地獄で再会するその時まで、ちゃあんと覚えといてや
「な、何故だ!? 何故左目がそこにある!?」
潰した眼球の再生ならばまだしも、食した目玉が復活するというのは、流石に次元を超越しすぎている。
たじろぐウォーカーに、葉月が適切な解説を送る。
「さっき自分で言っていたでしょう。私は、ある意味神の末裔なんですよ」
「眼球一つ程度の再生ならば、ものの数秒で行えるというわけか……! これまた素晴らしい! 明日から飢餓に悩まされることもなくなる!」
少なくとも、騎士の介入なくしては解決できないと定められるほどの期間を、ウォーカーという名のヴァンパイアはここで生活してきた。
スタート地点である鉱山の入り口からゴール地点である最奥までの旅路で、葉月達が遭遇した生き物はウォーカーの眷属だけ。つまり、アイスストーンの鉱山には、およそ生物種と呼ばれる存在は生息していなかった。
では、どのようにしてアイスストーンの鉱山を棲み家としたウォーカーはこの時まで生きながらえてきたのか。その答えは、葉月とマジェンタがここを訪れた理由にある。
「炭鉱夫を──彼らから依頼を受けた騎士を糧としていたんですか、あなたは?」
「ご名答。しかし、そんな生活も今日で終わりだ。貴様という存在を、我が手中に収めたその時で終了なのだ」
葉月がウォーカーの餌となれば、アイスストーンの鉱山で起きた異常は解消される。
無限の生命を抱く葉月がいれば、ヴァンパイアはもうそれ以外を食らう必要がなくなるからだ。
しかし、葉月はそうなろうとは思わない。
もう一つの解決策──ウォーカーの撃破というカードが、まだ手札に残されているのだから。
「あなたの妄想は叶いません」
「叶える。どんな手を使ってでも」
互いの意志は伝わった。それが相違するものだと判明した。だったら、もう言葉で語り合う必要はない。拳で解決するしかない。
先行したのはウォーカーだった。
彼は、重力に身体を侵され続けている葉月に殴り掛かる。
葉月は、通常の何倍もの力を込めて腕を動かし、それを防いだ。
第一ラウンドが終わったのも束の間、すぐに次のフェーズへと移行する。
今度は、葉月がウォーカーの腹部に拳を放った。
ウォーカーは、腹筋に力を込めることで威力を最小限に抑えてみせる。
右がダメなら左。手がダメなら足。息つく暇もない攻防戦が、幾度となく繰り広げられる。
「ぐはっ……!」
ウォーカーは、蓄積したダメージを騙しきれなくなって、思わず吐血した。
彼のように、防げないものはあえて防がないという戦い方では、戦闘が長引けば長引くほど疲弊し、状況が不利になっていく一方だ。
力量が互角の者同士の対決は、より堅実な方が勝利する。この場合だと、全ての攻撃を的確に見極め、守る時は守っている葉月が優勢だ。
しかしながら、相手がウォーカーであるならばその限りではない。
わざと被弾していた──ヴァンパイアだからできる芸当だった。
一度葉月との距離を取ったウォーカーだったが、一呼吸置いて、また嵐のような猛攻の中へと飛び込んでいった。
今度は、知略と共に。
「サクリファイス・グラヴィティ!」
今までと同じように殴る蹴るを繰り返しているだけでは、さしものヴァンパイアと言えどもジリ貧だ。だが、そこにヴァンパイアだからこそ行える戦術を組み込めば、状況は一変する。
あらゆる打撃を無力化してきた葉月でも、魔術までは対応できなかった。
そうは言っても、一瞬動きが止まるだけで他は何も変わっていない。
その刹那こそが命取りにならなければ、ウォーカーの無駄な足掻きという言葉で一蹴することだってできた。
ほんの僅かな時間だけ顔を見せる硬直──その間に打ち込まれる一撃が、ただの女子高生には効果覿面だった。
ウォーカーによる強烈な蹴撃によって、葉月の肉体は放物線を描きながら宙に浮かび上がった。
「がはっ……!」
接地の衝撃が、葉月の肺に溜まっていた空気を大気中に還してしまう。
葉月の負傷は即座に回復してしまうのだが、それにも限界──最高速度というものが設定されている。
ウォーカーは、これまでの打撃戦でその仕組みを理解していた。
だから彼は、葉月が完治して立ち上がるよりも先に追撃を加える。
葉月の後頭部に、ウォーカーの踵が落とされる。その衝撃は、大地を砕いてしまうほど強力なものだった。
「うむ──善き準備運動であった!」
動かなくなった葉月の頭を足置きにして、勝利を確信したウォーカーが爽やかな笑顔を浮かべながら高らかにそう叫んだ。
