王都の威信を賭けて空を目指します
衝突するようにオブリエルを拾い上げながら、空へと戻るシャルル。
その思考は硬直と表現していいほど回転しており、しばらくの間、シャルルは呆然と立ち尽くしていた。
冷や汗が頬を伝い、大地に溶ける。
その拍子に、シャルルはようやく現実世界へと戻ってきた。
「はっ……!?」
宙吊り状態のオブリエルは、困り顔でシャルルに質問を投げ掛ける。
「体調はどう? 変化は感じられた? 私は、腹部への圧力で今にも吐き出しそうよ……」
「わわっ! ごめんごめん!」
シャルルはすぐに能力を発動させて、オブリエルを自立させた。
それから、がらりと表情を変えて、強気な口調で質問に対する答えを述べた。
「体調良好! 変化はあったし、オブリエルの策も把握できたよ! ただ……」
「ただ?」
言うべきか、言わざるべきか。シャルルは、双方の利点と欠点を比較する。
その結果、今回は後者が選抜された。
「ううん、何でもない! 始めていこうか!」
「そ、そうね……?」
自身とオブリエル、それに鉄球を着陸させたオブリエルは、鋭利な眼光を天に向けた。しかしながら、それはただの天体観測に終わった終わった。
「空まで届いていない……!」
オブリエルは、シャルルの瞳から放たれた波動の動きを見ていた。なので、その波がシャルルの眼前二メートル地点で爆ぜ散った瞬間を目撃してしまっていたのだ。
己の無力さに歯を食い縛り、オブリエルが天使らしからぬ禍々しい声色で言葉を発する。
「くそっ! 天使の特権だと、ここまで劣化するものなのか……!」
神格を付与された天使であれば、神の御業を模倣することも不可能ではない。
だが、それはあくまでも劣化コピーに過ぎないため、効果の減退は必至だ。
オブリエルもそのことは承知の上だったので、極力効果を落とさないよう、長い詠唱を挟んだのだが……その結果がこの腐敗っぷりだった。
(どうする……?)
シャルルに代行してもらうという手は失敗に終わった。
ヴァンパイアの結界を穿つ能力も、もうこの手の中から失われてしまっている。
打つ手なし。ヴァンパイア自身が何らかの理由でコウモリを撤去しない限り、空は闇色を纏い続ける。
「それってさ、もっと近付けば効果はあるってこと?」
「それはそうだけれど……」
シャルルは、サイコキネシスを使って物理的に距離を詰めようとしている。
しかしながら、空は彼女が推し量っているほど身近なところにはない。
人間が触れられる領域の話ではないのだ。
「じゃあ、もっと近付くよ!」
シャルルは子供のような笑みを見せ、子供のような理論を展開した。
「無駄な足掻きよ! 届きっこない!」
計算して、算定して、算出して、それから可否を求める。それが、人間が身に着けた生きるための術だ。
その点シャルルは、一切頭を使わないでいきなり可否──もっと言えば、可を導き出している。それが不可能であるという択を、端から捨ててしまっているのだ。
可だと妄信していたものが、実は否であったと悟った時にはもう手遅れ。失敗が満面の笑みを浮かべながら手招きをしている状態だ。
そのことに気付かせるために、濃度百パーセントの否定の言葉を言い放ったオブリエルだったが、その優しさは指先すらも届かなかった。
「大丈夫だよ。私を信じて!」
シャルルは、快い雰囲気を醸し出しながら絶対的な自信を主張した。
翳りゆく世界で、唯一輝きを放ち続ける姿を見せられたオブリエルは、心に静謐を宿してこう思った。
(そんな笑顔を見せられたら、信じるしかなくなるじゃない……)
オブリエルは、しっかりと首を縦に振ってシャルルに肯定の意思を示した。
「分かった。もう、あなたの好きにすればいいわ!」
「言われなくとも、生まれた時からずっとそうしてきたさ!」
シャルルは、親指を立てて笑った。
オブリエルは、何も言わずにもう一度頷くだけだった。
「シャルルマーニュ=ヴァル・ド・ロワール、王都の威信を賭けて空を目指します!」
「……見逃してよかったの?」
妨害をすることもできたはずなのに、葉月は長らく沈黙を貫き続けていた。
仮にも敵対する立場にあるのだから、その無抵抗さは一周回って不審だ。
葉月は、点となったシャルルを意味もなく傍観しながら、小声で率直な感想を述べた。
「だって、届くわけないじゃん……」
正直なところ、オブリエルも半信半疑だった。
シャルルの手が天に届くか否か。それを決定するものが、彼女の破天荒さと根性という漠然とした要素だったからだ。
「届くわよ。シャルルなら──」
信じるしかないのであれば、そうするだけ。かつて、一人の少女に未来と栄光を託した彼らのように。
