神にすら信仰される人間なのかもしれないわね
葉月とめふぃすとは、ヴァイオレットの勧めに従ってホープネス大聖堂へと避難した。
ヴァイオレットが大聖堂を選んだ理由は、最も近いところにある安全地帯がそこだったからというだけで、人から天使に昇華したオブリエルという少女を尋ねてきたわけではない。
オブリエルがそこにいたのは単なる偶然であり、不幸中の幸いだった。
「──その場所に、王都を闇に染め上げた元凶がいるということね」
三人から事情を説明されたオブリエルは、杖こそ突いているものの、以前よりも軽い足取りで外に向かって歩みを進めた。
「お、オブリエル様、危険です!」
慌てて駆け寄ってきたのは、オブリエルの信者達だ。
口では停止を促しているものの、オブリエルの道を遮る者も肩を引く者も一人として存在していない。
オブリエルの道を遮ること──それは、神の威光に反するということ。そして、天使に触れるということは、天使信仰において絶対的なタブーとされている。
故に、説得こそが人間が天使に行える唯一にして最大の抵抗だったのだ。
「私が赴かなければ、衝突は終焉を迎えないのでしょう? だったら、答えは一つだわ」
オブリエルが、負傷していない方の手で聖堂の扉に触れる。
「ま、待ってください……!」
ヴァイオレットの声を聞いたオブリエルは、一旦腕に力を込めることをやめた。
代わりに、オブリエルはその分の労力を耳へと回すことにした。
「ヴァンパイアが発動させた絶対的空間を剥がせば、きっと彼女は敗北……或いは、撤退を余儀なくされるはずです……」
暗幕に閉ざされた劇場 《ブラックアウト・シアター》──天空をコウモリに占領させ、光を遮断する絶対的空間の総称だ。
能力が制限されてしまうため、ヴァンパイアは日中に活動をしない傾向にある。
その制約を取り払うために考案されたのが、この絶対的空間だ。
世界を闇に染め上げることによって、昼間でも本来の力を引き出し、持ち前の高い戦闘技術によって敵を圧倒する──暗幕に閉ざされた劇場 《ブラックアウト・シアター》は、ヴァンパイアにとって重要なスキルの一つと言える。
しかしながら、この絶対的空間を発動させることができるのはヴァンパイアの中でも極一部の血族だけだ。
他のヴァンパイア──例えばウォーカーは、日の光に対抗する手段を捨て、長所である暗所における超再生能力を生かしたカウンター性能の高い魔術を習得している。
このように、ヴァンパイア達は各々生きる術を模索し、独自の才能を開花させていっている。
「……トライアングル・ウォーを思い出すわね」
人間、ヴァンパイア、巨人の三大勢力による戦争、トライアングル・ウォー。
この戦争は約二百年前に開戦し、人類の勝利で終わった。
巨体を活かしたタフネスと破壊力を有した巨人族。暗幕に閉ざされた劇場 《ブラックアウト・シアター》を永続的に発動させることによって死を忘れたヴァンパイア族による進軍は、人間族にとって天災にも等しい脅威だった。
数だけが取り柄の人類は次第に追い詰められ、万事休すとなった時に現れた人物がオブリエルだ。
この頃のオブリエルはまだ人間で、シャルル達と同じ騎士をやっていた。
オブリエルは武術の才に恵まれていたため、即座に前線へと派遣された。
持ち前の戦闘力で巨人を討ち果たし、ヴァンパイアを圧倒していくオブリエルだったが、とある理由によって重症を負ってしまった。
何とか一命を取り留めたオブリエルだが、痛みの残る身体では戦線に復帰することは叶わず、長期間にわたる療養生活を送らされていた。
その間も女神に対する信仰心を片時も忘れずにいた彼女は、アウロラから絶対的空間を破壊する能力を授かることになる──
追憶を終えたオブリエルは、ホープネス大聖堂の扉を開き、己の頭部に手を回した。
左手を器用に使って顔に巻かれた包帯を外したオブリエルは、数週間ぶりに右目を開眼させた。
瞼に鋭利な刃物が通った痕こそあれど、そこに痛みはなく、視力もきちんと守り抜かれた。
そんな右目が、線を、形を、色を映し出すのは当然のことだ。
後を追って出てきた葉月達が見守る中、オブリエルが能力を発動させながらコウモリ達を一瞥する。
すると、湖にできた波紋の如く青が広がって、黒を排除していった。
空がいつもの色を取り戻すまで、そう時間は掛からなかった。
「これが、天使の力……!」
美しい光景に感動の声を漏らす葉月に、オブリエルは訂正の言葉を言い放つ。
