神が許しても私が許さないよ

 雌雄は決した。葉月もめふぃすとも、ヴァイオレットさえもそう思っていた。

 特に、ヴァンパイアの死を一度目撃している葉月はよりそう思う傾向にあった。

「一本取られてしまったわね。驚き仰天丸だわ」

 ルナの肉体が、複数のコウモリに変化していく。

 飛んでいるコウモリは、渡り鳥のように纏まりながら少し離れたところで静止した。

 そして、コウモリ達は色と形を変え、ルナの姿となった。

 ヴァンパイアの少女は、不敵の笑みを浮かべながら心にもないことを口にする。

「あーあ、死ぬかと思った!」

「ヴァンパイアがコウモリ化する──そんな話、聞いたこともありません……!」

 動揺するヴァイオレットは、杭を突き出す格好のまま震える声でそう言った。

「ヴァンパイアはね、一族によって特別な能力が与えられているのよ。だから、いくらあなたがお勉強したとしても必ず一矢は報いられるってわけ。イッシッシ!」

「いいぞー、ヴァンパイア! そいつらもぶっ殺しちまえ!」

 すっかり闘技場の観客気分になっているあんどらすが、右の拳を高く突き上げながら野次を飛ばす。

 ルナは、ちらりと振り返って彼の方を見たが、すぐに前を向いてヴァイオレットに質問をした。

「ところで、騎士は街の外れに招集されているはずじゃないの? あーっ! もしかして、あなた不良なの? それとも、雑魚だから仕事を与えられていないとかぁ?」

 ルナの言う通り、騎士であるヴァイオレットはシャルルの後を追って事件が起こった現場に向かっていなければいけないはずだった。

 秩序を守る者として、規律を守る者として、向かわなければいけなかったのだ。

 なのに、ヴァイオレットはここにいる。

 何故なのか。理由は、本人の口から語られた。

「あなたは、大きな勘違いをしているようです……私は、ニコラ騎士団の一員ではありますが、騎士ではありませんので……」

「騎士団員でありながら、騎士じゃない──? 意味不明で理解不能ね」

「説明下手でごめんなさい……ですが、あなたに理解していただく必要はありませんので……」

「……生意気な生娘ね。生かしちゃおけないわ」

 寒くはないのに鳥肌が立ち、忙しいわけではないのに呼吸を忘れてしまう──増幅したルナの殺気が、空気を流れて葉月の肌と心に突き刺さった。

「それでいいと思います……私も、あなたを殺すために尽力できるので……」

 言い終えると同時に、ヴァイオレットは上空に向かって杭を放り投げた。

 浮上していく杭が落下を始める時には、そこにいたはずのヴァイオレットの姿は消えてしまっていた。

 ルナは、目だけを動かしてヴァイオレットを捜索した。

 まずは本体を探して、見付からなければ影に視線を落とす。ルナによるヴァイオレットの対策は万全と言える緻密さだ。

 結局、ルナは何も見えず、何を感じることもなかった。

 だが、積み重ねてきた経験が、ヴァンパイアの直感が、ヴァイオレットの居場所を辿る手助けをしてくれていた。

 ルナは、天高く飛び上がって右手を掲げた。

 上を向けた手の中に赤い魔力を溜め込んで、真下にある自分の影に向かって撃ち放つ。

 すると、ルナの影からヴァイオレットが飛び出して大地を前転した。

 瞬時に態勢を立て直したヴァイオレットが、ルナをじっと見る。

