お前は異世界転生者か?
団体客用の十段重ねパンケーキを苦労しながら平らげた四人は、三十分ほど馬車に乗ってゴッドハートの森へとやってきた。
茶色く太い幹に、生い茂る緑の葉。そこに赤いリボンを付けてお洒落をしているかのような果実を実らせている──外から窺った限りでは、変わりない平穏な空気しか目に入らなかった。
これは、たまたま報告が入った時に巨人族がいた場所がゴッドハートの森付近だったのだと思っていたオブリエル達を困惑させる出来事だった。
「中にいるってことですよね……?」
休憩所として利用しているのか、それとも棲みかにしようと考えているのか。
人間族との関係が薄い巨人族の思考は、到底予測できるものではなかった。
「ま、進んでみれば分かることさ」
「……それもそうね。シャルル、手袋は外しておきなさいね」
暫しの沈黙があって、シャルルは元気よく首を縦に振った。
「うん!」
食指を動かす細やかな果実の香りが広がる森。
降り注ぐ太陽の光は木の葉に遮られ、疎らに大地を照らしていた。
木と木の間は広く、また等間隔だった。
これには、ゴッドハートの森が人工林であることが関係している。
昔、この場所はドーム状に生える性質を持った未知なる植物が原生していた。
これが、ゴッドハートの森が森と呼ばれる所以だ。
木のドームの内側は植物の成長に適した湿度、温度を保っており、この情報はすぐに学者達の耳に届いた。
上手く調整をすれば、今まで育てることのできなかった植物を栽培できるようになるかもしれない──白羽の矢が立ったのは、ゴッドハートだった。
学者達の想像通り、ゴッドハートの木はすくすくと成長して、今ではフリティラリアの経済を回す大きな役割を担うようになった。
木々の間隔が広く取られているのは、馬車で往来できるようにし、収穫の効率を高めるためだった。
「ハンモックでもぶら下げて、お昼寝したくなる環境やなぁ」
「読書も捗りそうです……!」
「美味しいゴッドハートも食べ放題!」
「まったく……遠足じゃないのよ?」
四人の間には、緊張感や恐怖心といった重苦しい空気が流れていない。
適度な潤いと気温、窮屈しないゆったりとした空間に芳香剤のような柔らかい香りが、昂った感情を鎮めているからだ。
強者揃いのパーティなため、その気になりさえすれば優しい空気など一瞬のうちに吹き飛ばしてしまえるのだが、今はまだその時ではない。
もうしばらくは、この空気を堪能していてもバチは当たらないだろう。
「おや、遠くに見えるあの姿は……」
シャルルは敬礼をするように右手を眉の上に立て、腰を曲げて遠方を窺う。
「どうやら、楽しい時間はここまでのようやな」
左右交互に並ぶことで、狭い通路を何とか直進している巨人らと目が合う小人達。
身長差は五メートルを優に越えており、もしかしたら十メートルに到達している者もいるかもしれない。
武の才に秀でた人間でなければ、その威圧感を浴びただけで尻尾を巻いて逃げ出してしまうだろう。
大太鼓を叩くかのような揺れと共に歩む巨人達は、うっかり人間を踏み潰してしまわないように、オブリエルら四人から三メートル近く離れた場所で立ち止まった。
先頭に立つ男の巨人が、少女達を見下ろしながら口を開く。
「お前は異世界転生者か?」
突飛である巨人の発言に、あのオブリエルさえも思考がこんがらがってしまう。
「お前は異世界転生者か?」
聞こえていないと思ったのだろうか。巨人は、個人にではなく全体に向かって再度同じ内容の問い掛けをした。
異世界転生──その意味だけでなく単語すらも、彼らは知らないはずだった。
やはり、黒幕は他にいる。それも、人間の黒幕が。
オブリエルは、それが誰なのかを探りつつ、無難に回答をすることにした。
「ここにいる四人は、皆異世界転生者じゃないわ」
オブリエルの返答を受けて、巨人達は各々ざわめき始めた。
そんな中、先頭の巨人だけは冷静に次の質問へと移行していた。
「異世界転生者を知っているか?」
露骨な異世界転生者に対する欲望。
もしかしたら、異世界転生者には人間が存じ上げていない秘密のようなものがあるかもしれない。
「知らないわ」
「では──」
「待って!」
