貴様、さては神か天使の末裔か?

「我が分身の帰りが遅いと思ったら……そういうことであったか」

 舞踏会に招かれているかのような、整いすぎた正装。その上に着飾っている黒いマントも、とてもよく似合っている。

 顔の半分を覆い隠してしまうほどの長さを誇る流した前髪からは、うっすらと紅色の瞳が覗いている。

 オムライスを食した幼児のように口元を真っ赤に染めていて、彼の歯の白さを際立たせている──人間よりも遥かに長い犬歯すらも。

「ヴァンパイアか……!?」

 行動、発言、容姿……たったこれだけの情報量でも、多くの人間を見てきたマジェンタならば、大まかな予測は立てられる。

 男性は、突然高らかに笑い始めた。

「いかにも! 我はウォーカー。正真正銘のヴァンパイアである!」

 ウォーカーが右手を前に出すと、どこからともなく眷属であるコウモリ達が出現して、一目散に葉月達の方へと飛翔し始めた。

「話し合いすらする気はないみたいやなぁ!」

 マジェンタが、右手にモップを召喚する。それを何周も回転させた後、不意に動きを止めてコウモリ達に替え糸の方を向けた。

「葉月は下がっとれ」

 発言を終えた瞬間、マジェンタは目にも留まらぬ速さでコウモリを打ち、全てを地に落とした。

「……今なら、貴様の不敬を許してやる。即刻立ち去るがいい」

「ヴァンパイアのお兄ちゃん、自分の立場を分かってへんのか? 追い詰められてるのはそっちやで?」

「笑止!」

 大地を蹴ったウォーカーが、コウモリの何倍もの速度で宙を滑空する。

 ウォーカーの直線的な移動は非常に読みやすかった。タイムラグや方向などの煩わしい計算は必要なく、マジェンタは己の攻撃範囲だけを計測して時を待った。

 ウォーカーの顔面目掛けて放たれた、モップによる強烈な突き。痛みよりも嫌悪感の方が大きそうな替え糸の接近を左手で押さえ込んだウォーカーは、一度足を接地させて方向を転換し、マジェンタの喉笛に牙を剥けた。

 どう足掻いても、ウォーカーの噛み付きは防ぎようがなかった。ならば、防ぐことよりも、身体のどの部分を犠牲にするかについて思慮を巡らす方が有意義というものだ。

 マジェンタは、左腕を横に構えてウォーカーに食らいつかせた。

「ぐっ……!」

 痛みに顔を歪めたマジェンタだったが、どうも様子がおかしい。

「あっ……やめっ……!」

 ナイフのように鋭い牙で皮膚を貫かれているというのに、マジェンタは嬌声を漏らしていたのだ。

「んもっ……離れてぇ……!」

 蕩けるような表情は、凝った肩をほぐしてもらっている時のそれであり、開かれたままの口からは、唾液が流れ出していた。

「離れろって言うてるやろがぁ!」

 心の底から湧き出てくる欲求を力に変えて、マジェンタは痛烈な蹴りを放った。

 マジェンタの大振りなキックがウォーカーを捉えることはなかったが、彼の吸血行動を止めさせるという副産物が生まれていた。

 肩を揺らして息をするマジェンタを、ウォーカーが満足そうに見ていた。

「やはり、生きた人間のメスは美味であるな。炭鉱夫のそれよりも味は薄いが、その分爽やかな飲みごたえがある」

 言い終えるよりも先に、ウォーカーの眼球は葉月の姿を映し出していた。

「そちらのメスはどうであろうか……?」

 好機──! マジェンタは、毒の残った葉月の血液を飲ませればウォーカーの動きを止められると踏んだ。

「止めろ! その子には手を出すな!」

 ──と、あえて思考に反した発言をして、ウォーカーを地獄へと誘い込む。

「ならば止めてみよ!」

 歓喜で笑いが溢れてしまいそうになるのを必死に我慢しながら、マジェンタは葉月とウォーカーの間に立ち塞がった。

「必殺! ウォーター・シュート!」

 直後、マジェンタはモップの柄に備え付けられた小さなスイッチを押した。

 すると、替え糸の中央からホースのように水が吹き出した。

 ただし、持続時間はかなり短い。放出できるのは一秒が限界だ。

 不意打ちに適した隠し玉ではあったが、如何せん威力が足りない。

 そのため、マジェンタは精神攻撃としてウォーター・シュートを用いていた。

「おのれっ……!」

 突然濡れを訴え始める顔面に、手をやるウォーカー。彼が顔を、目を拭いているその一瞬の隙を、マジェンタは決して見逃さない。

「天誅じゃあ!」

 マジェンタが繰り出した技は、またもや大振りの振り下ろしだった。ただし、今度はウォーカーの脳天を的確に捉えていた。

 まさか決まるとは思っていなかったマジェンタだったが、柔軟に計画を変更して、追撃を加える。

 先刻は防がれてしまった薙ぎ払い。今回は、回避されるリスクが大幅に減少している。なので、かなり接近したこの場面で出すことのできる最も効率のいい攻撃がそれとなった。

「ぐおっ……!」

 脇腹に骨が砕けるほどの打撃が加わり、ウォーカーは五メートル前後の距離を吹き飛ばされた。

「み、見たか! これが騎士の力じゃー!」

 マジェンタは、弁慶の魂が宿ったように立派な仁王立ちをしながら決め台詞を言い放った。

 マジェンタの立派な振る舞いとは反対に、内面が悲惨な状況となっていたことは彼彼女自身しか知らない。

 白紙を映し出すだけの脳を懸命に働かせ、緊張で爆発しそうになっている鼓動を鎮めていく。すると、頬を伝う冷や汗はみるみる引いていき、小刻みに揺れる足も安定感を取り戻していった。

