これが神の特権や
無抵抗の葉月は後回しにして、先に脅威である自分を始末しにくるだろう──マジェンタは、そう高を括っていた。
その甘えた思考が、この結末を招いたのだ。
きっと、神の特権を授かった葉月はすぐに生き返るだろう。
気にすることはないと励ましてくれるだろう。
(それが何やねん……!)
もし、相手が葉月ではなかったら──いや、葉月とて、一度は絶命してしまっているのだ。
自分の慢心で、目の前で、仲間が傷付けられた──その事実が変わることは絶対にない。
マジェンタは奥歯をぐっと噛み締めて、乾いた笑みを浮かべた。
「ははっ、自分が情けないわ」
少女の抉れた肉塊の上に立つ機巧人は起立して、同じ目線でマジェンタに言葉を贈る。
「悔しいか? ならば、そこでじっとしていろ。すぐに、その感情をなくしてやる」
ばあるが、鉄の臭いがする液体を踏み歩く。
もはや、身体のどの部分なのかすら判別できない肉を踏んで平らにする。
足を擦り、靴底に付着した付着した血液を地面で拭き取ったばあるは、何の前触れもなく蒸発した。
(さてさて、ここからが難所や)
一回目のように、下に向かって洗剤を撒くべきか。それとも、二度目を真似て上に発砲するべきか。
どちらも、一度は明かした手の内。対策されている可能性も捨てきれない。
風の向きが変わり、ばあるが降ってくる。
悩んだ末、マジェンタは前者を選択することにした。
マジェンタは後ろに跳躍し、つい先ほどまで踏んでいた土に液体を放つ。
(狙いは正確。軌道の真下や!)
ばあると罠を仕掛けた場所とを見比べ、マジェンタはほくそ笑んだ。
滑る床にばあるの大剣が接触し、剣先を地中にめり込ませていく。
次に、ばあるの足が着地した。
(今や──!)
マジェンタは、モップを持った右腕を伸ばし、間髪を入れずに弾を撃ち出した。
近距離なため、飛来する弾丸の回避は不可能。
ばあるのこめかみを捉えているため、精度の方も完璧に近い。
マジェンタが破れるはずのない状況が、今ここに完成した。
(──何やこれ!?)
ばあるの周りで渦巻く風が、轟く爆音が、襲いくる揺れが──彼の起こした全てが、勢いを何倍にも膨らませていた。
最大火力。今までよりもリスクを支払った本気の攻撃。
破壊力に比例して肥大化した突風が、マジェンタを遠く離れた壁まで突き飛ばしてしまう。
骨こそ折れなかったものの、全身を襲う激しい痛みがマジェンタを脱力させ、表情を歪ませる。
赴くままに倒れたマジェンタは、頬や手からひんやりとした温度を感じ取った。
(アイスストーンみたいやなぁ……)
アイスストーンは、木の実のような構造をしている。
具体的に述べると、薄く硬い岩石の皮の中に、水に溶けるゲル状の物質が入っている。
このドロドロした物体こそが、アイスストーンをアイス足らしめている要因だった。
と言うのも、アイスストーンの中身は水に溶解すると同時に、存在するほとんどの液体を凍結させてしまう性質を持っているのだ。
長期保存が必要な食品などの鮮度を保ったまま管理するための箱の内側に囲いを作り、そこに先述の液体を流し込むという所謂冷凍庫のようなものがこの世界には存在している。
もっとも、それを製作するコストがバカにならないため、一部の上流階級或いは料理人にしか普及していないのが現状だ。
ちなみに、アイスストーンの液体に害はない。
そのため、飲み物に一滴だけ垂らし、シャーベットを作って売るという商業を行う者もいる。
──熱くなりすぎたマジェンタの頭が直接的に冷却され、熟考する能力を取り戻す。
(凍結──試してみる価値はあるか……)
マジェンタは、まだ痛む身体を騙しながら何とか立ち上がった。
そして、亜空間からアイスストーンの欠片を取り出す。
(ちょっとくらいええやろって掠め取ってきたやつやけど──もしかしたら、その判断がウチの生死を分けるんかもな……)
遠くからじっとマジェンタを眺めていたばあるの心が揺れ動く。
その心境は、僅かに開いた上下の瞼が顕著に物語っていた。
「まだ立ち上がるか……」
