私が側にいますよ
めふぃすとは確信していた。
ツァーフの肉体に収束していく熱量と空気の流動は、間違いなく機巧人が自爆をする時に発生する現象であると。
仮に、彼をこのまま放置したとする。
さすれば、立ちどころに地下に作られたこの研究施設は崩落し、巻き込まれた人間達は死に絶えるだろう。
天使や機巧人は生を享受し続ける可能性もあるが、自力で地上まで這い上がるのは至難の業だ。
故に、めふぃすとは覚悟を決めた。
親しき者、言葉を交わしたことすらない者のために、友から授かった力を行使すると。
自爆スイッチが起動されてしまった以上、天使を呼ぶ時間は残されていない。
持って十秒、早ければ五秒程度で、機巧人ツァーフは生命を爆発させてしまうだろう。
「──葉月さん、離れていてくださいっ」
そう言って、めふぃすとは自分の右腕を左手で引き千切り、葉月の方に放り投げた。
「ちょ、何をして──!?」
葉月の瞳には、いつになく真剣な眼差しを持った愛玩機巧の姿が映っていた。
そんなめふぃすとの佇まいが、葉月の喉に続きの言葉を引っ掛けさせてしまう。
「私に任せてくださいっ」
めふぃすとは微笑んだ。
葉月を安心させるため。そして、非力な愛玩機巧にもできることがあると知ったから。
めふぃすとがツァーフを抱き寄せる。
同時刻、葉月はまだ機械の親友を信じ切れておらず、一歩だけ後退した。
緊張感を纏った葉月の喉を、空の唾液が通り抜ける。
直後、球体かつ透明な壁がめふぃすとを中心として展開された。
シャボン玉のような障壁は時が経つに連れて膨らんでいき、葉月の手と接触した。
「っ──!」
両者が接した部分から、静電気のような光が発生した。
一秒にも満たない発光に込められたエネルギーは強大で、防衛本能による痛覚遮断がなければ、葉月は痛みに涙していたに違いない。
咄嗟の判断で手を引っ込めた葉月は、保身のため二歩、三歩と更に後ろへと歩き出した。
自分のために行動をすると、めふぃすとが小さくなっていく──葉月はそんな不安感を抱いていたが、思っただけでは現状に影響を及ぼすことなどできはしない。
かと言って、それを実行に移せるかと問われると、それもまた返答に困る。
神の特権を含めて、葉月は他人を変化させるほどの能力も実力も保有してはいないのだ。
「……随分と大きくなりましたねっ」
顔を下に向けためふぃすとにはツァーフの顔しか見えていないはずなのに、彼女は苦笑しながらそんな風に口を動かした。
そもそも戦うために製作されたわけではない愛玩機巧には、戦闘機巧のような力も労働機巧のような知力もない。
そんな自分が──そんな自分でも、これほどのパワーを発揮できたこと。それが、めふぃすとにとっては嬉しかった。
「一体、何をするつもりなの……?」
初めから答えを用意していたのだろう。めふぃすとは、震える葉月の声にこう即答した。
「掛け替えのない、葉月さんの命を救うつもりですっ」
めふぃすとが、ツァーフの頭部を持ち上げる。
それから、額と額を合わせて静かに瞼を下ろした。
「私が側にいますよ、お父さん──」
めふぃすとの声が引き金であったかのようなタイミングで、ツァーフの肉体から機巧人の有する全てのエネルギーが放出された。
めふぃすとが展開したシールド越しにも、その破壊力は窺い知れる。
数秒間続いた激しい地響きと爆音が止み、葉月はめふぃすとのやりたかったこと、そして、事件の終幕を肌で感じ取った。
「めふぃすと……」
葉月は、目を塞ぐことができなかった。
友の最期から、目を逸らすことができなかった。
機巧人が散り際に放った
まるで、運命が機巧人のことを忘れ去るよう告げているかのように。
葉月の眼前に残っていた結界も、二人の後を追うように消失した。
「あぁ……あぁ……!」
めふぃすとは、人間のように父を愛し、人間のように容易く落命した。
奇しくも、彼女の願望はちゃんと神に届けられたのだ。