「おかしい顔ね! かおしいおかね! 何で居場所が分かったかって? それはね、アタシが人間のことを心底嫌っているからよっ!」

 ルナは両手に魔力を集めて、今度は二つの光線を放った。

 鮮血色のレーザーは、持続時間が短い。だが、地面に窪みを作る程度の威力はあった。

 ヴァンパイアの能力にしてはいまいち派手さがない攻撃だが、決してヴァンパイアが遠距離戦を苦手としているわけではない。

 肉体を持つ者相手には、それくらいの破壊力でも充分だという確かな根拠の基、あえてそれを選んでいるのだ。

「一度だけ、あなたにチャンスを与えるわ。日陰者の騎士は、どうやってアタシをここから引き摺り下ろすのかしら?」

 影に潜む者に課せられた唯一の弱み。それは、宙を舞われることだった。

 光に気付かれずに闇に潜んだとしても、その光が手の届かない場所にあれば支配することは叶わない。

 対抗手段として、ヴァイオレットも遠距離武器を用いるというものがある。

 しかしながら、不意打ちによる一撃で相手を始末してきたヴァイオレットに、そのような小細工が必要となる場面がなかった。

 故に、ヴァイオレットは接近戦しか行えず、空を飛ぶ相手を撃墜する術を持たなかった。

 考えたところで、どうすることもできない──ヴァイオレットは、悔しそうに歯を食いしばった。

「葉月さん、私の作戦を聞いてくれませんかっ?」

 ルナの視界の外で、めふぃすとが葉月に耳打ちをする。

「……ダメ。他の方法を探して」

「ですが、私達にはこれしかできませんっ」

 葉月に却下され、実行できないでいるめふぃすと。

 そんな時、葉月に閃きの神が舞い降りた。

「待って……うん、いける。必ず成功させる。めふぃすと、あなたの策でいきましょう」

 互いの瞳を見つめ合い、曇りがないことを確認する。

 覚悟があり、迷いがなく、相手を信じる決意の心を宿していることを確認する。

 そして、二人は頷いた。

 作戦を、実行に移す時がきた。

 めふぃすとが堂々と前を歩き、葉月が追随する。

「あん?」

 流石に、その様子はルナの目を通して脳まで届いていた。

「これが、私達の答えですっ!」

 ルナの真下に立っためふぃすとは、両手を下ろし、身体を楽な姿勢にして目を閉じる。

 少し離れたところで、葉月が緊張しながらも真剣にその姿を見守る。

「二人は一体、何を行おうと言うんでしょうか……?」

 相手の居場所が分かるならば、相手を呼ぶことだってできる。

 強烈な存在感を、繋がったその人にしか見付けられないエネルギーを放てば、彼は絶対にやってくる。

「ちょっと! 真下で棒立ちされると不愉快なんですけれどー!? もしかして、アタシの下着を見ようとしているんじゃないでしょうね? 大変変態な編隊ですこと!」

「──きますっ!」

 カッと瞼を開くと同時に、めふぃすとが叫んだ。

「了解!」

 その背中を、葉月が押してめふぃすとの座標を横に逸らす。

 めふぃすとの作戦──それは、ばあるを呼び寄せて自分ごとルナを貫かせるという自己犠牲も甚だしい内容だった。

 そして、それ以降──めふぃすとを突き飛ばして安全な場所に退避させ、再生能力を保有している自分がばあるの下敷きになるというところから葉月の策戦にバトンが受け渡される。

