無病息災の果実といったところか

 オブリエルが、自分は戦闘をしていると気付いたのは、初撃である四本の剣をヴァンパイアに放った後だった。

「その程度の攻撃、もはや避ける価値すらないわ!」

 握った心臓にだけ当たらないように注意しながら、ウォーカーはオブリエルの剣を胴体で受け止めた。

「無様よのぉ、天使! 自慢の剣も、我の前ではただの孫の手よ!」

「黙れっ!」

 四で足りぬならば、今度は十倍するだけだ。

 五月雨が如く降り注ぐ刃が、ウォーカーの肉体を木っ端微塵に崩壊させる。

 だが、次の瞬間にはウォーカーが元通りの姿で大地を踏み締めていた。

 オブリエルは、ヴァンパイアに幻覚でも見せられていたのかと勘繰ったが、ウォーカーの狡猾な笑みから、すぐに思考を撤回した。

(超再生──絶対に敵に回したくない厄介な能力ね……!)

「此度の闇は偽りではない。満月昇る真の宵だ。であれば、我らの敗北はあり得ぬ。たとえ相手が天使であろうとも」

「一体、何が目的なの? あなたは死体安置所に入れられていたはずでしょう!?」

「あの小娘は気付いていたので、貴様も知っているものだと踏んでいたが……吸血鬼の絶命は、死体となって埋葬されるのではなく、灰になって風と共に去るものなのだ。故に、残存する我は死を享受しておらず、だからこうして、異世界転生者の命を刈り取るべく暗躍しているのだ」

「どうしてそんなことを……?」

 ウォーカーは、極上の食材を手にした時のような恍惚の笑みを浮かべ、見せびらかすように人の内臓を眺めながら質問に答える。

「天使は知っているものだと推測していたが……異世界転生者の心臓には、あらゆる万病厄災を鎮める効能がある。差し詰め、無病息災の果実といったところか。集める理由など、この程度で充分であろう?」

(やっぱり、巨人族の発言は真実だったのね……!)

 誰が吹聴したのかは定かではないが、関係の薄い両種族が同様の内容を確信しているということは信憑性の向上に繋がる。

 これからは、異世界転生者の身の回りの護衛を厚くする必要があるかもしれないと、オブリエルは今のことよりも未来のことを優先して思慮を巡らせていた。

 彼女にとって、今この瞬間は思考に値しない、即興で対応することができる容易な時間に過ぎなかったのだ。

「訳は概ね把握したわ。だから、その上で発言させてもらう。マジェンタの心臓を返しなさい!」

「天使が左様に牙を剥くな。美貌が台無しであるし、それに微塵も恐ろしくない」

「ほざけ!」

 ウォーカーは夜に溶けて、縦横無尽に舞踏する六本の剣を無力化する。

「詰めが甘いな」

 それからオブリエルの背後に出現して、その首元に牙を向けた。

「──そっちこそ!」

 現存する誰よりも戦闘慣れしたオブリエルに、小細工は通用しない。

 ウォーカーの動向を完全に見切っていたオブリエルは、タイミングを合わせて立派な白翼を大きく広げて抵抗した。

 一つひとつは柔らかい羽根であっても、束になって羽へと変貌すれば、棍棒にも劣らない打撃力を発揮する。

 当たればひとたまりもないであろう鈍器を回避するべく、ウォーカーもまた羽を広げて空へと飛び立った。

「なかなかやるではないか。反射的に飛翔してしまった」

 オブリエルは後を追いたい気持ちでいっぱいだったが、折れた翼では天を支配することはできない。

 手足が完治した今でも羽根一本復活していない当たり、恐らくは一生このままなのだろうと、オブリエルは半ば諦めにも似た感情を翼に抱いていた。

「まだまだっ!」

 たとえ空は飛べなくても、何かを空に飛ばすことはできる。

 オブリエルは、輝く剣を数本放出してウォーカーに追撃をした。

 直進し、躱されたならば、すぐに踵を変えて背後から斬撃を食らわせる──一矢を報いるべく武器を自在に操るオブリエル。しかし、ウォーカーは更にその上をいっていて、彼女の思いが彼に届く瞬間は訪れなかった。

「だったら──!」

 今までとは毛色が違う空気の変動。

 オブリエルは、ここ数年の間使用を控えていた別の技を発動させようとしていた。

「時間だ。機会があれば、また刃を交えようぞ」

「ま、待ちなさいっ!」

 オブリエルの叫びは、穏やかな夜の風に運ばれて消えていった。


「さて、こいつぁどういうことかね?」

 任務で外出していたニコラは、夜分遅くに愛すべきフリティラリアへと帰還してきていた。

 何だかんだ平穏で、温かな空気の流れる王都の雰囲気は心地よく、それは今宵も変わらず辺りに広がっていた。

 そんないつも通りが、現在のニコラの目には異様なものとして映っている。

「人が──惨殺されていますよニコラ団長!」

 護衛として付き添いをしていた若い騎士が、焦りに塗れた声で現状を纏め上げる。

「飛ばせる限り鳥を飛ばせ。ただごとじゃねーぞ、こりゃあ……」

 脚が、腕が、首が、血が飛び散っているというのに、民家からは暖色の明かりが漏れ、子供の笑い声すら聞こえてくることもある。

 加害者の狂気は感じ取れなかったのか。被害者の絶叫は聞こえなかったのか──ニコラの心中で渦巻く重苦しい負の感情が、疑惑と共に質量を増幅させていく。

 護衛がせっせと鳥を召喚、飛翔させている間に、ニコラは転がる肉塊の検証を開始した。

(切り口は真っ直ぐで、しかも一太刀か……得物は、鋭利な刃物で間違いなさそうだな)

 周囲の様子から、犯行が無音かそれに近い状態で行われたことも推察できる。

 ニコラには、そんな業を修めている人物に心当たりがあった。しかしながら、彼は既に投獄されている身。外の世界で辻斬りを嗜むことなどできるはずがない。

 それに、彼が斬る人間はオブリエルの信者だけのはずだ。

 見たところ、被害者の中にはその象徴である羽のアクセサリーを身に付けていない人物も混じっている。

(あんな野郎が二人もいるなんて考えたくもないが……)

 ニコラは、納得せざるを得なかった。

 そうでなければ、辻褄が合わなかったからだ。

「団長、連絡は済ませました!」

 ニコラが手を朱に染めている間にも、護衛の騎士は黙々と命令しごとを遂行していた。

「よし……ひとまず、俺達は兵舎に向かって歩くぞ。状況を把握している仲間もいるかもしれないからな」

「分かりました! それまで、しっかりと護衛の任を務めさせていただきます!」

「頼もしい限りだ」

 ニコラは、本当に向かうべき場所は兵舎ではなく王城──その地下にある牢獄であることを察していた。

 だが、情報が不足している状態でその場所に赴くことはリスクが大き過ぎる。

 読みを外した場合、時間を無駄にすること──犯人に、更なる犯行の猶予を与えてしまうことになるのだから。

(この事件を解決するまでは、俺も死ねねーかなぁ……)

 ニコラの特大溜め息は、誰の耳にも届くことなく天に召された。


─第三章 完─

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