これは夢──そう錯覚し始める葉月の視界内に、めふぃすとが付けていた耳飾りが飛び込んでくる。
機巧人が影だけを残して消え去るほどの爆発に巻き込まれたというのに、何たる生命力か。
その粘り強さが葉月に与えるものは希望か、それとも絶望か。
「めふぃすと──!!」
答えは、考えるまでもなく後者だった。
遺されためふぃすとの腕を用いることによって、異世界へと繋がる門は正式に閉じられた。
地上に出たオブリエルは、めふぃすとの腕をホープネス大聖堂へと持っていき、後日埋葬するという旨を伝えた後、地上の争いを抑止するべく戦場へと赴くことになった。
りりすも、手助けという名の邪魔をするために彼女に同行するとクスクス笑った。
マジェンタは、意気消沈の真っ只中にいる葉月の手を引いて、一度“ファーストレイ”に戻った。
無人の服飾店は施錠されており、一般人の立ち入りは制限されている。
だが、葉月は一般人のグループに所属していなかったため、合鍵を所持していた。
周囲の声が全く届かなくなっている葉月から“ファーストレイ”の鍵を強奪もとい拝借することは憚られたが、マジェンタはそれを使って建物内部へと入った。
廃人のようになっている葉月を椅子に座らせ、マジェンタは戦地の偵察に向かおうと思っていた。
しかし、この状態の葉月を一人で放置するのは危険と判断したマジェンタは、大きな溜め息を吐きつつ、内心怠けられることを嬉しく思って“ファーストレイ”に留まる決断をした。
葉月の向かいの席に座り、じっとその顔を見つめる。
「まぁ、何や、その──辛い思いをしたよな……」
他人を激励するという経験のないマジェンタにとって、周囲を流れる重苦しい空気感はさぞ居心地の悪いものだっただろう。
葉月の返答がないことに安堵したマジェンタは、ここまであえて気付かないフリをしてきた相手に声を掛ける。
「葉月を助けてくれてありがとうな、ヴァイオレット」
ヴァイオレットは影を自在に操って、自分の声だけを外の世界に解き放った。
「……気付いていたんですね、マジェンタ──お姉様」
言葉と言葉の間に若干の間が生じるのは、ヴァイオレットあるあるだ。
それは、他者とのコミュニケーションが大の苦手分野である彼女が、精一杯話そうと努力している証でもある。
あるのだが、姉の呼び名を二つに分けられてしまうのは些か寂しいところがある。
マジェンタはそんな複雑な気持ちに駆られながらも、それを表に出すようなことはしなかった。
「気付いてたに決まってるやん。ウチらは姉妹なんやから」
「そう、ですね……」
「して、自慢の妹さん。そろそろ顔を見せてくれんかなー? ウチ、目の保養がしたくて堪らんのやけど?」
「っ──! いえ……分かりました……」
葉月と地面の間に生じた影から、傷だらけのヴァイオレットが出現した。
傷だらけと言っても、重体の域にまで達していたりりすとの戦闘直後のそれと比較すれば、かなり治癒した方だった。
ヴァイオレットは神の特権を授かっていないので、葉月のような奇跡によっての回復をしたわけではない。
影の世界にて、自分の力だけで治療したのだ。
ヴァイオレットに愛を注ぐことを厭わないマジェンタは、全身の血液を溶岩にした。
だが、すぐに頭を冷却して普段通りに彼女と会話をする。
「おいおい、大丈夫かいな? とりあえず、誰にやられたか言ってみ?」
「聞く必要はありません……その方はもう、亡くなられましたから……」
亡くなって、蘇った。
マジェンタは、特筆すべきリアクションを取ることなく、あっさりと話を流した。
「ヴァイオレットがそう言うなら、ウチも深くは追及せんわ」
マジェンタらが静寂を作り出しても、世界がそれを許してはくれない。
すっかり広がってしまった戦域から聞こえてくる雄叫びに耳を傾け、マジェンタがポロリと宛のない言葉を溢した。
「今日も王都は元気やなぁ」
─第二章 完─
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