「これは女神の力であって、私の力ではないわ。私じゃなくて、アウロラ様に感謝して頂戴ね」
葉月の持つ神の特権も、与えられた栄光に過ぎない。
それを我が物顔で行使することは正しい判断とは言えず、また自慢するべきものでもない。
葉月は、一度たりともそう感じたことはなかった。だが、これからの人生もずっと同様の思考をし続けているという保証はない。
だから、オブリエルの発言を胸に刻んで、決して道を踏み外さないように自分を律することにした。
「さて、今の私にはこれが精一杯よ。後のことは、時間が解決してくれることを願うしかないわ」
「本当にありがとうございます……! ついでと言っては何ですが……その、お時間よろしければの話なんですけれど、葉月さんのことについてお話を聞かせてもらっても構わないでしょうか……? 本当、無理はしなくてもいいんですけれどっ……!」
「遠慮はいらないわ。だって、私達は友達ですもの!」
オブリエルは、無邪気な左目と痛々しい右目で微笑みながらそう発言した。
「そうと決まれば話は早いわ。付いてきて。個室に案内するから」
合計二十に及ぶ数の木でできた長椅子の間の道を通り抜け、葉月は正面の壁に貼り付けられた金属製の巨大な羽を見上げる。
「この紋章のネックレス、私も持っているよ」
「嘘っ──あなた、私を信仰していたの!?」
葉月による大胆な告白により、オブリエルは一度吹き出してからそのように聞き返してきた。
「ふふっ、どうだろうね?」
「仮にそうだとしても、今までと同じ距離にいてよねっ……」
オブリエルが、壁際に置かれたオルガンの少し手前にある扉を押して開ける。
「入って。サーシャ、念のため扉の前で監視を」
「はい」
葉月ら全員が奥の部屋に消えたことを確認し、サーシャと呼ばれたポニーテールのシスターが扉の前に立った。
オブリエル信者の中には、聖職者という鎧を身に纏った門番を動かせる人物はいない。
故にサーシャは、この場においては騎士よりも手強い番人だった。
ホテルのロビーのような机と椅子が鎮座する真っ白な空間。
初めて訪れる教会の控え室に、葉月とめふぃすとは落ち着きを失ってしまっていた。
「床も壁も天井も真っ白! 素敵ですねっ!」
「まさに、聖なる部屋って感じだよね……!」
子供のようにはしゃぐ二人と、ほっと一息吐いている一人。相反する両者の対比を、オブリエルが温かい目で見つめる。
「あっ、私手伝うよ?」
包帯を巻いた手も用いて紅茶をティーカップに注ぐオブリエルに、駆け寄ろうと葉月が一歩足を前に出す。
「ありがとう。でも、平気よ。腕はもう完治寸前だから」
オブリエルの傷は、脚に向かうにつれ深くなっている。
なので、裂傷が浅かった目はもう包帯を外してもいいところまで回復しており、腕も多少の重さのものならば持ち上げることができるところまで治ってきていた。
「紅茶しか出すものがないのだけれど、突然のことだったから勘弁してね」
申し訳なさそうな様子でティーカップを運んできたオブリエルに、ヴァイオレットは自分を卑下するという回答を出す。
「そんなことはありません……きっと、今日の紅茶以上のものは二度と味わえないと思います、私……」
「もう、またそうやって自分を下に見る……いい素材を持っているのだから、もっとご自愛なさい?」
「そ、そうですね……精進します……!」
ヴァイオレットは、発言に嘘がないと示すように気合を入れるためのガッツポーズを見せた。
そんなヴァイオレットを認めるようにオブリエルは頷き、席に着く。
「して、御三方は私に如何なる啓示を受けようと言うのかしら?」
どっしりと構えるオブリエルの態度には、心強さと安心感が混合していた。
紅茶を一口啜り、ヴァイオレットが口を開く。
「葉月さんの神の特権についてです……」
聞き覚えがあり、こんなところで耳にするはずのない単語を聞かされて、オブリエルはティーカップが唇に触れた瞬間に動きを止めた。
そのまま紅茶を飲むのかと思いきや、彼女はカップを下ろしていき、受け皿の上に戻してしまった。
「葉月に信仰はない。となると、答えは一つね」
オブリエルは知っていた。葉月の、筒抜けの秘密を。
「異世界転生者──葉月は、こことは違う別の世界からの来訪者。私の推測に、間違いはないわよね?」
めふぃすとでもヴァイオレットでもなく、自分だけに質問されていると気付いた葉月は、その真剣な眼差しに負けない正直な返事をした。
