たとえそこが地獄であっても、私は前進するよ

 神に見初められし少女は、隣人を失って孤独に塗れていた。

 そんな少女の頭上にも青い空は広がっていて、同じく一人ぼっちの太陽が静かに見守ってくれている。

 時刻は昼。世界が、最も明るさを手に入れる時。

 目が開けていられないほど眩しい葉月を取り巻く世界に、小さくも力強い影が流れ込んでくる。

 真っ直ぐに移動を続けるそれの正体が知りたくなった葉月は、天を見上げて一匹の鳥の存在を確認した。

(眩しい……)

 鳥は、光のせいで闇に染め上げられている。

 葉月は、目を細めつつも決して見逃さないように空の支配者を視認し続けた。

 空を舞う生物が葉月の上を通り過ぎ、ホープネス大聖堂の上空へと差し掛かった時、ようやく彼女の瞳にも色彩を認識する機能が宿った。

 白い鳥の足に結ばれた緑の紐。それにどんな意味が込められているのかは、一般人である葉月には理解できない。

 ただ、誰かが意図を持ってそれを放ったことは紛れもない事実だ。

(あの子は直進しかしていない……つまり──)

 葉月は、鳥が飛び去っていく方向から直線上に見えない線を空に描き出す。

(あっちの方角には──そうだ、タブー・ウィングがあったはず……)

 ここでじっとしているよりも、どこかに移動した方が行方不明になっためふぃすとを見付けられる可能性も高まるというもの。

 葉月は、めふぃすとの捜索も兼ねてタブー・ウィングへと足を運ぶことにした。


(さてさて、鬼が出るか蛇が出るか。本命は天使様やけど、この際騎士でもええわ)

 マジェンタは、もしもの事態に備えて強力なボディーガードを欲していた。

 得体の知れない機巧人とやらが消えていった、誰も知らない地下迷宮に潜入しようとしているのだから、それくらいの護衛はあった方がいいだろう。

 それに、どうせ付き添ってもらうならば、神に匹敵する能力を蓄えた天使がいい。

 そう思慮した上で、兵舎の方角ではない北東──大聖堂のある広場へと鳥を飛ばしたのだった。

 当然、騎士の少ない場所へ送った救援要請には、返事がこない可能性も大いにある

 それは、マジェンタも承知の上だ。

 この最悪の事態に陥ってしまった時にはやむを得ない。その時は、大人しく騎士を呼ぶだけだ。

 綺麗なはずのタブー・ウィングを、空気の悪い風が通り抜けていく。

「遅かったやん」

 マジェンタが苦言を呈しながら振り向くと、視線の先には思いがけない人物の姿があった。

 軽いジョギングを終えた程度の浅い呼吸をしている少女葉月もまた、お化けでも見ているかのように目を見開いた。

「葉月ぃ!?」

「マジェンタ……!?」

 想定外の再会を果たした両者は、困惑一色に染まった頭脳を必死に回転させて何とか会話というものを成立させようと奮闘する。

「な、何で葉月がホープネス大聖堂に?」

 葉月が、マジェンタの前まで歩みを進めてから回答をする。

「オブリエルに会おうとして。まあ、不在だったから、結局会えなかったんだけれどね……そう言うマジェンタは、どうしてタブー・ウィングに? 鉱山の掃除をしていたんじゃないの?」

「掃除は終わったで。『どうして』の方は、話すと長くなるんやけど……聞く?」

 葉月は、めふぃすとに関する手掛かりが見付かるかもしれないと思って、マジェンタの語りに耳を貸すことにした。

 できるだけ円滑に話を済ませるために、マジェンタは一度深呼吸をして心を落ち着かせた。

 それから息を吸って、口を発声の形にする。

「フリティラリアに戻ってきたウチは、馬車から降りて正門を潜った。そしたらどうや。革命派と保守派が剣を交わらせてるやないか! ウチは、ははーん、遂に内戦が勃発したんやなと思って、再び正門を抜けた」

「ちょっと待って。何で正門を抜けたの?」

 フリティラリアには、正門が一つしかない。なのに、マジェンタの回想にはあたかもそれが二つ存在しているような──もしくは、入ってすぐに出ていくという奇妙な行動をしているかのような、密度の濃い違和感が充満していた。