「マジェンタって、こんなに強かったんだ……!」

「ウチもそれ思ったわ……」

 潜入が主な任務のマジェンタは、ニコラのように身体能力が高いわけでも、シャルルの鉄球のようにド派手な武器を扱えるわけでもなかった。

 そんなマジェンタが、ヴァンパイアに存在を知られている状態で、一対一の対面をしている状態で、その勝負に勝てる確率は決して高くない。

 今回のように、全てが上手く作用することなど滅多にないのだ。

 マジェンタは、葉月に真実を悟られないように、胸を張りながらウォーカーに接近していった。

「気絶してるみたいやし、とりあえず拘束して連れ帰ろか」

「……大丈夫なんですか?」

「ヴァンパイアは日光の下では能力を使えないって聞いたことあるし、鉱山を出るまでの勝負や。いけるいける」

 マジェンタはそう言って、モップを出現させたものと同じ能力を使ってロープを手に取った。

 葉月には、どうもマジェンタの適当さが信用ならなかった。

 マジェンタの大丈夫は、本当は大丈夫じゃないのではないか──一度住み着いてしまった疑念は、なかなか出ていってくれない。

 そこで出した答えが次の通りだ。

「私が拘束します」

 自分自身が最も信頼できる人間は自分だ。それに、仮にマジェンタの当てが外れていたとしても、再生能力のある自分ならば大した問題にはならない。

「気を付けるんやで?」

 ロープを葉月に手渡したマジェンタは、両手でモップを構えながら後に続いた。

 葉月は、ウォーカーの側で座り込み、胸の辺りにロープを持っていく。

 その動作が完遂されようとしたまさにその直後、ウォーカーがずっと閉ざしていた口を開いてしまった。

「サクリファイス・グラヴィティ──!」

 五分以内に負った傷を、重力に変換して己の周囲に展開する──ヴァンパイアのみに伝えられる逆境の魔術が発動した。

 地球のそれを遥かに越える圧に、この場にいる生物達は跪いた。ただ一人、ウォーカーを除いて。

「我はヴァンパイアである。貴様ら人間には決して敗れぬ」

 高みから人類を見下し、心を満たしたヴァンパイアは、次に食事を行うことに決定した。

 食料は、勿論人間だ。

「ずっと貴様に興味があった。名乗れ。我が許可しよう」

 葉月の肩に乗っていた重圧の一部が、天に召されるように消失した。

「三碓……葉月──」

「ふむ……この国の人間ではなさそうだな。であれば、滅多にお目に掛かれない貴重な食材か……はて、どの部位から戴くとしよう?」

 ウォーカーは、顎に手を当て、真剣な面持ちで葉月の全身に視線を這わせる。

 一秒にも一時間にも感じられる複雑な時の経過を経て、ヴァンパイアの男は、一度大きく頷いてから答えた。

「──目だな!」

 葉月の身体が、ずっと重くなった。それは、ウォーカーが魔術を強化したからではなく、葉月自身が起こした錯覚だった。

 しゃがみ込み、右手を伸ばすウォーカーに、マジェンタは必死に何かを訴えようと試みていた。だが、サクリファイス・グラヴィティがそれを容認しない。

 そして遂に、二人の肌と肌が接触する瞬間が訪れた。

「異国の娘よ。蛆ではなく、我が胃袋に収まることを誇りに思うがいい」

「う──」

 目を、スプーンで抉り取られるような感覚だった。

 次の瞬間には、もう葉月の視界の半分が闇に覆われていた。

「色艶、張り、香り……どこを取っても完璧ではないか! まるで陶芸品のようだ! 素晴らしい……! 貴様、さては神か天使の末裔か?」

 きちんと葉月の目を見て話すウォーカーだったが、その声は眼球の持ち主には届いていない。

 ぐったりと頭を垂れる葉月をよそに、ウォーカーは早速葉月の眼を口に運んだ。

 端から見れば、大きなぶどうの実を食べているかのような口の動き。たびたび頬に浮かぶ球が、そのサイズを浮き彫りにしている。

 膨らみは次第に小さくなっていき、それが完全に形を保てなくなった時、ウォーカーが盛大に喉を鳴らして口内を空にした。

「ン美味っ!!」

 飲み込んだ直後だというのに、ウォーカーの唾液腺はまだまだ体液を噴出させ続けていた。

 その様はツバメの子のようで、早く次の目玉を寄越せと言っている風にも、まだ口の中に食材が残っていると勘違いしているようにも思えた。

 ウォーカーは唾液に塗れた口を震わせ、気高い顔と服が涎で汚れることを気にも留めずに歓喜の声を漏らす。

「ミツガラスハヅキ……貴様の目は我が食してきた全てのものの中で最高の逸品であった。貴様は一体、どんな生活を送ってきたのだ? さぞ、満たされた人生を歩んできたに違いない。何故なら、貴様の目が美味であったからだ! 見ていたか、ミツガラスハヅキよ? 貴様の目が、我が口の中に沈んでいく様を。聞いていたか? 貴様の目を噛み砕く我が咀嚼音を? 何なら、味から喉越しまでの全てを聞かせてやってもいいぞ?」

「殺……して……」

「人間は鮮度が命であると我は再認識した。よって、その願望は聞き届けられぬ」

「殺して……みろ」

「……眼球に免じて、今の発言は見逃してやる。だが、次はないと思え」

「あなたは私を──殺せないんですね」

 増幅した重力によって、葉月の身体を構成する骨が砕ける音がした。

 皮膚が裂け、隙間から血液が流出する色が見えた。

 それでも葉月は立ち上がり、両目を揃えてウォーカーを睨み付けた。

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