠るように後ろへと倒れ込んだ。
「よく頑張ったわね。ゆっくりとお休みなさい」
片翼の天使は、抜け落ちる魂に白き羽が如く柔らかな表情を送って救済を齎した。
天の使いとして然るべき断罪を行ったのだ。
「さて、仕事はまだ終わっていないんでしょう?」
彼女に携わる全てに圧倒され、唖然としていたギャラリーは時間を取り戻し、奥にあるという異界への門について語った。
天使曰く、その門は世界の均衡を脅かす可能性があるものらしく、すぐさま破壊活動を執り行うこととなった。
精神は支配されてしまっていても、器は父のそれと同じ。
めふぃすとは、ようやく父親との久しい再会を果たすことができたと一行に伝え、この場に留まるという判断をした。
葉月らはそれを了承し、ひいては気を遣って親子水入らずの空間を贈呈してあげることにした。
一人となっためふぃすとは、微動だにしないツァーフを静かに見下ろし、彼のために働き続けた頭を褒めてあげるように数回手を這わせた。
「ただいま、お父さんっ」
返事はない。だが、それでよかった。
おかえりなさいを言われてしまうと、もう二度と立ち去れなくなってしまうから。
「私ね、たっくさん友達ができたんだっ。皆優しくて、私なんかにも力を貸してくれたんだよっ」
愛玩機巧は、その名の通り愛でるための機巧人だ。
それは即ち格下の存在であることを意味し、綺麗な洋服や美味しい食べ物は与えられても、願望は叶えてもらえない悲しい運命にあるはずだった。
葉月達は、そんな愛玩機巧を人間と対等に扱い、助力してくれた。
その出来事はめふぃすとにとって、是非とも家族に聞かせてあげたい──一番に話したい最高の思い出だった。
人生で最も充実した時間のことを思うめふぃすとの顔が、自然と綻んでいく。
「皆と過ごしていると、心に太陽が差し込むのっ! これが幸せかーって、本当に嬉しくなったっ!」
機巧人には、感情に似たプログラムが施されている。ただ、それは似て非なるものに他ならない。
めふぃすとの感じた幸せは本物だった。
機巧人というアンドロイドが、遂に本物の感情を獲得することに成功したのだ。
「お父さんとのお別れは寂しいけれど、皆がいてくれるから、私は前に進んでいけるっ。って、あれっ? お父さん、機巧人になったんだよねっ? だったら──」
微細な電波が走った。
それは、めふぃすとさえも気付けないような僅かな波だった。
奇跡か必然か、電波は機巧人の停止した機能に刺激を与え、彼に過去の出来事を思い起こさせる。
──計画は完璧だった。
博士自身を機巧人に改造するよう誑かし、秘密裏に設定を変更する。
時が経ち、彼が自分と同じ型番の機巧人となったことを確認し、直後にその意識を奪う。
こうして、謀略の労働機巧は機巧人の長となった──
「めふぃすと!」
名前を呼ばれためふぃすとは顔を上げて、短い間隔で音を立てながら迫ってくる少女の方を見た。
「葉月さん、どうかしたんですかっ?」
外の顔に戻っためふぃすとは、可愛らしく首を傾げながら無邪気にそう答えた。
「えと……せっかく二人きりになれたのに、突然乱入しちゃってごめんなさい。でも、めふぃすとが必要なの!」
「奥の部屋に、何があったんですっ?」
「機能の停止に手のひら静脈認証がいるみたいなの! それも、機巧人の手にしか反応しないやつ!」
そちらにはりりすがいるではないか、という思考は瞬く間に霧散した。
今の彼女はミニりりす。人間よりも機械に近い身体だ。
ミニりりすの器には静脈も血液もなく、当然熱も発していない。
故に、現在この空間にいる人でパラレル・ゲートを止められるのはめふぃすとのみということになる。
状況を把握しためふぃすとは、ツァーフに別れの挨拶も済ますことなく立ち上がった。
その瞬間、ツァーフの瞼が開いた。
「せめて道連れにしてやる!!」
彼の瞳にはめふぃすとが映っているが、それは意図したものではない。
もう、彼にはツァーフの意識もあんどらすの思考も残されてはいなかったのだから。
彼は反射的に叫び、無意識の中で自爆スイッチを入れたのだった。
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