その慢心が、最悪の結末のプロローグであるとも知らずに。
「お腹空いたやろ? 自分の心臓でも食べるか?」
背後から、マジェンタがウォーカーの心臓目掛けて杭を刺した。
「がふっ……! 貴様……どうやって……!?」
マジェンタは、神の特権を授かった葉月のように身体能力が高いわけでも、ウォーカーのサクリファイス・グラヴィティのようにド派手な魔術を扱えるわけでもない。
だから、正面から戦えば競り負けるし、単騎同士で打ち合えばかなりの劣勢を強いられることになる。
だが、マジェンタはその分──いや、その劣った点を補って余りあるほどの潜入、暗殺の技術を保持していた。
敵対していなければ、注目されていなければ、マジェンタは絶対に敗れない。
それが不意打ちであるならば、マジェンタは必ず相手を殺すことが出きる。
赤紫色の騎士が持つ奇襲の才は、もはや神の域にまで達していた。
マジェンタは、ウォーカーの胴体を杭で貫いた時、ヴァンパイアも人間と同じように心臓を鳴らして生きているのだと初めて知った。
人と同様であると知った上で、人間が死ぬ行為──心臓を射抜いた杭を胃の方に移動させるという行為を実行した。
「ウチと戦うんやったら、絶対にウチから目を離したらあかん。絶対にウチから倒さんとあかん。地獄で再会するその時まで、ちゃあんと覚えといてや」
「バカ……な──」
マジェンタは、前方に構えた鞘から剣を引き抜くような動作でウォーカーと杭を分離させた。
そして、息絶えたヴァンパイアの器をそっと抱え込み、葉月に覆い被さらないよう気を付けながら大地に寝かし付けた。
マジェンタの視線は、亡きヴァンパイアから生死の境を彷徨っていそうな少女へと移される。
「おーい、生きとるかー?」
地面に顔を埋めている葉月にも届くよう、大きな声でマジェンタが呼び掛ける。
「……何とか」
起き上がった葉月の顔面に残されていた異物は、砕けた石と砂だけだった。
「今度こそウチらの勝ちや。葉月もウチも、王都に帰れるんやで!」
「……そっか。よかった」
「何や、まだ用事が残ってるんか?」
葉月の煮え切らない様子に、マジェンタが小首を傾げる。
「用ってわけではないよ。ただ、今日だけで色んな致命傷を負ったのに、結局死ねなかったなーって思っただけ」
「ふむぅ……」
マジェンタは、名案を思い付くために腕を組んで脳に仕事を与えることに尽力した。
「まだ死にたいと思ってるんやったらの話やけど……手伝ってくれたお礼に、何回か殺してみよか?」
葉月は、今日起こった様々な出来事を思い起こした。
あれは、自分の思い出足り得たか。この出来事は、死を遠ざける手助けとなったか。
それら全てに与えられた称号は、『否』だった。
確かに、マジェンタと過ごした馬車の時間は嫌ではなかった。
無自覚な残忍さを有したマジェンタを一人にすることに、若干の恐怖を覚えた。
だが、それらが自身を生に縛り付けるほどの拘束力を持ったものかと言われると首は横に動いてしまう。
できるだけ思い出にならないようにしてきただけはある──葉月は、想像以上に強固だった己を律する力に感心しながら、マジェンタにお願いをした。
「私を殺してみてください」
それからの出来事は、ヴァンパイアが人間にしてきた仕打ちとは比べ物にならないほど残忍で、残酷で、残虐なものだった。
マジェンタによる刺、斬、潰、その他諸々数十に及ぶ殺戮の数々は、被害者よりも加害者の心を優先して壊しに掛かった。
「も、もう勘弁して……!」
清純な蒼の世界が朱に染まり、独特な臭いが洞窟内に充満した頃、マジェンタは切れ切れの息で解放を懇願した。
「元はと言えばマジェンタが言い出したことなんだけれど……まあ、私に強要する権利はないし、いいよ! お疲れ様! そしてありがとう、マジェンタ!」
「この状況でニッコリスマイルはおかしいわ……ウチなんか、どこまでが身体でどこからが髪なんか分からんくらい真っ赤っ赤なんやで……」
「それは私も同じ。あっ、そうだ! ちょうど水があることだし、一緒に洗っていかない?」
葉月が指差す池を見たマジェンタは、溜め息を吐いてからこう指摘した。
「寒くて死ぬわ!」
持ち帰られたヴァンパイアの死体と鮮血に塗れた少女達の姿を目撃し、御者が失禁したことは、葉月とマジェンタだけが知るくだらない秘密となった。
─第一章 完─
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