「葉月さんっ──!」

 転倒しためふぃすとの絶叫と共に、凄まじい爆風と轟音が降り注いだ。

「がっ──!!」

 カエルが殺される時のような声を上げ、ルナは地中に沈んだ。

 彼女の場合は、斬られたというよりは踏み潰されたと表現した方がより正確だろう。

「葉月さんっ……」

 めふぃすとの目は涙でボヤけており、浮かび上がる土煙の中に三つのしゃがんだ人影が浮かんでいるように見受けられた。

 一つが、天より舞い降りたばあるのものであることは確実だ。

 では、残る二つは誰のものなのだろうか。

 その問いは、即座に解を与えられる。

「間一髪……でしたね……」

「ヴァイオレット……!?」

 めふぃすとの宣告と葉月の行動から二人の考えを読み取ったヴァイオレットは、すぐさま葉月の影の中に移動した。

 それから、暗器である特製ロープを取り出して、前方に倒れていく葉月の足に巻き付ける。

 後は、一本釣りの要領で葉月を引き上げるだけだ。

 一人の機巧人から始まった策は、最終的に三人分集まって文殊の知恵となった。

「葉月さん……ヴァイオレットさんっ!!」

 めふぃすとの頬を伝う涙の種類が変化した。

「不本意ではあるが、見付けたぞ叛逆者。今回こそお前を壊してやる」

 残念なことに、感動の場面はここまでだ。

 今を打破するための知恵では、未来のことを解決することはできない。

 相手が変わっただけで、舞台が戦場であるという点は同じだった。

 ばあるが立ち上がり、姿を晦ます。

(こちらの体力はもう限界に近い。どう対処すればいいの……?)

 葉月は、一つだけ見落としをしていた。めふぃすとの生死だ。

 めふぃすとは、ルナと一緒に自身も壊れることによってばあるの目的を完遂させ、周囲に被害が及ばないように計画していた。

 だが、その謀を葉月が破ってしまった。

 めふぃすとが生き残ってしまった以上、葉月とヴァイオレットは彼女を救うために戦う他ない。

 奇しくも、葉月は己の行動によって新たな悩みを抱えることになってしまった。

「……きますっ」

 めふぃすとは、見えない青空を見上げながら自分の死のカウントダウンを行った。

 どうか、誰も何も思い浮かばないでいてほしい。めふぃすとが天に捧げた願いを、神に愛された娘がぶち壊す。

 葉月は、葉月の策を再度推し進めた。

 今度は、ヴァイオレットも対応できなかった。

 葉月はめふぃすとに飛び付き、身体に腕を回した。

 腰を捻って、めふぃすと諸共半回転した。

 何とか双方無事に回避できたように思えたが、出遅れた葉月の右足がばあるの刃の犠牲となった。

「っ──!」

 神の特権により、瞬きよりも早いスピードで痛覚が遮断される。

 この力によって、風圧に吹き飛ばされた増幅したダメージも無に帰した。

「葉月さっ……足っ!!」

 衝撃によって言葉が出にくくなっているめふぃすとを、柔らかな口調で葉月が諭す。

「……平気。私、代謝がいいからっ……」

 みるみる復活していく葉月の足を眺めていたばあるは、少し驚いたような表情を見せた。

「不思議な力だ。是非とも、機巧人の身体にも取り入れてもらいたい……」

「そんなの、神が許しても私が許さないよ……」

 機巧人が再生能力を手にしてしまったら、ヴァンパイアに並ぶ人類の脅威となり得る。

 それは、人間である葉月には考えたくもない光景だった。

「まあいい。せいぜい次も足掻くがいいさ」

 次の攻撃のために消えようとするばあるの足を、人間の手が掴んだ。

「何だ……?」

 手の主であるヴァンパイアが答える。

「お前ら全員……ぶっ殺してやるわぁ!」

 ルナは、大きな口を開いてばあるの足に牙を立てた。

「……吸血か。俺らの身体は、自分で血液を作ることができない。だから、できればやめてもらいたいんだがなっ!」

血を吸うルナの顔面に、ばあるの蹴りが炸裂した。

 ルナは、宙を舞った胴体をくるりと翻して羽を広げる。

「まっずい血ね。ここまで腐った汁を飲まされたのは生まれて初めてよ。はっきり言って、血管内にゲロを流すお前の存在価値はゼロ点満点よ。優しいルナ様が真っ先に殺してやるから、せめて死に様くらい百点を取ってみなさい」

「お前の発言は意味不明だ。ただ、立ちはだかるならば排除するしかあるまい」

 こうして、神々の騒乱に等しい激烈な殺し合いが幕を開けた。

 天から注ぐ赤い魔力も舞い上がる暴風も、天変地異に等しい荒れ模様だ。

「二人が戦っているうちに、私達は逃げよう!」

「はいっ!」

「では、私はまた影の中に……」

 爆音と砂塵に紛れて、三人は難なく危機を脱することに成功した。

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