 そのことを指摘されたマジェンタは、想定通りと言わんばかりの即答を葉月に返した。

「ウチみたいなか弱い女の子が、戦場に突入したら危ないやろ? だから、逃げさしてもらったんや!」

「嘘吐け! ヴァンパイアだって倒したじゃん!」

「あれは、意表を突けたからであってやな……って、あの時の思い出話はええねん! とにかく、また王都から出たウチは、下町にいったんや。んで、革命派のアジトを訪れた」

 以前に、マジェンタは革命派のアジトに入ることができると口にしていたことを葉月が思い出す。

「予想した通り、もぬけの殻やったわ。普段は少数で活動する革命派が、一人残らずおらんようになっとってん! やばない?」

「うーん、やばいね」

「せやろ? これは本気やなーと感じたウチは、誰にも見付からんようにタブー・ウィングへとやってきたってわけや」

「……どうして?」

 マジェンタの話は、右往左往していて脈絡がない。

 相手に理解させようという気がないというよりかは、誰にも理解できない行動を取るのがマジェンタという人間だ、と纏めた方がより自然であると言えよう。

 マジェンタは、多少鬱陶しそうな表情を見せたものの、きちんと葉月の脳でも把握できるように、自分の考えを述べた。

「ウチが死ぬわけにはいかん。数少ない、革命派にも保守派にもコネクトを持ってる人間やからな」

 王都の騎士でありながら、革命派の動向を肌で感じることができる人物はマジェンタを除いて他にいない。

 人間の命は平等であるはずだが、唯一無二性を有した彼女の魂は一国が動くほど高級なものだった。

 だからマジェンタは、革命派のアジトに潜入する仕事を除いて、落命するほど危険な任務を任せられることはない。

 アイスストーンの鉱山の一件は、まさに命懸けの仕事そのものだったが……あれは、朝食を喉に詰まらせるようなイレギュラーに過ぎない。

「さて。正直、ウチのことはこの辺で切り上げよか。本題に入らせてもらうで」

 マジェンタが門のように肉体を横にすると、それまで遮られていた世界──地下へと続く階段が葉月の視界に飛び込んできた。

「……これは?」

 そこに最初からあったのか。それとも、新しくできたものなのか。タブー・ウィングのことを全く認知していない葉月には、眼前の階段に纏わるあらゆる事柄が闇に覆われたままだった。

 マジェンタが、視線を葉月から階段の方へ移動させながら口を開く。

「めふぃすと、りりすって奴らが見付けた階段や。二人は、ここを下っていったきり帰ってきとらん。差し詰め、きこうじん地獄ってところちゃうか」

 何かに釣られるように、自身を機巧人と名乗る者達が穴の中へと吸い込まれていった。

 マジェンタがめふぃすとらと別れた時から十五分程度経過した現在でも、彼女達が戻ってくる様子はない。

 となれば、三つの推測が可能となる。

 一つ目は、二人はもうこの世に存在していないということ。

 中で何らかの攻撃を受け、死んでしまえば地上に戻ってくることはない。

 二つ目は、地中にて会いたかった人物、または会いたくなかった人物と再会してしまったということ。

 相反する両者だが、これらは似た者同士でもある。

 話し合い、殺し合い……理由はままあれど、どれも時間を浪費する、極めて人間味溢れた道へと繋がっている。

 帰還に要する時間を加味すると、十五分程度で姿を現す可能性は低いと言えよう。

 最後の推測──それは、ここが彼女達のゴールであるということ。

 勇者だろうと王子様だろうと、終着点に辿り着いた者が過去を辿る必要はない。

 目的を果たした主人公は、大団円を迎えた物語は、決まってそこでフェードアウトしていくと相場が決まっているのだ。

 もっとも、ハッピーエンドの後にも彼ら彼女らの人生は続いているのだろう。だが、読者即ち部外者には、それを知る権利などどこにも存在していない。

 三つ目が正答であると見做すのであれば、目の前にあるシークレットボックスに手を触れるべきではなかろう。

 それは蛇足であり、何の生産性もない無駄でしかないのだから。

 しかし、そうだと分かっていてもやらねばいけない時がある。

 己の判断が正しかろうと過ちであろうと、所詮は結果論に過ぎない。

 実際に試してみるまで知ることができないのであれば、与えられたカードは一枚しかないのだ。

「ここに、めふぃすと達がいるんだよね。だったら、たとえそこが地獄であっても、私は前進するよ」

 めふぃすとだけではなく、死んだはずのりりすの名を語る機巧人のことも気掛かりに思っていた葉月の辞書には、後退の二文字が記載されていない。

 葉月は、マジェンタの横を通り抜けて階段の一段目に足を下ろした。

「マジェンタは、好きにすればいいよ。あなたの言う通り、ここは危険が伴う場所かもしれないし──」

「バーカ。ウチは葉月が何と言おうと地下に潜るつもりやったわ。ウチが一人でいくか二人でいくかを葉月に選ばせただけですー」

「──そっか。じゃあ、いっちょ地獄に挨拶でもしにいきますか!」

「地獄って決まったわけじゃないけどな……」

 機巧人の要所に、人間が足を踏み入れたらどうなってしまうのか──当時の二人には、想像もできないことだった。

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