オブリエルは、巨人が第三の問いに移ることを抑止した。
このまま質問攻めをされ続けることは、決していい流れとは言えない。
情報を得るためにも、次官を無駄にしないためにも、まずはオブリエルが主導権を握る必要があった。
「どうしてあなた達は異世界転生者に拘るの?」
「あんどらすという人間が言っていた。異世界転生者の心臓は、あらゆる病、傷を完治させる効果があると」
聞き覚えのある名前と聞いたこともない話の二層が、オブリエル達を挟み込んだ。
一度小休止を挟まなければ頭がおかしくなってしまうと直感したオブリエルは、顔を仲間達の方に向け、小声で情報共有を試みる。
「皆は、彼の話をどう感じた?」
「眉唾物だけど、嘘を言ってる風には見えなかったね」
あんどらすのことも異世界転生者のことも浅くしか聞かされていないシャルルには、この程度の回答が精一杯だった。
「誰も試したことがないだけに、完全に否定することはできんな。まぁ、情報源があの機巧人みたいやし十中八九出任せやろうけど」
「オブリエルさんは何かご存知ではないんですか……?」
「残念ながら。ともあれ、皆のおかげで何とかお引き取り願えそうだわ」
オブリエルは巨人の方を向き直り、獲得した情報を交えて説得に掛かった。
「あんどらすから聞いたというその話は、些か信憑性に欠けているわ。こちらでも調べておくから、今日のところは家に帰ってもらえるかしら?」
巨人族は物分かりがいいため、オブリエルの対応は花丸を貰っていいほどの模範解答だった。
だが、今日の巨人はもっと血気盛んな正確の持ち主だったようで、彼女の提案は真っ向から否定されることになった。
「その要求は受け入れられない。我々は、今すぐにでも異世界転生者の心臓が必要なのだ」
オブリエルは、深い溜め息を吐いた。
そして、目の色を補色にしてから次のように発言する。
「もう一度だけチャンスをあげるわ。それでも考えを改めないというのであれば、こちらも荒い手段を選ばざるを得なくなる。引き返しなさい、巨人族のお方」
「否」
「……交渉決裂ね。でも、私はいつでもあなた達の前言撤回を受け入れるわ」
オブリエルは巨人らに宣言すると同時に、自分に対する戒めの意味も込めてこの言葉を選んだ。
以上をもって、穏やかなオブリエルは終わりを迎える。
ここからの彼女は、人類の救世主として戦う戦乙女のそれに他ならない。
相手を威圧するために。そして、仲間を鼓舞するために。オブリエルは、天に住まう神にも届いてしまいそうな声量で己が名を宣言した。
「我が名はオブリエル! 天の使いに歯向かう勇気を持った者だけ前へ出ろ!」
天使の名を耳にしたその直後、巨人族は恐れ慄き、中には早々に背を向け逃走を図る者まで現れた。
仁王立ちをしていた先頭の巨人も、威厳を捨てて一歩足を後ろに下げ、そして蹌踉めいた。
「天使オブリエル──オーディン様を討ち取ったという白翼の天使が、どのような故あってこんな場所に……!?」
「簡単なことよ。あなた達には、私が一番効くでしょう?」
最強であると信じて止まなかった頭領を。数多を殺し、無数を壊した覇者をたった三時間で討ち破った人間が、今自分達と同じ空間にいる──巨人族にとって、その事実は思い浮かべただけで失禁してもおかしくないほどの恐怖を纏っていた。
しかし、彼らは退くわけにはいかない。
前進を続けなければ、何も変えられないと知っていたから。
先頭の巨人──現頭領ヴィーザルは、決死の覚悟で絶叫し、オブリエルに対抗する意志を見せた。
「前を見ろ! 貴様の前には、天使に立ち向かう勇士の姿がある! 夢を諦めるな! 希望を捨てるな! 貴様は、誇り高き勇士の一人である!!」
自分が戦闘を継続している限り、仲間達の前には勇士の姿が残り続ける。
さすれば、単純で優しくて勇敢な巨人族は、決して後ろを振り返らずに魂をしっかりと構え続けるのだ。
地球さえも震撼させる爆音が、森中に響き渡った。
それに言葉はなく、意味もなく、ただ差し迫る脅威を一心不乱に排除するという不屈の闘志だけが宿っていた。
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