第三章

気が向いたら遊びにきてね

「こうして、機巧人あんどらすによる王都の崩壊・支配計画は幕を閉じた──っと。報告書終わりー!」

 報告書を書き終えると同時にペンを机に置いたシャルルは、万歳をするように両手を上に伸ばして凝った身体を解した。

 地上と地下、双方の事情を把握していたために参考人として呼び出されたオブリエルは、対面して座っているシャルルに「お疲れ様」と声を掛け、自身も詰まっていた息を吐いてリラックスした。

「それにしても、不思議な事件だったねぇ」

 二度目の命という奇跡を享受する性質上、異世界転生者は現地人よりも真っ当な人生を歩むことが多い。

 その証拠に、図書館にあるどの文献を漁っても異世界転生者が起こしたとされる事件は記述されていないのだ。

 二百年以上を生きるオブリエルすらも、シャルルの意見に頷いてみせた。

「異世界転生者ではなくその人の作った機巧人によって終わりを迎えそうになるなんて、歴史の書物によって残り続けるフリティラリア最大の汚点ね……」

「まー、それはそれでいいんじゃない? 未来を生きる若者達が、フリティラリアとかいう国マヌケ過ぎるだろーって話題にしてくれるならさ」

「あなたはそれでいいの? 私は、フリティラリア最強過ぎるだろーの方が断然いいと思うんだけれど……」

「中身は重要じゃないよ。後世でも、王都の名が語り継がれていることが大事なんだ」

「そういうものなのかしら……」

 オブリエルが、砂糖少なめのココアを啜る。

 仄かな甘みと、主張の激しい苦みを含んだカカオの味に、オブリエルはふと葉月のことを思った。

「葉月の様子はどう?」

 突然飛んできた言葉の豪速球に、シャルルは尻込みした。

 目を泳がせ、何度も発言を訂正した後に、渋々現状を報告した。

「ずっと部屋に籠りっきりだよ。ご飯も食べてない」

「そう……」

 神の特権の効果により、葉月は飢餓を起こさない。

 厳密に言えば、絶食から二十四時間は感じる。

 だが、そこから先は神の特権が栄養素を作り出し、体内を循環させるため、葉月が飢えで落命することは断じてない。

 オブリエルは、葉月を救命してくれている神の特権を恨めしく思った。

 葉月と顔を合わせ、言葉を交わせれば、粉砕された彼女の心を救済できるかもしれない。

 助力の可能性を奪うだけでなく、優れた再生の力を行使しようとすら思わない神の特権など、人間よりも劣る凡庸な力に過ぎない、と。

 オブリエルは、すぐに頭を切り替えてモヤモヤする感情を白紙に戻し、誰も何もしないのであれば、自分が努力するしかないという前向きな姿勢で上書きした。

「私、葉月とお話ししてみる──」

 決心したオブリエルが立ち上がった瞬間、“ファーストレイ”の扉にぶら下げられたベルが、高らかに客人の来訪を知らせた。

「おー、やっぱりここにおったか二人共!」

 不穏さが見え隠れする満面の笑みを浮かべながら入ってきたのは、ニコラ騎士団所属のマジェンタだった。

「ヴァイオレットは大聖堂にいるーって言い張ってたけど、やっぱりウチの方が理解わかってるなぁ!」

 “ファーストレイ”の服には目もくれず、マジェンタはオブリエル達の集っているテーブルへと直行した。

「お客様方はご存知でないかもしれませんが、うちは服飾店なんですよー……俺の店を集合場所にしないでくれないか、騎士のお二人さん?」

  来客だと思って奥から出てきたアランは、相手がファッションに疎いことに定評があるニコラ騎士団の団員と分かるや否や、額に怒筋を浮かび上がらせながら悪態を吐いた。

「おー、アランも元気になったんやな。よかったよかった。そんなことより、二人に指令や」

 マジェンタが懐から取り出した紙には、王都の騎士長の判子が押韻された任務が記されていた。

「何て書いてあるの?」

 手に取って紙に目を走らせるシャルルに、オブリエルはそう質問した。

「ゴッドハートの森付近まで巨人族が攻めてきてるんだって。何でだろうね?」

 ゴッドハートの森は、フリティラリアの産業に関わる重要な土地だ。

 ゴッドハートとは、その名の通り、ハートのような形をした果実がなる木の名称だ。

 人間の心臓よりも大きいことから、神の名を与えられている。

 ゴッドハートの実は甘く、アイスストーンに並ぶ王都の名物賞品で、ここを落とされてしまったら莫大な損害が生じてしまう。

「巨人族が攻めてきた……?」

 トライアングル・ウォーによって僻地に追いやられた巨人族が、何故にこのタイミングで都までやってきたのか。

 単純だが、危害を加えなければ温厚で保守的な傾向にある彼らが、勝者にんげんの密集した地域まで大移動をしたことなど一度もない。

 謎の裏に、何者かの手が加わっていることは明白だった。

「私達の任務は巨人の説得。難しそうだったら、撃破しても構わないってさ」

「なるほど、それでこの人選なわけね」

 トライアングル・ウォーで猛威を振るった巨人族の長オーディンの遺産を持ったシャルル。彼らを撃滅した過去を持つオブリエル。

 説得にしろ撃破にしろ、これ以上の適任は他にいない。

「マジェンタとヴァイオレットもいるみたいだし、これはもう失敗するビジョンが見えないね!」

「ニコラはまた別のお仕事なの?」

「あの人は、人生に疲れるくらいには多忙だから……」

 根拠の薄い回答だったが、それでもオブリエルは自分が納得していることを信じて疑わなかった。

「出発予定時間は今日の十三時。それまで時間はあるし、ヴァイオレットを拾ってから皆でお昼食べにいかない?」

「構わないわよ。皆で食事なんて、いつぶりかしら!」

「姉妹はどうせ暇だろうから、これで決まりね! それじゃ、早速ヴァイオレットの捜索を──」

 シャルルは勇んで椅子から立ち上がり、“ファーストレイ”を後にしようとした。

 不満げな表情を見せながらも、マジェンタはシャルルの後ろに並んで同意を表明している。

「ほら、オブリエルも早く!」

 催促されたオブリエルも起立して、俯きながら熟慮した後、足ではなく口を動かした。

「ごめんなさい。すぐに追い付くから、先に向かっておいてくれる? “セカンドレイ”よね?」

「オッケー! じゃ、ヴァイオレットはこっちで見付けておくよ!」

「恩に着るわ」

 一人──二人取り残されたオブリエルは、ムスっとしたアランに苦笑いを送って階段の方へと消えていった。


 掃除の手が行き届いた廊下を渡る足音と、葉月の部屋の扉をノックする音が一帯に響き渡った。

 部屋の主の名前を呼ぶ声もあったが、返事はない。

 オブリエルは、些細なことだと気に留めずに、こう切り出した。

「ねぇ、葉月。私達と一緒にお昼ご飯を食べにいかない? シャルルやマジェンタ、ヴァイオレットもいるんだけれど……」

 何分待っても葉月は答えず、オブリエルの提案は独り言に終わった。

「ビターなチョコレートケーキもあるし、食パンを使ったスイーツだってあるわよ。だから……気が向いたら遊びにきてね」

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