「……まだ戦えるからな」
マジェンタが手のひらから体温を送り、アイスストーンは冷気を返す。
温かさを忘れていく手に、マジェンタは取り分け不可思議なエネルギーを流した。
不思議な力に作用されたアイスストーンはたちまち風貌を変化させ、弾丸と同じ形となった。
今まで誰にも気付かれることがなかったが、マジェンタはこの力を自慢のモップにもたびたび使っていた。
水が出たり、氷の弾を撃つことができたりしたのは、モップが多機能なのではなくマジェンタの能力が万能だったのだ。
マジェンタは、状況に応じてバレないようにモップを変形させていた。
中身の方は、モップの内部に亜空間を開くことで物理的に変更可能だ。
なので、炎やナイフといった人体に多大な傷を負わせるものを放つこともできる。
だが、マジェンタがそれらを選ぶことはまずない。
過剰に派手なものを放出すると手品の種を特定されかねないからだ。
(後はアイスストーン同士をぶつけ合わせてっと……)
マジェンタは作り上げたアイスストーンの弾丸の先端部分を切り落とし、瞬時にそれを亜空間へと転送した。
「待たせたな。続きを始めよか!」
準備は整った。
後は、アイスストーンの銃弾をばあるに当てるだけだ。
言葉にすれば簡単なことだが、実現するとなるとこれがまた難しい。
しかしながら、マジェンタはそんなことを気にしてはいなかった。
神に愛された幸運の持ち主なんて、この世にはたった数名しか存在していない。
そのうちの一人に選ばれるほどの運があれば、逃げ足の早い相手に弾を命中させることなど造作もない。
ただ、できれば運に頼らない立ち回りを心掛けるべきだろう。
そのためにマジェンタは、二人の間に作られた隙間を埋めることに決定した。
「掛かってこい。次で仕留めてやろう」
攻撃が届かないほど離れているからか、それとも絶対的な自信が芽生えているのか。ばあるは、あくまでも受け身的な行動を貫き通した。
「見とれよ機巧人。これが神の特権や!」
刹那、マジェンタがばあるとの間にできた空間をゼロにした。
「縮地──!?」
(ウチは女神じゃないから、デメリットはあるけどな!)
移動中は瞼を閉じ、呼吸を止めていなければならないといった縮地を不安定なものとするデメリットと、活性酸素の増殖による定められた負荷。
一度ならばまだしも、回数を重ねるごとにマジェンタはどんどん追い詰められていく。
なので、リスクの少ない初回で雌雄を決したいとマジェンタは願っていた。
だが、熟練の機巧人が相手では、そう甘えたことも言っていられない。
マジェンタの接近と同時に、ばあるが姿を晦ませたのだ。
(次で仕留めるとかほざいとったし、葉月の方に落ちることはないと見ていい。集中しろ、ウチ……上、上──!)
空気は教えてくれる。ばあるの位置を。襲来の瞬間を。
「今やっ!」
銃声と共に、アイスストーンの弾丸が発砲された。
植物の茎が如く美しい直線を描きながら天を目指す加工された石は、空気を割り、なお減速することなく天井を射抜いた。
「は、外した……?」
虚しく反響する潤いのない音は、あたかもマジェンタの思考能力が破裂したことを証明しているかのようだった。
そして、彼女の死へと向かう徒競走の号砲でもあるように思えた。
「──全てお見通しだ。お前が、空気の流れを読んでいることも」
目の前に出現したばあるは、己の力量をひけらかすようにエネルギーを大剣に纏わせ、斜め上に振り上げた。
「冥土の土産に教えてやろう。戦闘機巧ばあるは、大剣を振るうこともできるのだと」
闇色の雷のようなものに包まれた大剣は、敗者であるマジェンタを放電の音によって嘲笑していた。
不幸中の幸いだろうか。マジェンタには、音を含むあらゆる外的情報が届いていなかった。
硬直を続ける彼女の身体が、最初で最後の動きを見せる。
まるで、恐怖から目を背けたいと言わんばかりの動作──その内容は、周期的に行われるただの瞬きだった。
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