「間違いありません」
オブリエルが、乾いた口を紅茶で潤す。
「アウロラから、何を授かったの?」
「神の特権──」
「──それは知っているわ。今聞いているのはね、その内容の方なの」
角が立つ言い方にならないように、オブリエルは優しく質問の内容を上書きする。
葉月は、アウロラの口から聞かされたことと、異世界で生活してきた時に感じた違和感を思い出して、箇条書きにするように言葉を羅列していった。
「長命の呪い。負傷しても、一瞬で傷が再生する能力。毒の無力化。危機的状況時にのみ身体能力が向上する……」
オブリエルは、散在したピース同士を組み合わせて、より具体的な答えを創造すべく頭をこき使った。
そのまま数秒ほど黙り込んだかと思えば、不意に診断サイトのような結果と解説を述べ始めた。
「負傷、再生、毒の無力化、そして、危機的状況下における身体能力の向上──がっかりしてしまうかもしれないけれど、これらは全て長命の呪いによるものと考えるべきだわ」
「つまり、私が与えられた神の特権は長命の呪いだけ──ということですか?」
「聞いた限りではそうなるわね」
得体の知れないものが明らかになっていく。葉月の中にあるその感覚は、快感にも似た反応を示していた。
「人類における長命……差し詰め、七十年の生存保障といったところかしら」
「七十年の生存保障……」
「どうしてアウロラは、葉月に長命の呪いなんて授けたのかしら。あなた、前世でどんなことをしてきたの?」
「……普通のことですよ」
普通に人助けをして、人並みに尻拭いをして、率先して皆の嫌がることを引き受ける。
葉月には、それらの難しさが理解できていなかった。
皆が喜んでくれるから。皆が救われるから。そう信じて行動していただけだった。
オブリエルは、腑に落ちない不快感を滲ませながらも、それ以上の追及はしなかった。
「神の特権は、その名の通り神のみに与えられた権利。それを誰かに渡すということは、失うということを意味するの」
「……何の話?」
突然始まった不穏な話に、葉月は思わず質問してしまった。
だが、オブリエルは構わず自分の語りを続けた。
「アウロラは、最高神からリンゴを与えられました。しかし、それを自分で食べることはなく、葉月という気になっていた少女に贈呈しました。さて、リンゴは誰の手の中にあるでしょうか?」
リンゴは、アウロラの手中にあるでしょうか──オブリエルは、そう問い掛けていた。
「私。私ですけれど……じゃあ、女神アウロラは──」
「神の長命、それ即ち不死。永遠の命を失った今のアウロラ神は、神ではなく人間に近い状態にあると言えるわ」
不死という最高ランクの呪いを、一人の人間の女の子に手渡す。
アウロラにとって、葉月は落命してでも幸福を授けたい生命だった。
葉月は葛藤していた。
自分は利己的に生きるべきなのか、利他的に行動するべきなのか。
全てを肯定し続けてきた生前を盾に一つのワガママを貫く姿勢でいた自分は、恥ずべき存在だったのか、と。
「……愛が重すぎます」
まるで自分のことのように落ち込んでいるヴァイオレットが、しょんぼりしながら呟く。
「葉月は、神にすら信仰される人間なのかもしれないわね」
オブリエルは、葉月の未来と自身の過去を照らし合わせていた。
葉月も、信仰によって人から天使に昇格するのかもしれない。その条件である出来事が、これから起こるのかもしれない。
期待と不安の混合物という混沌を洗い流すために、オブリエルは熱い紅茶を啜った。
「私が教えてあげられるのはここまでよ。この話を聞いて、あなた達がどんな判断を下すのか──それは、自分にしか決められないわ」
思いを馳せる各人の耳には、オブリエルの締めの言葉が届いていなかった。
割と上手く纏められたと自負していたオブリエルにとって、彼女らの無反応は頭にくる行動だった。
オブリエルはむっとしながら二度手を叩き、どこかに飛んでいってしまっている三人の魂を連れ戻す。
「はい、難しい話はここまで! これからは、楽しい楽しいティーパーティの時間よ!」
「そ、そうですね……!」
「ガールズトークとかしちゃいますっ?」
「私、もう二百年以上生きているけれど恋なんてしたことないわ」
一瞬にして空気を入れ替える能力──これは、神の特権でも天使の能力でもなく、オブリエルの才能の一つだった。
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