信仰を受け、実際に希望を現実のものにした人物の発言は、歯向かう葉月の天秤さえも揺らがせるほど説得力があった。
「そう、だね……届いちゃうかも。シャルルだし」
「あら。意外とシャルルを信頼していたのね?」
「まぁね。最初に出会った特別な人だし」
「……でも、殺すんでしょ?」
「救済だってば。まぁ、呼び方なんで何でもいいよ。大切なのは、名付けられたモノの方だし」
信頼の証明だったのだろうか。葉月は、最後の言葉を発言すると同時にシャルルを見守る視線を別の方向へと外した。
「時に、オブリエルはこれからどうするご予定で?」
「知っているくせに」
「然り、だね。でも、一秒でも長く生きていたいんだったら、今は逃げた方がいいかもよ?」
「? どういう──」
焼け落ちたはずの双翼が、そこにはあった。
大変立派で清らかな美を宿した黒翼は、対となる存在である光さえも闇を引き立たせる一部としか見ていない。
艷やかで目を覆ってしまいそうになる輝きを持ったその羽は、もはや人間界に置いておいてはいけない域にまで達している。
「多分だけれど、ヴァンパイアが私のことを悪く言いながら暴れているんだろうね。他に考えられるとすれば、『とにかくアウロラを殺した奴が憎い!』みたいな感情も加算されているとか?」
淡々と自身への悪評に対する推察を進める葉月は、まるで感情を失ったロボットのようだった。
いや、
今の葉月は、機械と表現するよりも魔王と例えた方が適当かもしれない。
「葉月。あなたはヴィランが天職のようね……」
「あんまり嬉しくないよ、それ」
(笑顔だけは一級品なんだけれどね……)
オブリエルは、自身のそれと比較して、葉月の成長が些か早すぎるのではないかと類推していた。
両者の相違点を鑑みるに、生じた差異は土台部分にあると考察できる。
オブリエルは、人間という土台の上に希望と信仰を重ねて天使となったのに対し、葉月は初っ端から神の特権による神性を宿している。
それが憎悪を助長しているのか、それとも、そのものへと変質しているのかは神にしか認知することができない。だが、その神らしさが葉月を援助しているということは人間の脳でもはっきりと理解することができた。
(そろそろ、かな)
オブリエルが、指で目の傷に触れる。
血の雨のせいで見分けが付きにくいが、傷口には既に蓋がされていた。
天使化の影響か、オブリエルの肉体に刻まれる傷は塞がる速度が早い。ただし、そこから先は彼女の自然治癒力に一任されているため、重症を負うとリハビリに時間が掛かってしまうという点は人間と変わらなかった。
そして、後付けである翼はほぼ治らない。
奇跡のような特効薬でも見付からない限り、オブリエルはもう空を飛ぶことができないのだ。
「こちらは準備万端よ。そちらは?」
「問題ないよ。じゃあ、いくね──」
葉月が足に力を込めた瞬間、コウモリの雲間から陽光が差し込んできた。
急激な明度の変化により、葉月とオブリエルは反射的に目を閉じてしまう。
二人は広げた手を眉に当てて、影を作りながら青に染まっていく空を見上げた。
「まさか、本当に上り詰めたって言うの……!?」
「シャルル……!」
同じ驚愕の感情でも、両者の表情は対極的だった。
雨は、一分も経たない間に姿を消した。
綺麗な虹の一つでも見えれば感動的な場面となったのかもしれないが、どうやら世界はそこまで感情が豊かではなかったようだ。
天候の変化による仕切り直しを終えたオブリエルは、再び気合を入れて戦闘態勢へと移行する。
「形勢逆転──とまではいかないけれど、勝ちには一歩近付くことができたみたいね」
ヴァンパイアの独壇場が抑止された今、葉月が吸収する負の感情の量も少しは減少するというものだ。
依然としてオブリエルの劣勢は変わらないが、これ以上差を広げられる心配はしなくてよくなった。
「それは早計というものだよ。ヴァンパイア族じゃない私にとっては、太陽の有無なんて関係ないし。むしろ──」
葉月は、まるでオブリエルの瞳に映る風景を通して後方を見ているかのように、天使の隻眼を凝視しながら口だけを動かした。
「──これで、気兼ねなく王都の救済を進められるようになった」
地中から巨大な怪物が這い出てくるかのように、王都を囲う城壁からドーム状の黒い物体が、文字通り頭角を現し始めた。
物音一つ立てずに膨張を続ける謎の物体は、王城付近に中心部を持っている位置関係にある。
オブリエルは、ここにきてようやく葉月の放った球体が種火であったことを知った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます