あなたは異世界転生者でしょう

 人間族と巨人族の争いは、何の見せ場もなく終わりを迎えた。

 強いて言えば、天使に立ち向かった巨人族が、一人として逃走しなかったことは褒め称えて然るべき美談として扱ってもいいだろう。

「さて、そろそろ答えを聞かせてもらいましょうか」

 此度のオブリエルは、徹頭徹尾不殺を貫いていた。

 また、落命に至る傷も断固として負わせはしなかった。

 そのため、巨人族の者共にはまだしっかりとした意識があった。

 当然、オブリエルの声も届いているわけだ。

 他の者に判断を委ねるわけにもいかず、また、誰よりも強靭な肉体を持っている自分が開口しなければならない──使命感にも似た感情を沸き立たせて、ヴィーザルが声帯を震わせる。

「貴殿の提案を飲もう。だから、これ以上我らの仲間を傷付けるのはやめてくれ……!」

 蒼き空を覆う翠の葉が、喝采のように、嘲笑のように風に揺れてざわついた。

 己の無力さと無念さを噛み締めたヴィーザルの瞳から、大粒の涙が溢れ出す。

 真珠のように輝くそれは、土に溶けて大木の養分となった。

 オブリエルは、彼の心中を察し、口を謝罪の言葉の形にした。

 だが、すぐにそれが侮辱に当たると気付いて、音を与えることだけは何とか回避した。

 オブリエルは唾を飲み込み、改まって優れた薬を有するヴァイオレットに彼らの治療をするよう命令した。

「私には、傷付けることしかできないから……」

 そう呟いた彼女は、英雄が絶対に見せてはならないような表情をしていた。


 ヴァイオレットから薬を受け取った四人は、二班に分かれて作業を行うことにした。

 神の思し召しの結果、オブリエルはヴァイオレットとペアを組むことになる。

「よろしく、ヴァイオレット」

 オブリエルの天使のような微笑みに笑顔を返すヴァイオレット。

 その顔もまた天使のようであるとオブリエルは感じていた。

 二人が挨拶を済ませてから一刻ほど経過した時、不意にヴァイオレットが難儀しながらオブリエルを呼んだ。

「どうしたの?」

 ヴァイオレットは、悪漢の元から逃走してきた人質のように怯えながら、口を開いては閉じるといった動作を繰り返していた。

「落ち着いて。慌てる必要なんてどこにもないでしょう?」

 ヴァイオレットは頷き、大きく深呼吸をして心を鎮めることにした。

「ありがとうございます、オブリエル様……」

「どういたしまして。それで、何を話そうとしていたの?」

「実は──」

 オブリエルは、ここ二百年で最大級の衝撃を受けた。

 ヴァイオレットを疑い、自分の耳を疑って思わず聞き返してしまうほどの動転だった。

 しかしながら、そこに嘘偽りはなく、オブリエルは納得せざるを得なかった。

「私は、どうすればいいの……?」

「姉様に聞いてください……」

 ヴァイオレットの言葉遊びは、風と共にオブリエルの耳を通り抜けていった。


 兵舎を覆うは満天の星と闇色の垂れ絹。

 空気が澄み、耳にこそばゆい人の声もなく、透き通るほど清々しい壮麗な夜だった。

「こんばんは、オブリエル。急にウチを呼び出したりして、一体どないしたん?」

 今宵に相応しい爽やかな声を上げた人物の名はマジェンタ。

 騎士であって騎士でなく、それでいて、民草よりも重い命を持つちぐはぐな少女だ。

 そんな特異な少女を兵舎の屋上へと呼び出したのは、これまた特別の称号を授かったオブリエルだった。

「こんばんは、マジェンタ。きてくれて嬉しいわ」

 本題は、すぐに切り出さないからこそ価値がある。

 誤魔化して、引き延ばして──ここぞという時に突き付けることで、相手の退路を塞ぎ、必然の回答を獲得することができるのだ。

 空に浮かぶ月のように落ち着いた心で会話に臨む意志を見せるオブリエル。

 本人は隠し通せている気でいるようだが、その程度の意志なぞ、マジェンタの前では剥き出しに等しかった。

「マジェンタちゃんのことが知りたいんやろ?」

 戯けず、そして驕らずに、真っ直ぐな瞳で、マジェンタはオブリエルを見ていた。

 オブリエルは観念したように肩を竦ませ、マジェンタに倣って正直に気持ちを伝えることにした。

「折り入って話があるの。あなたの言う通り、マジェンタちゃんについての話をね」

 ヴァイオレットは言っていた。

 『実は、私には姉なんていないんです……』と。

 何故彼女がオブリエルに秘密を打ち明けたのか。その理由──更に言えば、ヴァイオレットにそうするきっかけを与えたのは葉月だった。

 よくも悪くも、葉月は自分が異世界転生者であることを隠そうとしなかった。

 そんな葉月の行動は、疑惑を解決する糸口の一つとしてヴァイオレットの上空に垂れ下がったのだ。

 オブリエルは、激白したヴァイオレットを問い質すことによって一つの結論へと至った。

「マジェンタ。あなたは異世界転生者でしょう?」

 マジェンタは驚愕した。

 三碓葉月という強烈な存在が出現した後に、自分のような小者の正体を暴くとは、と感心した。

 隠すつもりはなかったとはいえ、こうもあっさり暴かれてしまったことに、マジェンタは拍子抜けした。

 その事実と自己の無能さに、マジェンタは頬を綻ばせた。

「そうや。ウチはこことは違う世界からきた人間──異世界転生者や。で、オブリエルはどうするつもりなん?」

「どうもしないわ。ただ、理由を知りたいだけ」

「ウチが何でヴァイオレットの姉をしてるか──その理由を?」

 オブリエルは、心中を読み取られる感覚をむず痒く思いながらも肯定の意思を表した。

「……聞いたら後悔すると思うで?」

「後悔なんて、あなたの何十倍も経験してきたわ。一つ増えたところで痛くも痒くもない」

「そうか。英雄も大変なんやな」

 マジェンタは、石製の手摺に寝かせた腕を置いて、そこに体重を掛けた。

 続けて、無限とも思える広い空を見上げながら感動の言葉を口にする。

「見てみ、雲一つないわ。お月様が落ちてきそうやなぁ」

「……そうね」

「この世界のお月様でも、ウサギさんは一所懸命働いてるんやなぁ」

「……そう、ね?」

「ウチはかぐや姫なんや。周りの顔色ばっかり窺って、いい子ちゃんを装って……誰からも責められることなく、嫌われることなく生きてきた。こんなん人間と違うって気付いたんは、死ぬ直前やったなぁ」

 かぐや姫という見ず知らずの人名に意識を持っていかれてしまうオブリエル。

 意図的なのかたまたまなのか、マジェンタはそんなオブリエルの思考には目もくれずに、自分の物語を綴っていく。

「ウチは死んだ。そしたら、目の前に女神様がおるやん。しかも、人間がおらんときた! これは好機とばかりに、ウチはワガママをいっぱい言わせてもらったわ。極めつけは、妹がほしいって願望やった」

「だから、あなたはヴァイオレットの姉としてこの世界に配置された……」

 マジェンタは、こくりと頷いた。

「女神様と言えど、新しい家族を作り出すことはできんかったんやろうな」

 姉妹なのに、訛りが違うこと。姉と妹の関係なのに、どこかよそよそしい態度を見せる妹。

 気付いていて、見逃していた違和感の答えがここにあった。

「ヴァイオレットに教えてあげるつもりはないの?」

 ここまで背中を向けて話をしていたマジェンタが、勢いよく身体を翻してオブリエルの問い掛けに反応した。

「まっさかー! バレるまでは──いや、バレたとしても、ウチは偽りの姉としての役割を全うする所存やで!」

 灯台もと暗しとでも例えればいいのだろうか。

 マジェンタは、ヴァイオレットが知っているということを知らないでいるようだった。

「嘘でも、ヴァイオレットは大切な妹や。ウチの前では絶対に傷付けさせへんし、愛してもらえるよう、これからも精一杯お姉ちゃんをさせてもらうわ」

 マジェンタは、歯を見せて笑っていた。

 彼女の笑顔は、背景に浮かぶ月すらも霞むほど眩しく、温かかった。

「身体も冷えてきたし、ウチはそろそろ中に戻らせてもらうわ」

 マジェンタは手摺を使って身体を弾き、勢いを付けて歩き出す。

 それから、あっという間にオブリエルの横を抜けて、後ろに向かって手を振った。

 振り返ってマジェンタを視界に捉えていたオブリエルも、見えていないことは承知の上で小さく手を振り返した。

 だから、月の使者の来訪に気付くことができなかった。

「いいことを聞かせてくれてどうもありがとう。潔く、死に帰るがいい」

 オブリエルの羽に並ぶ大きさの翼を背中に生やした、高貴なる長身の男。

 顔の半分を覆い隠してしまうほどの長さを誇る流した前髪からは、うっすらと紅色の瞳が覗いている。

 口から覗く鋭い牙は獣のそれであり、一度噛み付かれてしまえば、一生消えることのない傷が残ってしまうことだろう。

 どこに出しても恥ずかしくない正装から伸びたるは、長い腕。

 その先端にある手には、赤子の玩具のような、脈打つ心臓ボールが握られていた。

「お、前……!」

「喋るな。鮮度が落ちる」

 オブリエルの眼球は、しっかりとその光景を見据えていた。

 少女の胴体から引き抜かれた心臓を。

 指先一つ動かすことができないまま、石の床に崩れ落ちるマジェンタの姿を。

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